第5話 大学内の凪城凛
俺、
というわけでもちろんキャンパスに行って、大講堂の中で授業を聞くということは何ら不自然ではないことである。
不自然ではないはずであるが。
「あ、あいつだよ。うわ、授業いっしょかー」
「夏子、聞こえるよ! しーっ! もし聞かれてたら何されるか分からないんだから、あんまり人前で言わないほうがいいよ」
不自然ではないにしても、快く思われていることはないらしい。
いや、どちらかというとただ佇んでいるだけの俺よりも、授業中に喋っている彼女たちの方が良くないとは思うけど。
ただこういう陰口みたいなものは、普段から慣れており、特にこのキャンパスではそういう扱いも慣れたものだったので、別に気にするものでもなかった。
「こら、そこ静かにしなさい」
すかさず教授が注意をすると、意外にもさらっと静かになる。
静かになった講堂で再び教授が授業を進めるので、喋った内容をノートに書き記していった。
「すみません、
「おお、凪城か。なんだ、また長めのやつか?」
「す、すみません……」
「ははっ、いいってことさ。まあ長くなるなら私の部屋を使おう。ついてきなさい」
大森教授は僕が専攻している経済学の中でも、経営者目線の指導をしてくださる先生で、授業の難易度は非常に高いがすごく深い内容まで教えてくれる人だ。
僕も1年生の頃に受けて以来、ずっとどのどの学期にも先生の授業は取っている。
30歳代前半で、さらに女性ということで、教授になるには異例のスピードらしいが、どうやら海外での功績が称えられて帰国後すぐに教授になれたそうだ。
「あ、あの!」
そこに、別の女生徒も入ってくる。
「なんだ、
「そ、そうです!」
女生徒が勇気を振り絞ったように言うと、大森教授はにかっと笑って「ついてこい」と言う。
その言葉に心底安堵したように、彼女は一息つくのだが、これはもう見慣れた光景だった。
彼女は春日井
大森先生の授業に魅入られた、いわば同類である。
同類なんて思われるのはさすがに嫌だろうけど。
「じゃあ、行くか」
「「はい」」
教授の後に続いて僕たちは準備室から出た。
大学の教授というのは、自宅とは別に大学に居室があることが多い。
居室と言っても別荘という感覚ではなく、ワークスペースと言った感じ。
大森先生の場合は本が積まれていて、講義用の資料で散乱していたりと雑多な部屋になっている。
「飲み物は熱いお茶でいいか?」
「ありがとうございます」
「あっ、すみません」
なぜすみませんなんだ、といつも思うが春日井の場合はそれが一番最初に出てくる設定になっているのだろう。
それはともかくとして。
そこから数十分、俺が質問をすると教授はすぐに答えをくれるのではなくヒントを与えながら自分で答えを導き出せるように手助けしてくれた。
時には春日井とのディスカッションのようになることもあったが、その時は先生は口を挟むことなくこっちの話を楽しそうに聞いていた。
たまに普段大人しい春日井がヒートアップするとこちらも熱くなってしまって先生に宥められたりするが、とても楽しい。
数十分したところで先生がご飯の差し入れをくれたタイミングで、いったん話は打ち止めになった。
「そういえば、また授業中になにか噂されていたようだったな、凪城」
「ああ、そうですね。まあいつものことですし」
「ああいう外見だけで人を判断するのは良くないんだがなあ。な、春日井」
教授が春日井に振ると、春日井はこくこくと頷く。
「良くないんだがなあ、と言いながら、まあぶっちゃけ
「先生、それは職権乱用です」
先生も昔から「女性だから」という理由で色々と苦労したことがあるそうで、偏見に対してはいつも怒りを
それでも、単位を落とすのはどうかと……。
「なーに、レポートの内容が酷かったとでも言っておけば落とせるのさ」
「そんなことを生徒に言っていいんですか。俺も怖くなってきたんですけど」
冷静なツッコミを入れる。だがそれに対し、ははっと笑う教授とくすくすと笑う春日井。
「え、なんか変なこと言いました?」
「いやいや、アホかお前は。お前のレポートで落第したら、それはもう私も大学を去らないといけない。な、春日井」
また春日井に振ると、こくこくと頷いている。それから続けて。
「凪城くんのレポート、一回参考に教授から見せてもらったんですけど。あれで私、すごい危機感持ったんですから。これじゃあ単位落とされるかもって」
「ちょっと先生、勝手に見せちゃダメでしょ」
「いやいや、どうしてもって頼まれてなあ」
「本当に、論点も整理されてて分かりやすかったですし、様々な角度から記述されていて、これと比べられたら私の単位なくなっちゃうなって」
2人でくすくすと笑っているが、俺には他人のレポートを見る機会がないので一般基準がよく分からない。だから……あまり話についていけない……。
「じゃあ先生、今度は春日井のレポート見せてくださいよ」
だから、代わりにこんな提案をしてみた。すると、教授は二つ返事で了承する。
「おーし、いいだろう」
「だ、だめっ! せんせい、ダメだよ?」
必死な目をして抵抗する春日井。大森教授は気まぐれなのでしっかり抵抗しないと気分でやらかしてしまう。
だが、教授はそれがさらに面白いと思ったようで。
「じゃあ、付き合ったら見せてやろう」
などと突拍子もないことを言いだした。
俺と、春日井が……?
「ちょっと先生、それはないですって! なっ、春日井?」
全力て頭を縦に振っている春日井。顔を赤らめながら振っていて、さながら小動物みたいだった。
「いやいや、何を言ってるんだ、2人とも」
だが、教授は不可解そうな顔でさらなる爆弾発言をする。
「凪城、お前が付き合う相手は春日井じゃなくて、私だぞ?」
「はっ?」「えっ?」
教授の意味不明な発言に、俺と春日井は困惑する。
だがやがて二人が発言の意味を認識すると、急に部屋の温度が下がる。俺と春日井はとても冷ややかな目で教授を見たからだ。
この教授、どんだけ結婚願望が強いんだよ……!
だがその教授はというと、俺たちの反応がとても意外だったようで、焦って言い訳がましく言う。
「ほ、ほら、もう私も三十路だろ? そろそろ結婚しなきゃまずいっていうか。それに、まあ、凪城だったら頭も良いし、な?」
「な? じゃないですよォ!」
あほであった。教授は、あほであった。
独身のアラサー、おそるべし。
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