第十一話 雨の降る音
二人と出かけてから一年。それは今までの数百年が全部悪い夢だったんじゃないかと思うくらいに、温かい時間だった。
あの日からは私も村に顔を出すようになっていた。今ではリリーやレイナだけじゃなくて、花をくれた女性とゆっくりお茶を飲むことも多い。
それを見て、村の人達も少しずつ私を受け入れてくれているようだ。
「おお! 魔女様じゃねえか! ちょうど良かった。ちょっと力を貸してくれねぇか?」
その証拠に、最近は村に行くとよくこんな風に頼み事をされる。
「ええ、いいわよ。今日はどうしたの?」
「実は今度の王国記念日で出す酒が足りなくてな、あんたの魔法で作れねえか?」
王国記念日というのはこの国ができてから続く祭りで、王国中で祝われているらしい。
もちろんこの国でも大きな祭りを開いていて、去年は私もリリー達と一緒に大はしゃぎしていた。……はしゃぎ過ぎて村の人達に笑われたから今年はおとなしくしないと。
「もちろん出来るわ。そこの樽に水を汲んでくれる?」
男は戸惑いながら、私が指した酒樽に水を汲んだ。
「これでいいか?」
「ええ。お酒は何でもいいの?」
「ああ」
それを聞いて、私は酒樽にそっと手をかざす。すると、澄んだ水の色が絵の具を落としたように滲んでいき、赤い液体が酒樽を満たした。
「できたわよ」
「おお! 味を見てもいいか?」
「もちろん」
男は家の中から小さなグラスを持ってきて、樽の中の液体をすくう。そのままグラスを揺らして匂いを確かめ、やがて一気に飲み干した。
「っ! これは美味い! 俺達が作ってるなんか目じゃないくらいだ」
「そなに美味いのか?」
「俺にも飲ませてくれよ」
いつの間にか私を囲んでいた村人達が口々に言う。
「こいつは王国記念日用の酒だ! お前らはもうちょっと我慢しとけ」
さっきの男が村人達から酒を守りながら私に目を向ける。
「魔女様、助かった。ありがとう」
「役に立てて良かったわ」
お酒を作り終えてリリー達との待ち合わせ場所に向かっていると、畑の前で女性が頭を抱えていた。
「どうかしたの?」
「あっ、魔女様! 実は畑の出来が悪くて……」
畑を見ると、確かに作物の実りはまばらで、収穫時期のはずの作物も、栄養が足りていないのかまだ小さい。
私は畑の作物が傷つかないようにそっと触れて魔法をかける。すると、しおれていた作物達は瞬く間に成長し、花を開いて果実を実らせた。大豊作だ。
「これで大丈夫かしら?」
振り返ると、女性はぽかんと口を開けていた。
「え? あ、ありがとうございます! これだけあれば十分暮らしていけます!」
畑の変わりように、女性が興奮気味に言う。
「そう。……それと、この畑にも魔法をかけておくわ」
「畑に、ですか?」
「ええ、来年も再来年もその次の年も、ちゃんと作物が実るように」
同じ畑で何度も作物を作っているとその土地の養分が無くなってしまうと聞いたことがある。きっとこの畑もそうだったのだろう。
「ありがとうございます!」
女性がまた頭を下げるのを見ながら、私は畑の土に触れて魔法をかけた。
今からずっと先、この人の子ども達も苦労せずに済むようにと祈りながら。
「魔女様!」
ちょうど立ち上がったタイミングで聞きなれた声が聞こえて振り返る。
「あら、今から行くところだったのに」
「だって待ってたら魔女様が見えたんだもん!」
「リリーは最近魔女様が村の人たちにも人気だから寂しいんだよね」
レイナがリリーを撫でながら言うと、リリーは何も言わず頬を膨らませた。
「別に人気ってわけじゃないわ。ここに来る途中だって何回か嫌味を言われたし」
受け入れてくれる人は増えたけれど、全員がそうじゃない。というか村の半数はまだ私をよく思っていないだろう。
「そんな人無視すればいいんだよ!」
「そうですよ! あの人たちは魔女様がどんなに優しいか知らないか――」
「いいのよ。貴女達が怒らなくても。今までの人達はみんなあんな感じだったもの。石やナイフが飛んでこないだけいい方よ」
私のために怒ってくれる優しいこの子達の頭を撫でながら言う。
「でも!」
「大丈夫……だけど、怒ってくれてありがとう」
この子達が私の隣に居てくれて、私を見てくれてる。それだけでいいんだ。
他の人達がどんな風に私を見ていても。
それから数日後。私は今日も村に来ていた。
リリー達と約束してたわけじゃないけど、一人だとぽつぽつと屋根を打つ雨の音がやけにうるさく聞こえるから、気づいた時には家を出ていた。
少し前まではずっと一人で暮らしていたのに、おかしな話ね。
「はあ。リリー達、今日は暇かしら」
誰にともなく呟いた時、広場の方から誰かの言い争う声が聞こえた。
嫌な胸騒ぎを覚えながら広場へ行くと、そこには村人の半数ほどが集まって、中心にいる誰かを囲んでいた。
「ねえ、何の騒ぎなの?」
私はその一番後ろでそわそわとしている女性に声をかけた。
「魔女様! あの人達を止めてください!」
女性が指を指した先にいたのはリリーとレイナ、そしてそれを囲んで怒鳴る村人達だった。
「もう諦めろ! 前から決まっていたことだろ!」
「それでも嫌! 二十歳も上のおじさんなんかと結婚したくない!」
「おじっ、王子のことをそんな風に呼ぶんじゃない! もし誰かに聞かれたら大変なことになるぞ!」
王子と結婚? そんな話は初耳だ。私の脳裏にこれまで一緒に過ごしたリリーの無邪気な笑顔ばかりが浮かぶ。
それは結婚や王子なんて言葉が混ざる余地がないほどに無垢なもので、誰も汚しちゃいけない彼女の美点の一つだ。
それを――
「そうだリリー! 大体お前も納得していたじゃないか!」
「そうよ! お前は王室に迎えられて、この村だってもっと豊かになる! なのになんで今さら」
なんで、彼女を育てた貴方達が汚すのよ!
