第40話 琴葉の思い
「どうしたの、凛くん? 最近大変そうだけど」
「あ、ああ……少し心労が、な……」
疲れながら洗濯をしていると、ソファで台本チェックしている琴葉に声を掛けられる。というかなぜ彼女は我が物顔で俺の家にいるんだろうか。
いや、たしかに今は家賃を代わりに払ってもらってるけどさ!
「どうしたの? また課題がいっぱいあるの?」
「あ、ああ。課題の方は一応何とかなってるんだが、それよりだな」
あれから毎日のように雫さんから夜に電話がかかってくる。
彼女も忙しいのであまり多くの時間を割くことが出来ないらしいが、器用に毎日時間を作っては電話をかけてくれる。
「なに? 寝不足なの?」
「まあ、寝不足と言えば寝不足」
電話自体は10分か20分、しかも11時より前なのでそれで寝不足になるわけではない。
さすがに彼女もプロなので寝不足で仕事のクオリティを起こすようなことはしない。
でも、僕はただの大学生。
――夜に美少女のしかも甘くとろけるような声を聞いて、すぐに寝れるような男ではないのだ。
元から好きな声で、応援していた声優さんだったのがダメだったみたい。永遠に声を聞いていられるが、頭の中で残響が残って気が散る。
夜に寝れん。
「大丈夫? 寝不足は体に響くよ?」
「あ、ああ……」
そう言いながら、夜の9時になっても帰ろうとしていない琴葉。
彼女の家も都内にあってここから電車を使っても20分ほどなのでいいのだろうが。
ちなみに別に彼女の家に行ったことがあるわけではない。俺は潔白です。
「――ふーん。なんか、隠し事をしているような」
「い、いえ? 別に?」
相変わらず勘の鋭い琴葉に肝を冷やしてしまうが、幸いに彼女はすぐに台本に赤線を入れる作業に戻った。
もしかしたら実は忙しい状況なのかもしれない。
「おい、琴葉は大丈夫なのか?」
「わたし? わたしは……大丈夫だけど」
すると、悩むようなそぶりを一瞬見せたような気がするが、すぐにいつもの凛々しい顔に戻る。
何かしら悩みはあるようだが、言えるようなことでもない。そんなところだろうか。
それならば俺が深く聞き入るようなことではない。彼女はプロで、俺にアドバイスできるようなことは何もないからだ。
「はぁ……」
ため息をついて、ちょっとコーヒーでも飲もうかと思ったその時。
――ぶー、ぶー。
携帯電話が鳴る。アラームになっているので、活発な着信音は鳴らない。
だがその静かな音が、僕の頭に警告を送る。
(あ、雫さんだ。……雫さんだァ! やばいやばいあばばばばばば)
いや、落ち着け。琴葉も他人の携帯を見るほど悪い奴ではない。今は丁度忙しそうだし、何気ない顔で取りに行けばいいのだ。
目標、机の上。狙いよし。進軍!
