第6話 巽美麗
夕暮れ時になってきたので、いったんレポートの方をやめて夕食づくりに移行する。
ご飯を作ると言っても別に特段おいしいものを作るわけではなく、少々味が悪くても栄養面だけ考えて野菜を炒めたり米を炊いて味噌汁を作るくらいである。
「さて、いつも通り1合炊けばいいかな~っと」
とお米を軽く洗っていると、ふと異変に気が付いた。
玄関でガタガタと音がする。
「この音は……」
宅配ではない。宅配ならまずインターホンを押すはずだから。
というか、人の部屋に押しかけてきてインターホンを鳴らさずに入ろうとする人間を、俺は
「
慌てて手を拭いてドアを開けに向かう。
扉を開けるとそこには思い描いていた人物がいた。
長く川のように流れる鮮やかな黒髪と、肩に
「おそい」
「人の部屋に来て遅いはないと思うが……」
「はやく」
「はいはい」
俺よりも年上であるはずなのに、このコミュニケーション不足の会話。
ただ、彼女に関してはこれが普通なので俺もいちいち指摘することもなく玄関に上げる。
すると、
「はぁ……。まあいいか」
気にせず夕食づくりを再開しようとすると、美麗から声をかけてきた。
「ごはん?」
「ああ、そうだ。そろそろご飯にしようと思って」
「わたしもおなか、空いたんだけど」
「……」
だけど、ってなんだ。だけど、って!
「いつから俺はお前の召し使いになったんだ⁉」
「うるさい。おなかすいたって言ってる。はやく」
「あーもー! 分かったわ!」
どうにも折れなさそうな美麗に、こちらはギブアップである。
「その代わりおとなしく待っとけよ!」
仕方ないので、米を二合炊くことにする。別にご飯は2人前作ってもそこまで手間はかからない。
ただ、わがままを許しすぎている気がするのは、良くないと思われる。
「つーか、あんまり家に来るなって言ってるよな?」
ご飯を食べながら、話題に困った俺は美麗が来てからずっと言いたかったことを口にした。
家に来るなと言ったのは、なにも数回のことではない。何十回、下手したら何百回は言っている。
だが、彼女は俺の話を聞いてもポカンとして、気にせずご飯を食べ続ける。
「うまい」
「ありがとう、じゃなくてだなぁ! 前にも言ったけど、前も同じ反応だったよなぁ!」
「だから凛、うるさい」
「うるさいじゃねーっつーの!」
これはまた来る気満々のやつだ。言っても聞かん。
はぁ、っと俺はひとつため息を
「分かったから、もう。今度から来るときはメールでもなんでもよこしてくれ」
「はーい」
この手ごたえの無さ。外見のその大人っぽさと反して、中身の子供っぽさは知る人も少ないのではないか。
巽美麗。
5年ほど前に高校生でデビュー。その圧倒的歌唱力と力強い声に目を付けたプロデューサーによって、始めはアニメソングでデビューをしたが、そののちに有名なドラマの主題歌を歌ったことで人気爆発。
俺はその人気絶頂の流れにあずかり、彼女に曲を提供させてもらった。と言っても向こうのマネージャーからオファーがあったわけだが。
彼女は自分でも歌詞を書くのだが、最近は作曲にも興味を持ち始め俺の家に来ては作曲風景を見てあれこれと質問をしに来るようになった。
彼女も女優の琴葉と同様、テレビに出ることがあり顔が売れているのであまり男の家に入らない方が良いと思うのだが、本人は聞く耳を持たない。
というか、彼女も彼女でとてつもない美人で、自分の2つ上なのだがそれ以上の
――まあ、俺も男だということよ。
「凛、食べる手がとまってる。わたしが食べさせてあげようか?」
「い、いらん! お前もさっさと食べたら帰れ!」
「寝袋もってきたからとまってく」
「はぁ⁉ だ、男女が同じ部屋でとか、ダメに決まってるだろ!」
「きにしなくていいから」
いや、それは無理だろ……。気にするだろ……。
「わ、分かったから、どうしてもここで寝るってんなら、俺が出てくから! 近くのホテルにでも」
「でも凛、おかねない」
「うるせぇ! 誰のせいで出ていくことになると思ってんだ!」
「おかね、わたすのに」
くだらない口論をしていたと思っていたら、急に美麗が寂しそうにつぶやく。
ただこの話も繰り返し行われたものだ。
「前にも言ったろ、お金は要らん。そもそも大学生とは大体がひもじいのだ。お金が無いのが当たり前だ」
「でも凛のおかげで、いっぱい売れた」
「それこそお
これは間違いない。彼女は確実に彼女の力で人気を勝ち取ったのだ。
だが、むすっとした表情で美麗は続ける。
「でも凛、この前の曲、私に歌わせてくれなかった」
「ん?」
ん? あれ? いま一瞬かなりシリアスなムードになったよね? え、そこでそれ言う?
というか……。
「まだ根に持ってんのかよー!」
「あたりまえ。一生うらむ」
相当数の苦情メールが美麗から届いたが、それでもほとぼりは冷めていなかったようだ。なんという……。
「はやくわたしのきょく、つくれ」
「だから俺はお前の召し使いじゃないんだよ!」
そういうわけで、その日は曲作りに励むことになり、しかもそれを美麗にずっと見られるという災難だった。
もちろん一睡もしていない。
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