第十三話 魔女の隣で百合は咲く
昨日は散歩から帰ってご飯を食べると、すぐに寝てしまった。
夕方に目を覚まして、貯めていた水が残り少なくなっている事に気付く。
まあ、三人も居たらすぐに無くなるわよね。
「それじゃあ、私は水を汲んでくるわね」
いつまでここに居るかは分からないけど、備えておくに越したことは無い。
「私も手伝うよ!」
「一人で大丈夫よ。それに、昨日のことを忘れたの?」
そう言ってリリーをたしなめる。
「貴女とレイナはお留守番よ。この家をよろしくね」
「はい。任せてください」
「魔女様、私も名前で呼んでよ」
リリーが不服そうに頬を膨らませる。
「……まあ、気が向いたらね」
ここを出てもっと静かに暮らせるようになったら、いくらでも呼んであげるわ。
「はあ。ちょっと遅くなっちゃったわね」
すでに日は沈み、辺りはもう暗くなっている。
水汲みはすぐに終わったけれど、二人への恩返しに花束を作っていたらずいぶんと遅くなってしまった。
二人も待ってるだろうし早く帰ろう。そう思って足を速めた時、異変に気付く。
私の家に続く道が、不自然に明るいのだ。
「……貴方達、ここで何してるの?」
その灯りは松明の火だった。それも一つや二つではなく、あの村の半分くらいは居そうな程の数だ。
「――っ!? 魔女!」
村人の一人が上げた驚嘆の声に、その場に居る全ての人間が振り返る。
「おい! 何でここに魔女がいるんだ!」
「待て! お前ら、ちゃんと中は確認したんだろうな!」
中? 一体――っ!? それは村人達の奥に見えた。
松明なんて目じゃないくらい大きな炎が、私の家を焼いていく。
目を焼くような赤と黒煙に、私の心臓が早鐘を打つ。
「ああ! 俺は二人いるのをちゃんと確認したぞ!」
「二人? 魔女が連れてったのはリリーだけじゃないぞ!」
「は? そんなの聞いてねぇぞ!」
何なのよ、それ。自分たちの思い通りにならなかったら殺すの?
私なんかより貴方達の方がよっぽど化け物らしいじゃない。
「……どきなさい」
抱えていた水桶も花束も捨てて、私はまっすぐ家に向かう。
まずは火を消さないと――
「っ! 動くな!」
男がナイフを構えて威嚇するが、構わず進む。
「う、動くなって言ってるだろ!」
悲鳴のような声を上げて、男のナイフが私のお腹に突き刺さる。
けど、こんなもので死ねるなら、もっとずっと前に死んでたわ。
あの子達にも会わずにね。――だから帰るんだ、あの家に。
「ひっ! くそ! 来るな! おい、お前らも手伝えよ!」
「どうせもう後には引けないんだ、お前ら全員で行くぞ!」
誰かの叫びに、村人達は咆哮で応じる。
大量の人間が壁になって、私の進路をふさいだ。
「っ! どいてって言ってるでしょ!」
勢いに任せて振るった腕が、風の刃を呼ぶ。
その風は目の前の村人の体を裂き、辺りの草木を血で染め上げた。
「こいつ人を殺しやがったぞ! やっぱり村の奴らは騙されてるんだ!」
「そうだ! だからこいつの周りに居たあのガキ共も死んだんだ! 全部お前のせいだぞ、魔女!」
うるさい。あの家を焼いたのは貴方達でしょ。
「ひぃっ! 俺は降りるぞ! こんなとこで死んでられるか!」
ふざけるな。勝手にあの子達を襲っておいて、今さら許すわけないでしょ。
「もうだめだ。あんなのに敵うわけないだろ」
膝を折っても、絶望しても許すものか。あの子達から何もかも奪った貴方達なんて、――死んじゃえばいい。
だから私はその全てに魔法を向ける。
狂った憎悪を向けながら襲ってくる者の肉を、風の刃が裂く。
私に背を向けて逃げようとする者の肌は、消えない炎で焼く。
天を仰いで許しを請う者は、岩の槍でその身を貫いた。
何度も何度も、その場にいる全てを蹂躙していく。
薄く白み始めた空の下、血と静寂の世界を私は歩いていた。
昇る太陽がわずかに残っていた闇を払って、焼け落ちて炭になった家を照らす。
三人で過ごした思い出ばかりが私の頭を過り、崩れ落ちそうになった時、燃え尽きた家の中に座る人影を見つけた。
それを見て、私は弾かれたように駆けだす。
「レイナ!」
一人座る彼女は、涙に濡れた顔で私を見上げて私の腕を掴んだ。
「魔女様! リリーを助けて! お願い!」
彼女の悲痛な叫びが胸の奥に刺さる。
「落ち着きなさい」
自分にも言い聞かせるように言って、さっきからうるさい心臓の音を黙らせた。
ずっとレイナが見つめていた先に、リリーが倒れている。倒れた彼女の下半身は倒れた棚につぶされて、息も次第に弱くなっていた。
私はリリーに乗った棚を飛ばし、彼女に治癒の魔法をかける。
何度も、何度も、祈りながらかけ続ける。
「治って、お願い……治りなさい!」
けれどどれだけ魔法をかけても傷は塞がらない。
レイナに落ち着けと言っておいてこの様だ。本当に情けない。
魔法で治せない傷、あの時とよく似た状況に、思い出さずにはいられない。
クロユリの時と同じだ。私はまた……。
その考えばかりが頭に張り付いて離れない。
せめて最後くらいは穏やかに。そう思って、リリーの痛みを魔法で消す。
「……魔女、様」
痛みの消えたリリーが薄く目を開けて、息も絶え絶えに私の名前を呼ぶ。
「何?」
「大好き」
貴女は最後まで、そう言ってくれるのね。
今まで答えてあげられなくてごめんなさい。
でも、貴女のその言葉がどれだけ私が喜んでいたか、貴女は知らないでしょう?
