第44話 スランプ

「はー、楽しかったね、凪城くん!」

「そ、そうですね」


 そうだ、楽しいイベントのはずだったのだ。


 好きだった声優の人と話す機会があって、それでいて趣味を少しでも共有できたこの時間は楽しいものに違いなかったはずなのだ。


 それでも……食事以降はどうも一緒に居る時間に没頭しきれなかったというか、邪魔な思考がまとわりついていた気分だ。


「はぁ……」


 小さく雫さんに気付かれないようにため息を吐いた。

 こうして楽しめていない自分がいるというだけで自分を卑下ひげしたくなる。


 それでも、自分の感情を他人に巻き込むわけにはいかない。

 雫さんに嫌な気持ちを持った状態で帰ってほしくない。


 全てを台無しにするわけにはいかない。


 彼女にとっては、大好きなとのデートだったのだ。


「雫さん、今日はありがとうございました」

「ん? ああ、いえいえ」

「本当に楽しかったです。僕自身、すごく貴重な経験でした」


 感情を隠すときは社交辞令が良いというのは経験則で分かっていた。

 深く考えなくても言葉がスラスラと出てくるからだ。


「じゃあ、またどこかで」


 どこか、という抽象的な言い方で締めくくる。


 これ以上雫さんの前にいると、自分の弱さをさらけ出してしまいそうで怖かった。


 雫さんの中にある、風城冷像を崩してはならない。


 雫さんに別れを告げてから俺は逃げるように彼女のもとを去った。


 それを彼女は後ろで眺めていた。





 あれから1週間ほど経って12月に入った頃。


 俺は、スランプに悩んでいた。


「うーん、どうにも上手く書けないな……」


 メロディは浮かんできても、それに合う歌詞が全く思いつかない。


 ――いや、思い付かないわけではない。


 歌詞は出てくる。歌詞を書くことに対するプロセスに変化はないし、そこに至るまでの精神に変わりもない。


 変わったのは、歌詞が出来てから。


「……気持ち悪いな、これ」


 自分で書く歌詞が全て、歌詞として認められないのだ。


 妄想の掃き溜めにしか見えない。

 冴えない男の現実逃避に思えて、そんな歌詞を歌う気にならない。


 ハッキリ言って、気持ち悪い、だ。


「今までは納得してたんだけどな」


 今まではむしろ自分の歌詞なんて全部自分の妄想に過ぎないし、現実逃避だと思っていた。

 それでいいと開き直っていた。


 だから、歌詞を書くことに躊躇もなかったし、こんなスランプに陥ったこともない。

 先ほど書いた歌詞をbackspaceキーで一文字ずつ消していく。


 俺は前からこんな歌詞を書いていたのか……?


 ふと気になってみて、パソコンで自分の作った曲の歌詞データを眺めてみた。


「……」


 だが、やはり特に思うこともない。


 やはり、というのも自分の中ではすでに作った曲は自分の手から離れているという感覚があるからだろう。


 別の誰かが作った、そんな既製品のように見える。


 もちろん自分の作った曲に愛情がないわけでもないんだが、どこか自分のものとは違うという感覚がある。


 しかしそれに対して、まだ出来上がっていないものは百パーセント自分のものだ。


「うーん、とうとう俺もピークを過ぎたかな」


 嘲笑気味に俺はコーヒーを飲む。コーヒーもぬるく感じた。


 パソコンの作曲に使っている音楽ソフトを落として、動画サイトであなたへのおすすめに出てきた動画を見る。

 最近はこれの繰り返しだ。


 ああ、どうしようもないくらい自分がみじめに思えるな……。


 自分が、ああはならないと決めていた無駄に時間を浪費する一般的な大学生に成り下がったように感じる。


 そして今までは、作曲をしてそれで自分の優越感を満たしていたのだと、今になって分かった。


 名声を手に入れ、多少のアンチはいても自分のことを評価してもらっていることに、俺はどうやら充足感を覚えて優越感に浸っていたらしい。

 普通の大学生じゃない、そう思いたかったみたいだ。


「くだらないな……、俺って」


 見ていた動画も閉じて、俺はベッドに仰向けになって真っ白な天井を見ながらスランプの原因について頭をまわしてみる。


 スランプになったのは雫さんとデートらしきものをしてからだ。

 彼女が悪影響を与えたとは微塵も思っていないが、きっかけになったことに間違いはない。


 いや……。そういえばあの時に心境が変わったのは琴葉の言葉を思い出したからではなかったか。


『俺は凪城凛だと思いますか? 風城冷だと思いますか?』


 自分が雫さんにこう聞いたのは覚えている。


 改めて思い返してみると、なんとも情けない質問だ。

 俺はこの質問をしたときに、『君は風城冷じゃなくて凪城凛くんだよ』と言ってほしかったんだろうな、と嘲る。


 それであわよくば、自分を認めてほしかったのだろう。風城冷じゃなくて、俺自身に魅力があるのだと言ってほしかったのだ。

 水野雫という、世間的に認められている人間に。


「そんな欲求を満たすために雫さんを利用するなんて、ファン失格だなぁ」


 事実、雫さんは俺の思ったように答えてくれて、俺も嬉しかった。

 だがこれも今思えば、雫さんが俺の気持ちを汲んでお世辞を言ってくれたのではないかと思えてしまう。


 思考は負のスパイラルだ。


 なんというか、本当に情けない。


 こんな簡単に崩れてしまうほどにしか、自分は何も積んでこなかったのだ。


「曲書くの、やめちゃうか」


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