10

 

 前の席の椅子をくるっと回した大塚さんは、ぼくに向かい合うように座った。

 すっかり人がいなくなった放課後の教室で、ぼくらはさっそく日誌を書く。


「4月21日火曜日……」


 ペンを握った大塚さんが、つぶやきながら日誌を記入していく。

 細い指が走らせる几帳面な字は、真面目な彼女らしかった。


 下を向いた大塚さんが、ぼくの視線の熱さに気付くことはない。ぼくはここぞとばかりに、彼女の顔を観察した。

 半開きになったピンクの唇はぷるっとしていて、手を伸ばせば届くと思うと、たまらなくなる。ちょっと顔を近づければ、良い匂いだってするだろう。考えただけで、下半身がうずいた。

 なんだか、変態っぽいな。ちょっと、反省。でも、見つめる。


「天気は、晴れって言っていいのかな。ね、どう思う?」


 ふいに視線が合い、どきんと心臓が跳ねた。


「あ、えと」


 見てたこと、バレたかな。

 偶然通りかかった母さんに悪さを発見されてしまったときみたいな、気まずさがこみ上げる。

 頭の中がぐるぐる回って、言い訳も出てこない。


 しっかりしろ、ぼく。大塚さんに見とれてる場合じゃないだろ。運命の日まで、あと10日しかなくて。ぼくはその日までに、どうにか大塚さんと佐々木先生をカップルにしなきゃならなくて。そのためには、大塚さんと仲良くならなくちゃで。


 何か、会話を。


 混乱のきわみに達したぼくは、とんでもないことを口走ってしまう。


「大塚さんって、好きな人いるの?」

「へっ?」


 ぽかんとした大塚さんが、次の瞬間、顔を真っ赤に染めた。


 0.5秒で失敗を悟る。


 佐々木先生のことを聞き出すきっかけとして、用意していた台詞。ここで使うべきじゃなかったのは明らかだ。だいたい、今は、天気の話をしていたわけで。


 大塚さん、こまってる。

 ぼくも、こまってる。


「くもり」

 俯いたまま、言葉を絞り出す。「今日は、くもり、だと思う」

「ああ、うん」

 くもり、と大塚さんが日誌に書き込む。


 終わった。

 完全に、引かれてしまった。

 沈黙がつらい。

 このまま当たり障りなく、日誌の話でもしていれば、ぼくの妙な質問は流してもらえるだろうか。


 居心地の悪い時間を過ごしていると、しかし、驚いたことに、大塚さんは自らぼくの質問に話題を戻した。


「好きな人、いる」


 まっすぐぼくを見る瞳には、覚悟を決めたような強い光があった。

「でも」と、すぐに俯いてしまう大塚さん。「たぶん、っていうか絶対、その人は私のこと好きじゃなくて」


「そんなことない!」


 ぼくは思わず、叫んでしまった。

 だって、本当に、そんなことない。


 ふわっと、小塚さんが笑う。


「ありがと」


 その目が疲れたように、赤い。

 ぼくの言葉は、なんのなぐさめにもならない。


 ああ、ぼくはなんてバカだったんだろう。

 ぼくはあの日、ちゃんと彼女の慰めになる、本当の占い結果を伝えるべきだった。


 傷つけて、ごめん。

 ぼく、ちゃんとするから。

 君が幸せになれるように、佐々木先生と、きっと恋人同士にしてみせるから。

 ぼくは改めて、覚悟を決めた。

 その証として、言った。


「ぼくでよければ、相談に乗るよ」


 運命の日まで、あと9日。

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