だから、どうせこれで最後なら――
「私も、貴女が好きよ」
「じゃあ、両想いだね……」
そう言って、リリーが笑う。
いつもの元気いっぱいの笑顔とは違う、弱々しい笑顔だった。
それから、彼女の綺麗な青い瞳を不満そうに揺らして。
「ねえ、名前、呼んでよ。……いっつもレイナばっかり、ずるい」
家を出る前と同じ、彼女のお願いを。
「リリー。……意地悪して、ごめんね」
今度はちゃんと、その名前を口にする。
初めて呼ぶその名前は、口にするだけで、胸の中が温かさと切なさで満たされる。
「魔女様、ありがとう…………」
まるで遊び疲れて眠る時のように、リリーは満足そうな笑顔を浮かべて目を瞑った。
「っ!…………貴女には、いつも振り回されてばかりだわ」
お礼を言いたいのは、私の方なのに。
ぽたぽたとリリーの頬に雫が落ちる。
胸の奥から込み上げる苦しさと、頬を伝う熱で気づいた。
それは私の涙だった。
気づいてしまったら、もう止まらない。それを拭おうとして手を伸ばすけれど、いつまでも顔に届かない。
見ると、私の両手は灰に変わり始めていた。
リリーに触れることはもう出来ない。
貴女の声を聞くことも、もう出来ないのね。
クロユリの時みたいに恨み言でもいいから、ねえリリー、貴女の声を聞かせてよ。
「リリー……」
貴女がくれた言葉もあの花束も、貴女の全部が、冷めていた私の心を温めてくれたのよ。
でも、もう貴女の声を聞けないって事が、大好きな貴女に触れられないって事が、こんなに苦しいなんて思いもしなかったわ。
ああ、そうか。きっとこれが恋なんだ。誰かを愛するってことなんだ。
あんなに旅をして、誰よりも長く生きても見つけられなかった物は、こんなにありふれた物だったんだ。
誰かを愛するのに資格なんていらない。魔女だって小さな女の子だって、恋をしていい。ただ、いつも隣にいるその人を思えばいいだけなんだ。
それだけで、こんなに心が揺れるんだもの。
そうだ、あの子にも。
「ねえレイナ。お願いがあるの」
私が呼ぶと、下を向いて泣いていたレイナが顔を上げた。
「はい! なんでも言ってください!」
鳴き声交じりに、でもはっきりとレイナが答える。
「じゃあ、お願い。私の日記とリリーがくれた花束は、貴女が持ってて……」
「っ! 分かりました。ずっと、大切にします」
「ええ、よろしく。それともう一つだけ、貴女の友達のリリーを……彼女の事を、忘れないでいてあげてね」
って、私が言うまでも無いか。
レイナは当たり前ですと言うように、何度も頷いている。
もう声も出ないけれど、貴女にも謝らなきゃね。
一人にして、ごめんなさい。
それと、貴女達と三人で過ごした一年は、私の長い人生の中で一番楽しい時間だったわ。
ありがとう、レイナ。
もう体のほとんどが灰になってしまったけれど、私は最後にリリーを見た。
残った力を全て使って体を前に傾けて、満足そうに微笑んで眠る彼女の唇に、そっと口づけを落とす。
愛してるわ、リリー。
ふぅと風が吹いて、灰になった私の体をどこか遠い空に運んでいく。
薄れていく意識の中で私が願うことはただ一つ。
もし、もう一度この世界に生まれたら、今度は魔女じゃなくて同じ人間として、瞬きのような一生の中で、貴女に会えますように。
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