17


 翌日、ぼくは学校を休んだ。この日は土曜日だったけど、振替授業日で本来なら、学校のある日だった。

 大塚さんに、またもやひどいことを言ってしまって、気まずいからって、ずる休みしたわけじゃないよ。

 単純に、熱を出したからだ。

 まぁ、熱が出なくても、休んでいた可能性は否めないけど。


「おかゆ作ったのが、コンロのとこにあるから。これ、ポカリね。こまめに水分補給するのよ」


 毛布にくるまってソファで眠るぼくの横で、母さんが慌ただしく動き回る気配がする。


 ふわっと花のような香りがして、目を開けると、母さんがぼくの額に手を置くところだった。熱冷シートごしに、ぬるい重みを感じる。まだ熱いね、と母さんが眉根をよせた。


「やっぱり、いっしょに病院へいく?」

「いい。寝てれば治る」


 これは、たぶん、ウイルス性の風邪とかじゃなくて、知恵熱みたいなもんだし。

 大塚さんと佐々木先生を、どうやってカップルにするか。一生懸命考えて、行動して、慣れないことをした結果がこれだ。


「そう? ごめんね、母さん、今日も夜勤だから。もう仕事へ行くけど、大丈夫?」


 こくん、と頷く。


 一度微笑んだ母さんが、横髪を耳にかけ、立ち上がる。

 離れていく母さんに、ねぇ、とぼくは声をかけていた。特に用事があったわけじゃない。なんとなく心細くて、無意識に……

 ったく、ぼくはもう高校2年生だっていうのに、一人で留守番もできないっていうのかよ。

 情けないねぇ、とばあちゃんの声が聞こえる気がした。


「なに?」


 母さんが、待ってる。しかたない。何か、話題を。

 ふと、思いついたことがあった。


「母さんは、なんで父さんと結婚したの」


 母さんは、不可解そうな、変な顔をした。そりゃそうだ。いきなりすぎる。ていうか、母親に恋愛の話を振るとか、どうかしてた。

 やっぱいい、と取消そうとする。しかし、それより早く、答えが返ってきた。


「誰よりも思いやりがあって、優しい人だったから」


 ぼくは顔をしかめた。

 なんだ、それ。


「思いやりがあるとか、優しいとか、薄っぺらくて安い言葉だって思わない? それに、父さんが本当にそういう人だったか、わからないよ」


 父さんは、天谷の男で、ばあちゃんの息子だ。人に親切にっていう天谷の精神に無理やり従わされてただけで、本当に優しかったわけじゃないかもしれない。ぼくみたいに。


「わかるわよ。夫婦だったんだから」


 だうかな、と思う。

 母さんは、天谷の秘密を知らないから。


 父さんは、母さんに嘘をついて時間を作っては、一日三人の占いのノルマを達成していたはずだ。母さんはまんまと騙されて夫は仕事が忙しいのだとしか、思っていなかった。

 ぼくが中学2年生のときに聖青葉学園に転入した理由だって、それまで通っていた公立中学校に馴染めなかったからだって、思ってる。

 母さんは、何も知らない。だから、ぼくの苦しみを、絶対に理解できない。


「本当に優しくなかったら───」

 ふいに、母さんの横顔に影が差した。

「本当に優しくなかったら、あんな死に方はしないわよ」


 やっぱり、この話題を振るべきじゃなかったなと、ぼくは後悔した。

 父さんが死んだのは5年前。

 電車のホームに落ちた酔っぱらいを助けて、かわりに自分がかれて死んだのだ。


 人に親切に。


 天谷の教えが、父さんを殺した。


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