さりげなく携帯を取って、一度電話をスルーしたのちに雫さんに「今日は無理」だという旨を伝えればいい。うん、完璧。
さてさて、携帯を回収して、と。
「凛くん、鳴ってるわよって……え?」
琴葉は親切に俺の携帯を手渡そうと、携帯を取った際に見えてしまったのだろう。
『水野雫さん が 着信中です』
その表示を見て、そして一度顔をぺちぺちと叩いて整える琴葉。
ちなみに僕はもうお手上げ状態。
「あのう……琴葉さん?」
「うんうん、ちょっと待って、思い出すから」
一心不乱に頭を働かせる琴葉。もう台本はひざの上に置いてある。
そこからうー、と彼女は唸りだした。その様子を砕いた表現で表すなら、「うー、あとちょっとで思い出せるのに」である。
「あっ」
思い出したらしい。
「声優の子だ。前に会ったことある、その子」
どうやら水野雫と白川琴葉は面識があったようだ。あら不思議。
「たしか、最近売れてる声優で、顔がかわいくって、声がかわいくって、でもお芝居になるとすごく真剣で」
ふむふむ。
「それでたしか――風城冷のことが好き、だったかな?」
ぎくゥ‼
「そうだそうだ、いつか会いたいとか言ってたね」
うんうん、言ってた言ってた、と納得している琴葉。おーおー、納得してくださいましたか。
「よっし、凛くん。何があったのか、全部、正直に、話してもらおうか?」
納得してくれていませんでした。
とは言いつつも、ある程度は理解してくれた。
最初彼女は、俺が風城冷の名前を使って彼女に言い寄ったのだと思ったらしい。
俺が一定レベルのオタクであることは、琴葉も知っている。
だから俺と雫さんが面識があるのは、俺が自分の作曲者としての顔を使ったのだと思ったらしい。
だからその誤解が解けて、少しは彼女も機嫌を持ち直した感じである。
なぜ俺が彼女の機嫌を取らなければいけないのかは分からないが。
「で、なんでその彼女から電話がかかってくるのよ」
「いや、まじ成り行きなんすよ……」
電話の始まりは、些細なことだったように思う。
ラインで会話をしていたのだが、彼女に対して演技で気を付けていることなどを聞くと、「長くて説明しづらいから電話してもいいかな?」という流れになった。
それから、ラインではなく電話をするようになっただけである。
「ほうほう、凛くんから彼女に電話をかけているわけではないと」
「そうです、そうです」
「じゃあ、別に彼女と電話したいわけじゃないと」
「……」
「はい、だめ」
だってぇ。電話とまではいかなくても、声聞きたいじゃん……。仕方ないじゃん……。
「反省ゼロ、か」
「してます、してます!」
何を反省すればいいのか、イマイチわからないが。
彼女との電話で寝不足になっていたことか、彼女と電話していることを琴葉に黙っていたことか。
「……はぁ」
俺の反省の色が見えないとみるや、琴葉は大きくため息を吐く。
そして、唐突に語りだすのだ。
「私もね? 別に凛くんが誰と付き合おうが、いいのよ」
「へ?」
なんか意外だった。
いやもちろん、琴葉が俺などという一般人にそこまで肩入れしているとも思っていなかったけど、今までの態度から、そういった異性との交遊は慎んでほしいのかと思っていた。
だが、違うと言う。
「凛くんはね、そりゃ顔も良いし性格も良い。本当だったら高収入。女性から見たら物件としては文句なしなのよ」
それはさすがに持ち上げすぎかなと思ったが、伝えたいことは別にあるようなので黙る。
彼女は女優らしく、オーバーに身振り手振りをしながら説明を続ける。
「でもね、凛くんはまだ自分とすら向き合えきれてないじゃない。将来どうするか、とか。どういった未来を求めるのか、とか」
家族と幸せを築きたい。仕事で一躍有名になりたい。そういったなんでもいいようなビジョンが無いのだという。
「別に、今すぐに向き合えって言ってるわけじゃないよ? 大学生の間でも、社会人になってからでも、人生は長いからね。いくらでも取り返しはつくのよ」
社会人になってからでも、やりたいことが見つかったのなら挑戦すればいいと言う。
「だけどね、それは凛くんの夢であるべきであって、誰かの夢になっちゃいけない。誰かに人生を影響されるのはいいけど、誰かに人生を乗っ取られちゃいけないの」」
一言一言、琴葉の真剣な言葉が俺の胸に届く。
何か一つを極めた彼女の言葉は俺にとって重かった。
「だから、女性を好きになるのもいい。どこの誰かも知らないような人と結婚してもいい。だけど――その相手は自分のことが好きな人間にしなさい」
自分。風城冷ではなく、凪城凛。
「そんなんじゃ、うっかり彼女に惚れられたからって、音楽家を目指すことになるから」
それはあまりにも甘い考えで、淘汰される対象になってしまうから。
どの業界も、甘くない。目に見えるだけの甘い汁は、その奥の何百倍もの辛い苦汁の果てにあるのだ。
「だから、凛くんは自分を愛する人を愛した方がいい。そして、自分の道を見つけるといい」
ちょっときざなことを言いすぎたと思っているのか、最後に琴葉はにこっと笑いながら、
「私も手伝うから」
と言った。
彼女の言葉は、俺の頭に残って、その日は寝不足になった。
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