18

 

 ピンポ──ン

 間延びしたチャイムの音で、ぼくは目を覚ました。


 誰かが訪ねてきたみたいだ。

 壁かけ時計を見る。時刻は17時半。誰だろう。

 まだ仕事中の母さんでは絶対にないし、合鍵を持ってるばあちゃんは、わざわざチャイムを押さない。宅急便だと当たりをつける。居留守使ってもいいけど、一応、とインターホンの液晶画面を見て、ぼくは仰天した。


 大塚さんだった。

 腕をさすり、所在なさげに立っている。


「え、なんで、え」


 もしかして、プリントやノートを届けに来てくれたのだろうか。欠席者の家がどこかにもよるけど、届け物をする役は、ホームルーム委員にお鉢が回ってくることが多い。


 昨日の気まずいやり取りを思い出し、ぼくはおろおろその場を行き来した。嬉しい気持ちと、いまは会いたくないって気持ちの間で揺れ動く。


 少しして、大塚さんがカメラに背中を向けた。そのまま去っていく足が見える。

 ぼくは慌てて玄関に駆けた。勢いよくドアを開ける。驚いたように、大塚さんが振り返った。


「あの」


 あ、やばい。ぼく、寝間着だし、顔洗ってないし、髪もぼさぼさだ。歯磨きだって、してない。きっと、臭い。

 急に恥ずかしくなって、何も言えなくなる。ていうか、そもそも、言うべき言葉を用意していなかった。

 俯くぼくのつむじに、優しい声がかかった。


「体調、どう?」

「うん、なんとか……」


 一歩、大塚さんがこちらに踏み出す。ぼくは、一歩下がる。ドアの隙間に体を半分隠して、彼女をうかがう。


「学校便り、届けにきたの。進路調査のプリントもあるから、早い方がいいと思って」


 はい、と手渡されたクリアファイルを受け取る。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 そして、沈黙が訪れる。

 お互いに、何か言いたいことがある気がした。昨日のことだ。大塚さんは、ぼくの態度を非難して、それに対し、ぼくは謝らなければならなかった。

 でも、ごめんの一言が、なかなか言えなくて。


「じゃあ、また。お大事にね」


 ためらっているうちに、結局、大塚さんはぼくに背を向けてしまった。その間際、ぼくは初めて大塚さんの顔をまともに見た。

 泣きはらしたように、目元が赤い。

 昨日のぼくの暴言に傷つくとしても、泣くまでいくとは思えないし、佐々木先生と何かあったのかもしれない。


 佐々木先生が何かひどいことをして、彼女を泣かせたのかもしれないと思うと、無性に腹が立った。ぼくだって、ひどいことをしたくせに、自分のことは、すっかり棚上げしていた。

 いてもたってもいられなくて、気づけばぼくは、大塚さんの手首をつかんでいた。


「泣いたの?」


 うるんだ瞳がぼくを見上げた。瞳の白い部分が、充血している。

 半開きの唇が、わずかに震えていた。何か、言おうとしている。ぼくはしんぼうして、大塚さんが話しだすのを待った。


「“占いの館”知ってる?」


 占いの館。それは、ぼくが所属する占い研究部のことだ。館じゃなくて、ただの教室の一室なんだけど、なぜか、学生たちはそう呼んでいる。


 よく、知ってる。


 だけど、大塚さんが何を言おうとしているのかは、わからなかった。

 まさか、ぼくの正体を突き止めたって話ではないと思うけど。占い研究部の部室に入る時には人に見られないよう細心の注意を払っているし、変装もばっちりだから、誰にもぼくが“占い師ちゃん”であることはバレっこない。


「私ね、占ってもらいに、行ってきたの」

「うん」

「そしたらね、私の恋はかなわないって言われちゃった」


 うん───

 ぼくが、嘘で、そう言った。


「最近はね、それでも、努力したらなんとかなるんじゃないかって、その人にも、なんとか私を好きになってもらえるんじゃないかって、思ってたんだけど」


 占い、当たっちゃったみたい。


 そう呟いた瞬間、大塚さんの瞳に溜まった涙が境界線を越えて溢れだした。


 佐々木先生に告白して、断られたのか。大塚さんの失恋は、つまり、ぼくの死を意味するわけだけど。


「告白したの?」


 聞くと、ううん、と大塚さんが首を振る。ぼくが握っていないほうの手のひらで涙をぬぐうしぐさが、小さな子どものようだった。


「でも、わかるの。ああ、ダメだって、女の子にはそういうのが、ピンときちゃうの」

「そんなの、わからないよ」


 ぼくは大塚さんの手首を握った手の力を強めた。 


「わかるんだってば。“占い師ちゃん”だって、そう言ってたもん。『ぜんぜん、まったく、うまくいかない。その人を好きでいることは、いますぐやめたほうがいい』って」


 あ───っ、ぼくのバカやろう。


 うちの学園の、占い研究部を知る人たちにとって、占いは世間の誰よりも身近なもので、的中率も高いことから、みんなその結果を信用してしまう。そんなの嘘だとぼくを罵倒するやつだって、どこかで本当かもしれないと思うから、結果を否定したくて怒るんだ。

 大塚さんも、占いのおかげで恋が実ったとか、試合に勝ったとか、そういう、たくさんの噂を耳にしているだろう。そして、自分の占い結果についても信じてる。

 その占い結果が、嘘だったなんて、夢にも思わないだろう。


 あれは、嘘だったんだ。

 自分の正体を明かして、そう言えたらよかった。

 でも、言えない。それが、ルールだから。

 かわりに、荒っぽい背中の押し方しかできない。


「告白、してみたら? もしかしから、うまくいくかもしれない。占い師だって、未来のぜんぶを正確に把握できるわけじゃないと思う。だって、未来は不安定なんだ。ちょっとした選択の違いで、結果が、大きく変わるときだってある―――と、ぼくは思うよ」


 ちょっと踏み込んだ説明になったけど、これは許される範囲だろうか。


「ぼく、応援するよ。大塚さんが、その好きな人とうまくいくといいなって思ってる。頑張って」


 これで少しでも、占い結果から目を逸らしてくれるといいけど。


 結論から言えば、ぼくの後押しは見事に失敗した。

 顔を歪めた大塚さんは、彼女の手首をつかんだぼくの手をほどいた。

 地面を睨むようにして、「やっぱり」と吐き捨てる。


「やっぱり、無理だってことが、いま、よくわかった」


 大塚さんはさよならも言わずに、走り去っていった。うしろ姿に物足りなさを感じ、ああ、と思う。ポニーテールじゃないから。今日も二つ結びをしていた大塚さんの髪は前側に垂れていて、後ろに揺れる髪はない。


 ぼくは頭をゆっくりいた。

 まだ、こめかみのあたりが痛くてぼうっとする。

 ただ、思考力の落ちた脳みそでも、これだけはわかった。


 どうやらぼくは、あと5日後に死ぬ可能性がかなり高い。


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