第42話 雫の雰囲気の変化
「話は聞いてしまったよ、凪城くん?」
「なっ、雫さん⁉」
俺と山城の間に入ってきたのは、美少女。背が大きいわけではなく活発な様子を受ける体型であるが、その実、職業は声優という。
こうして描写してみると非常にアンバランスな彼女。
水野雫であった。
「こら、だから凪城くん。雫って呼ばないと」
「いや、無理ですって……」
芸能人に呼び捨てなんて、なかなかできるものではない。琴葉や美麗やあずさに関しても呼び捨てでため口になるまで1年はかかったはずだ。
まあそれは彼女たちが芸能人という以前に手のかかるやつらという印象の方が強いからだが。
そんな俺たちの会話に、他の4人は置いてけぼりだ。声優という職業は顔もセットで知られている人は少ない。
最近は声優も表に出ることが多くなってきたとはいえ、まだ声だけしか知らないという人の方が多い。
そんなことより、だ。
「どうしてここに……?」
「んー?」
俺があまりのも驚いていると、彼女はいたずらに成功したような笑顔で、
「えー、今日はデートの予定だったじゃん」
とさらっと言ったのだった。
「で、デート?」
その言葉に反応を見せたのは意外なことに春日井さん。
ポカンとしている。
山城達3人も呆れたような顔で、先ほどの邪険な顔を引っ込めていた。
そして一番驚いているのはもちろんワタクシ。
「で、デートおぉぉぉぉ⁉ き、聞いてないどころの騒ぎじゃないんですけど!」
「どうどう。騒いでるのは君だけだよ」
いやいや、いやぁッ⁉ 急にデートと言われて騒がない方がおかしいと思いますが⁉
「ちょ、ちょっとすみません」
バカ騒ぎをしている俺を見てようやく平静を取り戻したのか、山城が雫さんに話しかける。
「ええと、凪城くんとは私たちが大事な話をしていたところです。邪魔しないでくれませんか?」
山城はどうしても課題を俺に押し付けたいらしい。
春日井さんが巻き込まれないだろうことに安心しつつも、さすがに面倒を感じる。
だが、語調を強くして言われた雫さんの方はといえば、すぐに先ほどまで出ていた笑顔をどこかに捨て真剣な顔になる。
「真剣な話? ああ」
口調からまるで違う。いつもは余裕のある女の子という感じだが、今は戦闘モード。雫さんが怒気を身にまとっているのがこちらにも分かる。
当然山城にも。
「……っ!」
彼女は声優だったはずだ。女優ではない。
なのに。
(そんな簡単に纏う雰囲気を変えられるものなのか……!)
先ほど話していた温厚で破天荒な人物と同じかどうか、一瞬錯覚してしまうくらいには別人。
「そういえば、そうそう。さっきからなんか変なこと言ってたね」
声が違う。低く響くような、それでいて周りの空気を上から押さえつけるような。
そんな声。
その声に人格が形成されていくようなそんな感覚に、ここに居る人間はなっていた。
「悪いこと言わないから、やめときなよ。そんな、凪城くんを邪魔するようなこと、すんなよ」
「ひぃッ!」
山城は自分より背の低い雫さんから放たれたセリフに、みるみる弱腰になっていく。
かくいう俺も、あまりの迫力に怖気づいていた。
直接言われていない俺でもそんなものなのだから、面と向かって言われている山城へのプレッシャーはこの比ではないのだろう。
「ほら、もしまだ凪城くんにやらせようっていうなら、このボイスレコーダーを大学側に提出するから」
そう言って再生ボタンを押すと、そこからは先ほどの会話が流れてきた。
どうやらずっと俺たちの会話を聞いていて、タイミングを見計らって入ってきたらしい。
「わ、わかりました……! 分かりましたからぁ……」
とは言っても、それはもうだめ押しに過ぎなくて、山城達にはもうこれ以上関わろうとする気が無かったようだった。
若干目が潤んでいる山城を先頭に、彼女たちはキャンパスの外へと走っていった。
「あ、ありがとうございます……」
「あはは。いいってことよ!」
俺が雫さんにお礼を言うと芝居じみたリアクションを取る。
そこに先ほどの刺すような雰囲気は感じられなかった。
「あ、あのう……」
そこに春日井さんが入ってくる。
「す、すみませんが、貴方はどちらさまなのでしょうか……?」
春日井さんはまだ先ほどの雫さんの姿が脳裏に焼き付いているのか、おずおずと尋ねる。
「あー、言ってなかったね。私の名前は水野雫です。なんと、凪城くんの彼女!」
「ええぇっ⁉」
「というのは冗談なんだけどね」
適当に冗談を言うのはやめてもらいたい。隣で春日井さんがびっくりしすぎて腰を抜かしているから。
どうやら彼女は奔放な性格の持ち主のようで――と言っても最近のラインの会話で分かっていたことだが――簡単に適当な発言をしてしまう。
まあ大事なことは言ったりしないので大丈夫だとは思うが、なんとなく不安である。
「まあ、それより凪城くん、いや凛くん!」
「なんか勝手に呼び方変えましたね⁉」
「デートだ!」
「聞いてないし!」
でーと、でーと、ともう本人は行く気になっている。
既に行き先は決まっているようで、電車の路線を確認しているようだが、待ってほしい。
「あの、自分この後に春日井さん、ああこの女性と一緒に課題をやる予定があるんですが……」
「なにぃ⁉ せっかく追い払ってあげたのに、まだ課題があるのかね!」
あちゃーと言って頭を抱えている。
本当によく表情が変わる人だ。
「くー……。次の休みは再来週だしなぁ……むむむ。どうしたものか」
さすが人気声優、どうやらスケジュールは埋まっているようだ。
というかそもそも、そんな人とデートに行くなんてダメだろ。事務所がオーケーしないと思うんだけど……。
そういうわけで、彼女の計画がとん挫したと思った瞬間、思わぬところから助け舟が出た。
「あ、あの。べ、べつにわたしは、いいですよ? その、明日とかでも」
春日井さんだ。どうやら一緒に課題をやる予定を明日に延ばしてもいいという。
だが、これは雫さんへの助け舟であると同時に、俺に困難を与えるものでもあった。
(ちょっと、春日井さん⁉ で、デートとかしたことないんですけど。は、初めてがこんな美人とか、というか雫さんとか、絶対に無理なんですけど失敗するんですけど‼)
先ほどからダラダラともっともらしい理由を書いていたが、結局はデートにビビっているだけである。
だが、春日井さんも百パー善意なので責めることは当然できない。
「よし、決まりだね!」
こうして、ゲリラ的に雫さんとのデートが決まってしまったのであった。
いや、デートなんかじゃ決してないと思うけど‼
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます