第9話 春下さんとデート⁉
「それで、話は少し変わりますけど、これを機に復帰されるんですか?」
「はい、そうですね」
はい、そうですねとさらっと言っている彼女だが。
……もしかしてこれ、トップシークレットというやつでは?
「聞いといてなんですけど、それって僕に話していいやつですか?」
「ふふっ。大丈夫ですよ。もしかして、
「い、いえそういうんじゃなくて、ですね。あの
どれほど大ニュースかが、本人には分かっていないらしい。
――大ニュースと言えば、その春下鈴音と同じ部屋で二人きりというこの状態もかなりマズい状況だと思うけど。
とかこっちが慌てている中で彼女は相変わらず笑っている。呑気なものだ。
「あ! もちろん
「分かってますって。いったん落ち着いてください」
「ついでに俺の名前も口外しないようにしてくださるとありがたいです!」
「はいはい、
初対面の時に言い忘れたことを、付け足すように言う。芸能界を経験したことある人だから大丈夫だとは思うが、一応念のためだ。
忘れていると言えば、何か忘れているような。
あ!
「話を
「いえ、だから、なんでしたっけ、ほら、CDを渡しに来たんですよ」
「取ってつけたように同じ理由を口にするなー! ……本当は何か用があったんでしょう?」
思わず大きな声を出してしまった。しかも敬語が外れかけていてまずい。
幸い、春下さんの方は笑っているだけだが。
「まあたしかに、
「最初からそう言ってください……」
とうとう白状した彼女は、てへっと笑ってごまかしている。つくづく彼女は多彩な笑顔の持ち主である。良くも悪くも。
「で、要件はなんですか?」
少し落ち着いたところで尋ねてみる。
「そうですね。一つは曲の感想を直接もらいたかったからですが……」
ふむふむ、そういう人は音楽をやっている人には多いからうなずける。字面の感想より直接でなければ伝わらないことがあるというのは、真理だと思う。
と、真面目に考えながら彼女の話を聞いていると、ふと彼女はにやりと笑う。
まるで、今から
「ねえ、凪城さん」
心の中の
「今からデート、しましょうよ」
ほらな。やっぱりろくな事じゃなかった。
7月中旬。真夏の最中。
俺と春下さんは秋葉原の携帯ショップに来ていた。
……は?
「なんで俺がこんなところに」
「凪城さんの携帯を買うためですよ」
「いやだから要らないって」
「ささ、早く入りましょう」
俺の話を聞かずに店の中に入っていく春下さん。この暑い中ひとりで外にいるわけにもいかないので、彼女に続くしかなかった。
「いらっしゃいませ~。機種の変更でしょうか?」
「いえ、新しく買いにきました」
「え? そうですか? 珍しいですね!」
軽く女性の店員とコミュニケーションを取る春下さん。愛想よく笑う春下さんに店員も和やかに対応する。
「それで、お客様のもので良かったでしょうか?」
「いえ、こちらの人のなんですけど」
「ほ?」
春下さんに紹介されて、
だが、店員の方はそれをどう捉えたのか分からないが、突然ニヤニヤし始める。
「あらぁ~、そうでしたかそうでしたか。それでは案内させていただきますねぇ~」
「は、はい。お願いします」
何だこの人。よく分からないが、なんだか楽しそうである。
そして先ほどまで隣にいた春下さんはというと、いつの間にか携帯の色を見ていた。
「ねぇ、お客様?」
「は、はい?」
そして周りを見回しているうちにいつの間にか急接近してきた店員さんが手で声量を落としながら尋ねてくる。
「あの方は、か・の・じょ・ですか~?」
「えっ、えぇぇ⁉」
「とっても美人さんな彼女ですね~。どうやって落としたんですか?」
「お、落とした? いや、だからっ、彼女なんかじゃ」
「どうかしましたか、凪城さん?」
「ふぇ⁉」
僕の大きな声に反応したと思われるが、急接近してきた春下さんが会話に入ってくる。なんだ、どいつもこいつも
「いえいえ、なんでもないですよぉ~? ささ、こちらで案内させていただきますから、お連れの方は店内を自由にご覧になってください~」
「そうですか、お願いします」
ぺこりと頭を下げてまた戻っていく春下さん。ちょっと待って、あなたのせいで俺は誤解を解くタイミングを失ったのですが……。
「では、こちらの方へ腰かけてくださいね~」
もはやどうしようもない俺は大人しく店員の言うことを聞いていた。
(むぅ、どうやって断ろうか……)
店員さんの説明を聞きながら、俺はそのことについて考えていた。
携帯電話を新しく買って諸々を登録することは、自分の思っていたより安かった。ふむ、これならと思うこともあった。
それでもデータ通信料で月額で取られるというのはやはり、貧しい俺には悩ましい問題だった。そもそも携帯が必要になる相手もいないことだし、払った分を使えるかと言ったら、やはり契約するのはやめようという結論に達する。
ただ、やっぱり春下さんに連れてきてもらった手前、断り辛いのもたしかであった。熱心に説明してくださっている店員さんにも申し訳ない。
(まあ、お金がないのでと正直に言えばいけるか)
説明を終えた店員さんにそろそろ話を切り出す。
「あの、大変申し訳ないんですが」
「じゃあこっちのプランでお願いします。色はこれがいいと思います」
と、またも俺の話を
「ちょっ。待ってください春下さん! 俺はお金がないので」
「大丈夫ですよ、私がお金を出すので」
「はぁ⁉」
春下さんがあまりにも突拍子のないことをが言うので、思わず大声を出してしまう。
「なに、トラブル?」
「ちょっと、かわいい子が
周りのお客さんの中には通報しようとする人もいたが、それは店員さんが説明してくれたのでなんとかなった。
それはそれとして。
「急になに言い出すんですか、春下さん!」
「いえ、だから私が払うと」
「忘れたんですか、春下さん! お金はもらわないって言ったじゃないですか!」
とぼけようとする春下さんに、俺は釘をさす。たしかに言ったはずだ。仕事じゃないからお金はもらわないと。
だが、彼女はそんなこと知ってますと言わんばかりの顔で。
「ええ、覚えてますよ。お金はもらわないと言ってましたね」
「なら」
「でも今回私が凪城さんに渡すのはお金ではなく携帯電話ですよ?」
「なんて
どこか自慢げにしてやったりという顔をしている春下さんだが、完全に屁理屈である。詐欺師が言いそうなまでの、トンデモ理論である。
「そんなの認められるわけないじゃないですか!」
「ふふ~ん」
上機嫌な春下さん。何をそんなに機嫌がよくなることがあるのだろうか。
……というか。
「春下さんもあんまりお金がないって言ってませんでしたっけ」
記憶が正しければそんなことを言っていた気がする。あまり言うべきことでもないのだろうが、なりふり構っていられない。
だが、それも春下さんは織り込み済みだと言わんばかりにすぐに返してくる。
「貯金を全額出してきました。さすがに今は辛いですが、すぐにお金は入ってきそうなので。『間違いなく、売れる』らしいですし?」
「クッ!」
完全に春下さんに押し切られるペースだ。なんとか言い返さないと。
――だが無情なことに彼女からのダメ押しが入る。
「諦めてください。どれだけ凪城さんが嫌でも関係ないですから。今この場で買わないと言っても私が買って凪城さんの部屋に送り付けますから」
どうやらもう手はないようである。完全に負け
「お金は出世払いでお願いします‼」
せめての負け犬の遠吠えだ。
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