第十二話 この花をあなたに

 家に着いて、まずは二人の服と体を乾かす。


「魔女様、助けてくれてありがとう」


 ベッドに座ったリリーが疲れた顔で言う。


「いいのよ。……それより、王子と結婚ってどういうことなの?」


 彼女が叫んだその言葉が、村から帰る道中もずっと気になっていた。

 そしてそれを想像するたびに、心臓を直接握られているような不快感が私の中にあふれるのだ。


「……それはね――」


 レイナに体を預けながら、リリーは躊躇いがちに話し始めた。


 それはリリー達が私と出会う三年前、彼女達が十二歳の春に起こった。

 王国記念日の日には、王都から王子が来ることがあるそうだ。王子達が王国中を回るため、それも十数年に一度くらいの頻度らしいけど。

 その年はアッシェ村に王子が来る年だった。

 それが第三王子。巷では女遊びが激しいと噂されていたが、王都から遠く離れたこの村にはその噂は届いていなかった。

 そのため村はいつも以上に盛り上がって、子どもも大人も村人全員が着飾って当日を迎えた。

 その頃そこに居なかった私にだって、着飾ったこの子がどれだけ綺麗だった容易に想像できる。

 とにかく、女好きの第三王子は村の広場で遊ぶリリーを大層気に入ってしまったらしい。

 そこで彼は村長にリリーのことを聞き、すぐに宣言したそうだ。


「それが十六になったら余の元へ連れて来い、四人目の王妃にしてやる。もちろんこの話を呑むなら村にも褒美をやろう」


 自分より二十歳も下の無垢な少女を見てそんな事をのたまう変態の下衆と、村の発展のためにその少女を差し出そうとするクズ共。

 そんな汚い大人達の欲にさらされながら、村のためならと一度でもそれを受け入れようとしたリリーを思うと、胸が痛む。


「だから嬉しかったんだ。魔女様は村のことも何も知らないのに、私に優しくしてくれて」


 話し終えてリリーを、私はそっと抱きしめた。


「そんなこと無いわ」


 私はただ、久しぶりに普通に話せる人に会えてはしゃいでただけなんだから。

 私の方こそ、貴女達に救われてたのよ?

