第九話 穏やかな日々、大切な物
アッシェ村での騒動があってから私は村には行ってないけれど、リリーとレイナは毎日欠かさず会いに来てくれた。
その度にお菓子を食べたり、他愛無い話をしながら穏やかで優しい時間を過ごしている。
そして今日も、コンコンとノックが響いて、そんな時間の訪れを告げた。
「魔女様おはよう!」
「おはようございます、魔女様」
「ええ、おはよう」
いつも通りの挨拶をかわして部屋に入ってから、なぜか二人がそわそわしていることに気付く。
「ねえ、魔女様ってお花は好き?」
「? ええ、花は好きよ」
あとは甘いお菓子も。なんて言ったらまた笑われそうだから言わないけど。
「よかったあ」
リリーはそう言って、両手に抱えるバスケットにかかった布をめくる。
「レイナのお家がお花屋さんでね、村の人たちから魔女様にって」
「あの人達が?」
思い出すアッシェ村の人達の顔はどれも敵意に満ちていて、目の前のバスケットいっぱいに詰まった綺麗な花には結びつかない。
「はい。あの時魔女様に助けられた女の人が何かお礼はできないかって。……全員ってわけじゃないですけど」
言われて私の後ろで子どもを抱えておどおどしていた女性を思い出す。
「あっ、あの人…………ありがとう」
リリーが差し出すバスケットを受け取ると、二人は嬉しそうに笑った。
「あっ! それとね、明日は商人さんたちが来る日なんだけど、魔女様も一緒に行かない?」
「私も?」
「わがままだって分かってるんですけど、私達魔女様と一緒に行きたくて……」
あまり気は進まないけど、結局この子達とは村で遊べてないままだし、花をくれた人たちにもお礼をしなくちゃね。
「でも、私が行ったらまたあの時みたいにならない?」
「それは大丈夫だと思いますよ」
「うん。ほとんどの人は魔女様に謝りたいって言ってたよ」
「それなら、お邪魔しようかしら」
それを聞いて、リリーははしゃぎだし、レイナはそんなリリーを楽しそうに見つめていた。
「じゃあ明日は私たちが迎えに来ますね」
「ええ。……それじゃあ今日もお茶にしましょうか」
私は思わず緩む口元を見られないように、二人に背を向けてそう言った。
空が白みだした頃、家の中に軽快なノックの音が響く。
いつもよりはかなり早い時間だけれど、ノックの相手は問うまでもない。
「おはよー」
「おはようございます」
ドアをのっそりと開けて入ってきたのは、予想通りの二人。
まだ眠そうな目元をこすりながら約束通り迎えに来てくれたリリーとレイナだった。
「おはよう。今日はずいぶん早いじゃない」
「だって、魔女様と一緒に遊ぶのが楽しみで寝れなかったんだもん」
「ふふ、やっぱりまだ子どもね」
まあ、私も昨日この子達と別れてから寝れてないんだけど……。
それはこの子達には秘密だ。
「少し休んで行きなさい。お茶くらいは淹れてあげるわよ」
「ありがとうございます……魔女様」
まだとろんとした眼差しでリリーが言う。
「ええ、貴女達はそこに座ってて」
二人がベッドの方へ向かうのを見届けて、私はお茶の準備を始める。
いつもレイナがしていたのを思い出しながら、なんとか三人分の紅茶をカップに注ぐ。
「熱いから気を付けて飲むのよ」
魔法をかけたティーカップがリリーとレイナの前でぷかぷかと浮かんでいる。
「……はーい」
「いただきます」
まだほとんどまぶたを閉じたままの二人がカップに手を伸ばす。
手に取ったカップをまっすぐ小さな唇に運び、その中に満ちた熱い液体をちろりと舐め……勢いよく吹き出した。
「どうしたの?」
「魔女様……これ、苦いよ」
「え? でも、レイナがいつもやるみたいに淹れたわよ」
「多分お湯を淹れてからカップに注ぐまでの時間が少し長かったのかと。蒸らしすぎると味が濃くなりますし」
心当たりしかない……。
「ごめんなさい。淹れ直すわね」
「いえ、大丈夫ですよ。目覚ましにはちょうどいいですし」
「うんうん。さっきはちょっとびっくりしただけだよ」
そう言って二人はカップに残った紅茶を一気に呷った。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
リリーとレイナは飲み終わったカップをこちらに向けて笑った。
そんな二人を見ながら、私も紅茶を呷る。
「……っ、確かに苦いわね」
「でしょ」
笑いながら、リリーが言う。
「ええ、とっても苦いわ」
