第38話 菫との共闘
「よーし、今日の授業はここまで」
ふー、ようやく大森先生の90分の授業が終わった。
大学の授業というのは通常90分で、普通は集中力が持たないため合間に雑談やら何かしらの息抜きがあることが普通だ。
しかし、大森先生の授業はその90分をフルに使いきって、後には塵一つ残さないような絶望的なまでのスパルタである。
だから大森先生の授業はしばしば大学生の間ではハズレなんて言われることもあり、今回のゼミも定員割れで多分ここにいる人間の半分くらいは抽選漏れではないだろうか。
現につまらなさそうに寝ている人ばかりだ。起きてるのは……春日井さんとイケメンの早坂くらい。
まあ大森教授の授業は体力勝負だからしょうがないところもあるけど。
「今週のレポートは今日やった範囲をまとめて、自分たちの意見を書いてくることだからな」
教授はさらっと言い、去ってしまった。
その後、グループの間で話し合いをする――わけでもなく、授業後1時間くらいに連絡が入り、今度は前よりも俺の担当する範囲がさらに広がっていた。
「はあ、今日は残ってやってくか……」
家でやろうとすると、どうしても曲を作りたくなってくるという誘惑があるので、今日は終わらせるまで帰れないという自分を縛る意味でも大学の図書館に行くことにした。
ぴっ、と学生証を通すと音が鳴る。
割とセキュリティはちゃんとしているのがこの大学。
蔵書数は国内でも有数の数で、中には本当に必要なのか? と言いたくなるような本なんかも存在する。日本書紀ならまだしも、漢書とか読む人いるんだろうか。
「ふぇー。この量はさすがに……」
この量、さすがにきついものがある。
ただでさえ大森先生の授業はレジュメが多くて見るところが多いのに、その半分以上を一人でとなると、しんどい。
「あーあ、やるしかないよなあ……」
「あ、あのっ!」
ぶつくさと独り言を言っていると、急に後ろから話しかけられて思わず驚いてしまう。
「か、春日井さん……?」
「あ、すみません……」
大きな声を出してしまったことを謝る春日井さん。さすがにあの声は大きくて館内に響いていた。
少し恥ずかしそう。
「あの、どうしたんですかこんなところに?」
「い、いえ!べ、別につけてきたわけでは……!」
「いや、そういうことじゃなくて。あと、落ち着いて」
「ひぇ⁉」
あまりの動揺っぷりに思わず肩に手を置いてしまったが、どうやら逆効果。
そりゃ、こんな男に近寄られたら怖いわな。
「で……どうしたの?」
ようやく落ち着いたと思われたので、慎重に春日井さんを刺激しないように質問してみた。
すると、ようやく対話が可能になったようで、丁寧に答えてくれた。
「私、いつもここにいるんです。図書館って静かですごく楽なんです」
ふむふむ。なんか悪い意味じゃないけど、イメージ通りだった。
「それで、今日もいたんですけど、今日は凪城くんが来たのが見えたので……」
そこでなぜか申し訳なさそうな顔になる春日井さん。
それから少し間をおいてぽつりぽつりとブツ切れに話す。
「今日も、みんなが凪城くんに課題を押し付けてたから、わ、私、手伝わないとって!」
どうやら、大量に課題を押し付けられた俺を見て正義感に駆られたらしい。ふむ、普通に嬉しい話だ。
というか、春日井さんは気は弱いけどすごくいい人なんだな、と上から目線に思う。
「じゃあ……お願いしても、いいですか……?」
そんな優しい春日井さんに敬意を表しながら、急に敬語になる俺。
女性慣れしていない男のよくあるパターンである。
春日井さんは、俺の返事を聞いてぱっと笑顔を花咲かせ、
「が、頑張りましょう!」
と、おどおどしながらも拳をつくって弱弱しく右腕を上げた。
春日井さんに手伝ってもらうと、案外1、2時間程度で課題は終わってしまい、まだおやつの時間である。
「春日井さん、ありがとう。あと3時間くらいかかる予定だったんだけど、助かったよ」
「いえ! こちらこそ、凪城くんがどうやってレポートを作っているのか学べてよかったです!」
というわけで、おやつの時間らしく大学の近くにある喫茶店に来ていた。
暖色系の照明を使った、落ち着きのある空間だ。下手にきっちりした内装ではなく、アンティークなインテリアを基調とした隠れ家のような雰囲気だ。
俺もたまに疲れた時や息抜きをしたいとき、または家にいないという理由を作るときに来たりする。
「それにしても……こんなところがあったんですね。知りませんでした……」
そして、最初は男と二人で喫茶店ということにおっかなびっくりしていた春日井さんも、ココアを飲んで一息ついたところでようやく慣れてきたようだ。
というか大学生になってココアって、かわいいな。
「こういうところはよく来るの?」
「そうですね……。喫茶店とかは好きなんですが、あまり一人で来ることは……」
「へぇ。喫茶店とかに居そうな雰囲気だけど」
図書館も似合うが、喫茶店も似合うな。
真剣にレポートを書いていた時は、彼女の細いフレームの眼鏡がクールな雰囲気を出していたが、こういったところに来てにこやかに微笑を浮かべているときはかわいらしい高校生なんかに見える。
髪が長く二つに縛っておさげにしているが、他の髪形も似合いそうな感じ。よく見れば目鼻立ちは整っているし、普通にかわいい部類に入ると思う。
「な、なんですか……? わ、わたしの顔に何か……?」
「あ、ごめんごめん。ごめんなさい」
あまりにまじまじと見詰めていたせいで、春日井さんが恥ずかしそうに顔を逸らした。
と、その彼女が急に何か思い出したように、申し訳ないといった顔をする。最初に図書館で見せた顔と同じ顔だ。
「その……すみません……。凪城くんがいっぱい課題を押し付けられて、あんなのズルなのに、何も言えなくてごめんなさい……」
何かと思えば、課題のことについて心を痛めているようだった。
「でも、今日は手伝ってくれたじゃん」
「本当は平等にやらないといけないと思うんです……。それに、人に押し付けておいて知らん顔して遊んでいる彼女たちのことを考えると、なんだか怒れてきちゃうんです……」
春日井さんの見たことのない顔。それはたしかに怒りを露わにしたような顔で。
だから彼女が怒っているのに、俺はそんな顔をするんだなあと他人事のような感想を持ってしまっていた。
そして、最後に彼女は、
「わ、わたしこれから毎週、手伝いますからっ!」
と励ましのような慰めのようなことを言ってくれた。
その優しさは、純粋にありがたかった。
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