そう叫び出す寸前、リリーが大きく息を吸うのが見えた。
「私はレイナや魔女様ともっと一緒にいたい! いつか魔女様みたいにいろんな場所に行ってみたい! もっと魔女様と――」
「魔女様? ああ、あの忌々しい魔女か。お前はあの魔女に騙されてるんだな? それかあの魔女に何か魔法でもかけられたか?」
「そういえば怪我を治してもらったとか言ってたな。その時に操られたんじゃないか?」
村人の心無い言葉にリリーの顔が歪む。
「操られてなんかない! 私はただ魔女様のことが好きなだけだもん! 魔女様のこと知らないくせに、魔女様のこと悪く言わないで!」
「うるさい! ガキが一丁前なこと言ってんじゃねえ!」
「大体、何のためにお前みたいなどんくさいやつを育ててやったと思ってるんだ! 王子と結婚しないなら、お前に価値なんて無いんだよ!」
強くなる雨に同調するかのように、村人達の暴言は過激になっていた。
しかし言葉ではどうにもならないと思ったのか、村人達は手近にあった石を拾って振りかぶる。
「っ! やめて!」
レイナがリリーをかばうように両手を広げて立つ。
「関係ないガキは下がってろ! お前も邪魔なんだよ!」
村人達は容赦なく石を投げ放ち、それは勢いよくレイナに直撃する。――寸前、石は空中でぴたりと動きを止め、砂になって地に落ちた。
「価値がない。邪魔、ね。……なら、二人とも私が貰っていいわよね?」
私の存在をこの場の全てに主張するように足音を響かせながら、二人の前へ歩く。
「っ!? 魔女!」
「魔女様」
「遅くなってごめんなさい。もう大丈夫よ」
私ができるだけ優しい声でそう言うと、二人は安心したように笑った。
「貴様、何のつもりだ!」
「これは村の問題だ! お前は関係ない!」
暴力すらも意味を無くして、村人達は私に憎悪の目を向ける。
「ええ、そうね」
「なら邪魔するんじゃねえ!」
「お断りするわ」
向けられる憎悪の全てを拒絶する。
確かに私はこの村のことなんてどうでもいい。だけど――
「貴方達には無価値で邪魔なだけのこの子達は、私の大切な――」
大切な友人。そう続いた私の言葉は、斧を振り上げて向かってくる男の聞くに堪えない咆哮にかき消された。
「……貴方達に言っても無駄みたいね」
男が勢いよく振り下ろした斧は、その役目を果たす前に灰になった。
私は武器すらも奪われて立ち尽くす男に背を向けて、
「さあ、帰りましょ」
「どこに?」
「私の家に決まってるでしょ」
それを聞いて、リリーの表情が一気に明るくなる。
「うん!」
そしてなぜかまだ立ち尽くしているレイナにも手を伸ばす。
「貴女も来なさい、レイナ」
「私、も? いいんですか?」
「この村に置いていったら、何されるか分からないもの」
「っ! ありがとう、ございます!」
レイナがぎゅっと掴んだ手を、そっと引き寄せる。
「待てっ!」
叫びながら追いかけてくる村人達の前に、私は炎の壁を作った。
「待ちやがれ! 魔女!」
激しく降る雨の中でも弱まることすらない炎の奥から聞こえてくる罵詈雑言を背にして、私達は歩き出した。
私達が時を重ねた、森の中のあの家へ。
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