そんな言葉とは裏腹に、自然と頬が緩んだ。
「魔女様はお花以外に好きな物ってあるんですか?」
私の右手を控えめに握りながら歩くレイナが私を見上げる。
「好きなもの? ……そうね、お昼寝かしら」
甘いお菓子と貴女の淹れたお茶よ。なんて言ったら左側でぎゅっと手を掴んでいるこの子が拗ねそうだから、それは私だけの秘密だ。
「そういえば魔女様、初めて会った時もお花畑でお昼寝してたね」
「そうだったわね」
あれからまだ一か月くらいしか経ってないのに、独りで寝ていたのが遠い昔のことみたいに思える。
「聞いたことなかったけど、貴女達は何が好きなの?」
「私は甘いお菓子と可愛いもの!」
待っていたと言うように、リリーが元気よく即答する。
「ふふ、貴女らしいわね」
この子を見ているといつも、まるで小さい頃の自分を見ているかのような懐かしさを覚える。そして決まって胸がチクチクと痛むのだ。
けれどその痛みは不快なものでは無くて……、その戸惑いを隠すようにレイナの方を見る。
「貴女は?」
「私は本が好きです」
「本? どんな本を読んでるの? 冒険譚や英雄譚みたいなものかしら?」
私も子どもの頃はよくお母さんに話してもらったな。
「あっ、それも好きなんですけど一番は……」
レイナは少し恥ずかしそうに
「恋愛もの、とか」
「いいじゃない。今度私にも貸してくれる?」
じっくりと本を読む機会なんて無かったけど、この子のおすすめの本なら読んでみたい。
幸か不幸か、私には時間はたっぷりあるしね。
「はい! もちろんです!」
レイナは嬉しそうに頷いて、今まで読んだ本の話をたくさん聞かせてくれた。
村に入ると中央の広場にはたくさんの出店が並んでいて、村人や商人の楽し気な声があふれていた。
二人から聞いていた通り、お菓子や髪飾り、置物に本まで、本当にいろんな物を売っているようだ。
これだけお店が出ていれば見て回るだけでも楽しそうだ。
「あっ! レイナさん! 魔女様さんにリリーさんも!」
二人に手を引かれて歩いていると、どこかで聞いたような声が聞こえてきた。
「シオンさん! お久しぶりです」
声の主は金色の髪の若い商人、シオンだった。彼も他の商人達と同じように店を構えている。
「今回はちゃんと来られたんですね」
レイナが茶化したように言うと、シオンは照れくさそうに笑う。
「はい。おかげで今回はこうやってちゃんと商売ができます」
「それで? シオンさんはどんな物を売ってるの?」
「本です。いろんな場所を旅して仕入れた物なので、他では買えない一点ものも揃ってますよ」
得意げに言うシオンの声にテーブルを見ると、彼の言う通りさまざまな本が並んでいる。表紙に金の刺繍が入ったいかにも高級そうな本もあれば、ページも表紙もボロボロで読めるのかも怪しい本もあった。
「わあ! 本当に色んな本があるんですね!」
レイナがその個性豊かな本を一冊一冊丁寧に、手に取りながら眺めていく。
そして、レイナは最後にテーブルの一番端にぽつんと一冊だけ置かれた本を手に取って、楽しそうにページをめくり始めた。それを私とリリーも後ろからのぞき込む。
その本はタイトルも書いていないシンプルな表紙で、内容も特に変わったところのない手書きの恋愛物語。
はっきり言って、他の本と比べると個性は薄い。けれどその本は作者が楽しんで書いたことが私達にも伝わるくらい、生き生きとしていた。
レイナはその本を途中で閉じて、その様子をじっと見つめていたシオンの前に差し出した。
「シオンさん、この本はいくらですか?」
シオンはその言葉に驚いたような顔をして、
「その本はレイナさんに差し上げます」
「え? でもお代はまだ払ってませんよ」
「……実はその本、僕が書いたんです。他の本みたいにしっかりとした表紙も無い本なので、もし気に入ってくれる方がいたら差し上げようと思ってたんです」
そう言ってシオンは優しい笑顔を浮かべる。
「だから僕としても、レイナさんがこの本をもらってくれると嬉しいです」
レイナはしばらく本とシオンを交互に見て、やがて本をぎゅっと両手で抱えた。
「分かりました。シオンさんがそう言うなら、もらっておきますね」
「はい! ありがとうございます」
満足そうな顔のシオンに見送られて、私たちは彼のお店を後にした。
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