15

 

 大塚さんは、朝から機嫌が良かった。いつも笑顔だけど、その笑顔はいつも以上に輝いている。口数も多く、友達としきりにおしゃべりしている。ちなみに、今日も二つ結びだ。

 ぼくが教室に入ると、


「あ、天谷くん! おはよう」


 ふいに食らった笑顔の攻撃に、ぼくの頬はぼっと燃え上がる。

 笑顔が眩しすぎて、太陽を直視したみたいだ。


「おはよう」


 残像にくらくらしながら、なんとか挨拶を返す。

 ホームルーム委員という繋がりが、ぼくらの距離を急速に近づけてた。

 挨拶くらいなら、もう気軽にできる。


 ぼくと大塚さんは、普通なら仲良くなりそうもない部類の二人だ。そんな二人が仲良く挨拶を交わそうものなら、クラスメイトたちから変な目で見られてしまう。だけど、ぼくらはホームルーム委員だから、話くらいするよなって、みんな納得する。誰も興味を示さないこの感じが、心地よくていい。

 つまり、何が言いたいかと言うと、ホームルーム委員は最強ってこと。


「桑原先生が、職員室にノートを取りに来てほしいって」

「わかった」


 自分の机にかばんを置いて、教室を出る。大塚さんもついてきて、ぼくはびっくりして立ち止まった。


「ぼく一人で行ってくるよ」

「だめ、重いもん。41人分もあるんだよ」

「でも」


 こういう力仕事は、男のぼくが。そう言おうとして、ハッとする。

 そっか。職員室には、佐々木先生がいる。大塚さんは、佐々木先生に会いに行く口実が欲しいんだ。一人で41人分のノートを取りに行くのは難しいけど、ぼくといっしょなら。


「わかった。いっしょに行こう」


 思った通り、大塚さんはスキップしそうなくらい嬉しそうに、ぼくと並んで職員室に向かった。


「ありがとう、取りに来てくれて。助かったよ」


 担任の、桑原先生が受け持つ社会科のノート41人分。今回はそれに加え、ワークブックの提出もあったから、プラス41人分で、合計82冊のノートを3階まで持ち運ばなければならなかった。

 職員机に着いた桑原先生はぼくらを交互に見上げてお礼を言った。それから、あめあげる、とぼくらの手のひらにいちご飴をころがす。どこか少女っぽい、桑原先生らしいチョイスだなと思った。


「授業中は食べちゃダメだよ」

「はい」


「あ、いいな。俺も欲しい」

 長い腕が伸びてきて、桑原先生の机から、ひょいと飴を取っていく。

 佐々木先生だった。

「ちょっと、行儀が悪いですよ、佐々木先生」

 ぷくっと頬を膨らませて、桑原先生が抗議する。

「すみません。でも、いいでしょ、いっこだけ」

「しょうがないな。いっこだけですよ」

「サンキュ」


 仲良く話す先生二人を、大塚さんが無表情に見ていた。


『子どもっぽい私なんて、つりあわないなって思うの』

 そう言っていた大塚さんが先生二人をどう見てるのか、かんたんに予想できた。

 二人はおとな同士だし、同い年だし、お似合いだな。私なんて……


 大丈夫だよ、大塚さん。君と佐々木先生はカップルになれるんだ。


 ぼくは、佐々木先生がわきに抱えてる本に目を付けた。教科書と黒表紙の学級日誌に重ねて見えたのは、あまり本を読まないぼくでも知ってる小説家の、文庫本の新刊だった。


「佐々木先生って、読書が趣味なんですよね」

「ああ、これ?」


 ぼくの視線に気がついたのだろう。小脇に抱えていた小説を手に取って、佐々木先生が掲げてみせる。


「富田太郎、昔から大ファンなんだ。今回の『カゲロウ』も面白かったよ。久々に泣いたな」


「大塚さんも」

 ぼくは、大塚さんに視線を投げる。

「大塚さんも、富田太郎、好きだったよね」


 大塚さんは目を丸くして、ぼくを見た。なんで知ってるの? その目がそう言っている。

 知ってるよ。だって、見てたから。


 うちの学園には、朝礼の後、15分間の“朝読書の時間”がある。その時間、大塚さんはいつも富田太郎の文庫本を読んでいた。時々、ふっと表情を緩ませたり、目の中にいっぱい涙を溜めたり、ぼくは読書そっちのけで大塚さんを見ていた。


「『カゲロウ』はもう読んだ?」

 ぼくが聞くと、大塚さんは首を振った。

 それなら、と佐々木先生が狙った通りの提案をしてくれる。

「これ、貸してあげるよ。文庫っていっても、買うと高いし、学生の財布には痛いもんな」

「えっ、いいんんですか?」

 大塚さんが目を輝かせる。それ以上、見ているのはつらい。ぼくは山積みのノートに視線をうつす。


 いいよ、いいよ、返すのはいつでもいからね。

 ありがとうございます。


 大塚さんと佐々木先生のやり取りを、ぼんやりした意識の外で聞く。


 これでまた、大塚さんは、佐々木先生に会いにくる口実ができた。おそらく、2、3日中に本を返しに来て、お礼に手作りクッキーを渡したりしてさ、仲良く感想を話し合うんだ。


 81冊の本、ぼくは60冊くらいなら持てるかな。

 山を、分ける。


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