第10話 喫茶店にて

 というわけで携帯を無理やり買わされた、いな、買ってもらった俺は色々と疲れたので春下さんと近くの喫茶店に入った。もちろん俺のおごりの予定だが。


「まったく、まさか春下さんがそこまで強引な人だとは思わなかったですよ」

「いえいえ、あれは凪城さんが駄々だだをこねすぎていただけです」

「さすがにその理論はおかしいと思いますが……」


 この人、実はおかしいのではないか、と思うほどには第一印象から彼女に対するイメージが変わった。


 最初はもう少しおしとやかで周りに気を遣えるような優しい人だと思ったのに……。


 いや、実際には優しく気が利くタイプの人間なのだろうが、どうやら相手を選ぶらしい。どうも、選ばれませんでした。


「ところで凪城さん。ライン交換しませんか?」

「ライン?」


 ラインとはあれか、メールの代わりに新たに発展したとかいう、コミュニケーションツールのラインか。なんだか久しぶりに聞く単語だな。


「さきほどアプリを入れておきましたから。ほら、開いてみてください」


 アプリをタッチするとプロフィールを設定する欄があったので、とりあえず『凪城 凛』という名前と、アイコンをピアノの画像にしておいた。


「……えらく質素しっそですね」

「え、こんなもんじゃないのか?」


 不思議がる俺を前にささっと携帯を取り上げた春下さんは、なにやら素早く設定をすると俺に携帯を返してくれた。


「私を友達登録しておきましたから」


 そう言って携帯の画面を見るように促す春下さん。


 目を落とすとそこには「『鈴音』が友達になりました」と出ていた。


 おお……もしかしてこれは。


「女子のメアドをゲットした、と言ってもいいのでは?」


 女子と一概いちがいに言っても、彼女は天下のスーパーアイドルだが。


 だが俺の発した単語を聞いて、春下さんは口もとを押さえる。


「メアド……。ふふ……っ! その言葉は古いですって……っ! 凪城さんは10年前からでも来たんですか?」

「失礼な! 時間移動なんて『シュタゲ』じゃあるまいし! あ、でもシュタゲはメアドの時代か!」


 補足をすると、『シュタゲ』は10年前くらいにできたアニメである。原作はゲームなのだが、とても面白いのでアニメからでも見ると良いと思われる。


 そしてどうやら春下さんには『シュタゲ』が伝わったようで、とてもウケている。相変わらず笑いのツボが浅い。


 あ、そういえば。


「なんであんなに強引なことまでして携帯電話を買ってくださったんですか? 仕事の話ならメールで済むと思いますが」


 まだ聞いていなかった、携帯を僕に持たせる理由。


 特に携帯を持たなければいけない理由も思い当たらないし、春下さんが何を考えているのかも分からない。


 そう思って尋ねてみたのだが、彼女は何故かあごに手を当てて考え始めてしまった。


「そういえば……なんででしょう?」

「いや、知りませんよ!」

「何か恩返しをしたいと思って、でもお金は受け取らないって言うから……。でもなんで携帯なんだろう? 特に携帯である必然性もないし」

「ないんかい!」


 おっと、ボケみたいなのが飛んできたから反射的にツッコんでしまった。いけないいけない。注意しないと。


「――なんでしょう、悪戯いたずら、ですかね?」

「ずいぶん手の込んだ悪戯ですね!」

「――悪戯じゃないなら、パワハラ?」

「いつから俺とあなたとの間に上下関係が出来てるんですか!」

「――凪城さんの困る顔が見たかった?」

「なかなかいい性格してますね⁉」


 春下さんは大笑いしているが、こちらは真面目なんですけど! というか、こういうくだり何回目だよ!


「まあ冗談はさておいても」

「冗談だったんですね、安心しました」

「本当に理由が分からないです」


 ……大丈夫だろうか、この人。


 と思ったが、彼女は答えを見つけたようだった。


「しいて言うなら……」

「なら?」

「携帯を持っていないと言った時の凪城さんの目が寂しそうだった、ですかね」

「…………」


 寂しそう、か。


「なんとも僕からは一番遠そうな感情ですけどね」


 あまり感じたことのないたぐいのもの、だと思う。ここ数年に至ってはそのような感情があることを認識したことさえない。


 だが、春下さんは。


「私は、凪城さんにとって一番親しみのある感情だと思いますね」

「なんですか、僕がぼっちだって言いたいんですか?」

「いえいえ」


 こういう時の彼女は笑わない。なんとなくそんな気がしたし、実際――そうだった。


 そして彼女は神妙な口ぶりでこう説明する。


「親しみのある、というと語弊ごへいがあるかもしれません。……ただなんとなく、一番寂しさという感情をしていて、そして一番していないのが凪城さんだと思います」


 この彼女の発言を理解するには、俺にはまだ知らないものがたくさんあったように思う。


 感情について深く考えたことはなかったし、「理解」と「実感」という二つの現象について、ほぼ同義どうぎだと感じていた。


 ただ理解はできなくても――心のどこかに引っかかるものがあった。


 そしてそれが、作曲家としての凪城凛をさらに高い次元へと連れていくことを、この時は誰も知らなかった。

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