 だけど、リリーは首を横に振ってそれを否定する。


「優しいよ、魔女様は。……それにね、私、初めて魔女様と会った時から、すっごく綺麗な人だなって思ってたんだよ。それこそ結婚したいくらい」


 それからリリーは真剣で優しい目をして私を見つめて。


「私は魔女様のこと、大好きだよ」

「っ!? な、何言って――」

「ふふ、答えなくていいよ。私が言いたかっただけだから」


 リリーは穏やかな笑顔でそう言って。


「忘れないで、魔女様のこと好きな人だっているんだよ」

「私も魔女様のことを尊敬してます」


 リリーの言葉に賛同するように、レイナも優しい声で続ける。


「魔女様は強くて優しくて、それにいろんな事を知ってて、……魔女様と話す度に、私も魔女様みたいな大人になりたいと思うんです」

「貴女まで……」


 二人の素直な言葉が胸の奥に沁みていく。私の大好きな二人がここまで言ってくれるのなら、きっとそうなんだろう。


「ありがとう、二人とも」


 他の誰が私を化け物と罵ろうと、この二人が優しい魔女だと言ってくれるなら。

 せめてこの二人の前では、そうあろう。


「さあ、今日はもう寝ましょうか」


 頬が緩みきっただらしない顔を見られないように灯りを消して、小さなベッドで二人を抱きしめながら、私は幸せな眠りに落ちていく。

 数時間前まであんなにうるさかった雨の音が、今は不思議と心地いい。


 窓から差す朝日が夜明けを告げる。外で小鳥が楽しそうに鳴く声に、私の腕の中で眠っていた二人も目を開けた。


「魔女様おはよ」

「おはようございます、魔女様」

「ええ、おはよう」

「……ねえ、これからどうするの?」


 リリーが窓の外を眺めながら聞く。

 不安に思うのは無理もない。今まで住んでいたあの村には、もう帰ることはできないのだから。


「そうね、どうしようかしら」

「ずっとここに居るわけにもいかないですよね」


 レイナの言う通り、いつ村人達がこの子達を連れ戻しに来るか分からないし、王子だって黙ってはいないだろう。

 いっそこの子達を連れて王国の外まで逃げるのもいいかもしれない。

 ここから出るなら村を通るか、川を渡るかしかないけど……。

 駄目ね。どっちも今は無理だわ。村は論外だし、川だって昨日の大雨で増水してるだろう。

 背の高い私ならともかく、この子達を連れて渡るのは難しい。

 ……川、か。


「とりあえず散歩にでも行きましょうか」


 思いついたまま声にした私の言葉に、二人はこてんと首を傾げる。


「今考えても分からないことをいつまでも考えてたってどうにもならないじゃない」

「クロユリさんの受け売り?」

「ええ。……それと、気分が沈んでる時に考えたってろくな答えはでないものよ」


 貴女達に会う私みたいにね。


「だから、まずは気分を変えに行きましょう」

「そうですね。どこに行きますか?」

「それは着くまで秘密よ」


 我ながら名案だと思う。

 私は自分の頬が緩むのを感じながら、二人を連れて家を出た。


 家を出てから少し歩いた場所が私の目的地だった。

 少し開けた川のほとり。それを見て、二人があっと口を開ける。


「ここって」

「ええ。貴女達と初めて会った場所よ。……ちょうど一年前と同じ季節で、花も綺麗だしね」


 久しぶりに季節が移ろうのを実感できるほど、充実した一年だったわ。


「懐かしいですね」

「そうね。あっという間だったわ」


 とはいえ、せっかく来たのにただ見てるだけっていうのも味気ないわね。

 地面はまだ湿ってて寝転べそうにないし。


「……レイナの家ってお花屋さんだったわよね」

「……? はい。そうですけど」


 じゃあ、と私は気に咲く淡いピンク色の花を指す。


「あの花は何か分かるかしら?」

「……カリン、だと思います」


 戸惑いながらもレイナが答える。


「ふふ、正解よ」

「急にどうしたんですか?」

「ちょっとした息抜きよ。ただ眺めてるのも退屈でしょ?」

「楽しそう! 私もやりたい!」


 はしゃぐリリーにもちろんと答えて、今度は足元に咲いている赤い花を指す。


「次はこれよ。何か分かる?」

「はい! 私分かるよ、アネモネでしょ?」


 リリーが元気に手を挙げながら答えた。


「正解。貴女も花に詳しいの?」

「小さい時からずっとレイナと一緒だったからね」


 そう言って、リリーは誇らしげに胸を張る。


「ふふ、じゃあこれは分かるかしら?」


 そうやって私は辺りに咲く花を一つ一つ指さして、二人がそれに難なく答えていく。

 そして――


「次で最後よ。あの花は何か分かる?」


 私の指の先にあるのは、水際に咲く小さな青い花。


「これは……見たことないです」

「えっと……ネモフィラ?」


 この花は二人も知らないらしい。

 まあ私も旅の途中で咲いてたのと、ここで咲いてるのしか見たこと無いんだけど。


「似てるけど違うわ。……これはね、ワスレナグサって言うの」

「ワスレナグサ?」

「ええ。私も旅の途中に会った親子に教えてもらってね、こんなお話があるの」


 そう前置きして、私が聞いたワスレナグサの言い伝えを二人に説明する。


 遠い昔のお話です。ある川のほとりで、騎士様と彼の恋人の女性が散歩をしていました。

 その途中で、恋人が川辺に咲く美しい花を見つけたのです。彼女にその花を贈ろうとした騎士様は、花を摘むために川に近付きます。

 そして無事に花を手にした騎士様は恋人の方を振り返ろうとして足を滑らせ、川に落ちてしまいます。川の流れの速さに戻ることを諦めた騎士様は、最後の力で花を恋人へと投げてこう叫びました。


「俺の事を忘れないでくれ!」


 それが騎士様の最後の言葉でした。そして、恋人の女性は騎士様との思い出を忘れないように、生涯その花を身に着けていたそうです。


「このお話から、この花は『ワスレナグサ』って呼ばれるようになったのよ」

「なんだか悲しいお話ですね」


 静かに話を聞いていたレイナがそう溢した。


「そうね。確かに悲しいお話だけど、人の強さを教えてもらえるお話だわ」


 レイナが分からないです、と首を振る。


「人っていつかは必ず死んじゃうでしょ? そうじゃなくても、ずっと一緒にはいられない。……だけどね、大切な人と過ごした思い出は、それだけはちゃんと消えずに残ってるの。そういう思い出があるから、誰かと別れた時にまた頑張ろうって立ち上がれるんじゃない?」


 私の思っていることを、この子に上手く伝えられただろうか。


「会えなくなった時のことは分からないですけど、私も魔女様やリリーと過ごした思い出は忘れられそうにないです」


 そう言って、レイナが笑う。


「魔女様! これ見て!」


 背中に届いたリリーの声に振り返ると同時に、風が強く吹いた。

 その風に吹かれて、リリーがバランスを崩す。それを支えるより先に、昨日の雨でぬかるんだ川辺の土が、傾いだリリーの小さな体を川の中へと誘った。


「リリー!」


 そうレイナが叫んだのと私が川に飛び込んだのはほとんど同時だったと思う。

 大きな音を立てて落ちたリリーを追うように、私も水の中に沈んだ。


「気付けたから良かったけど、そうじゃなかったら貴女が死んでたかもしれないのよ!」


 私はずぶ濡れのままリリーに言う。

 幸いな事に、川は私の胸位までの深さしかなく、リリーも私も溺れずにすんだ。


「ごめんなさい。……でも、魔女様にこれを渡したくて」


 リリーは申し訳なさそうに謝って、後ろ手に持っていた物を差し出してきた。

 それはオレンジ色のバンダナで束ねられた、ワスレナグサの花束だった。

 彼女が差し出すそれを受け取って、そっと胸に抱く。


「ありがとう。……だけど、貴女が危ない目に遭うと、なんでかしら、胸の奥が痛くなるの」


 これなら自分の心臓にナイフを突き立てる方がまだましだ。


「私は貴方が危ない時に、いつも貴女の隣にいられないかもしれない。……だからお願い。もうこんな事はしないで」


 私の喉から、すがるような情けない声が出た。


「分かった。約束する」


 それにリリーが頷いてくれたのを見て、胸の痛みが少しだけ和らいでいく。


「……さあ、今日はもう帰りましょう」


 二人の背中を軽く押して、家へと向かう。

 そして私は二人に気付かれないように、花束にふっと息を吹いた。

 リリーがくれた花束が、ずっと枯れないように。そんな魔法をかけながら。

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