第五話 魔女の呪いと夜の海
「――っ!?」
身を裂くような痛みで目が覚める。
バラバラになったはずの手足も、貫かれたはずの腹も、まるで夢でも見ていたかのように綺麗なままだ。
けれど体中に残る痛みとぼろぼろになった衣服が、全て現実だと突き付けてくる。
私が魔女だとばれて家を追い出されたことも、男を焼いたことも、……あの崖から身を投げたことも。
いっそ、何もかも悪い夢だったらよかったのに。
それでも、私は死ねずに生きている。
私は死ぬことも許されないの?
あんなに痛くて苦しかったのに。これから、どうなるんだろう?
というかここはどこ? 周りは暗くてよく見えないけど、砂浜かな。
もしかしたら、いつも崖から眺めていたあの場所なのかもしれない。
「おい、こんな時間に女が一人で何してるんだ?」
不意に聞こえてきた声に驚いて勢いよく振り向く。
そこには真っ黒な癖毛のショートヘア―と、髪と同じ色を持った背の高い男が立っていた。
「……貴方には関係ないでしょ」
「まぁ、それもそうだな……だが理由くらい聞いとかねぇと安心して眠れやしねぇ」
「どうして?」
「朝起きて家の前で女が死んでたら、寝覚めが悪いだろう」
軽く笑いながら男が言う。
「貴方、私が死ぬとでも思ってるの?」
「ああ、こんな真夜中に浜辺でそんな恰好してるやつなんて、自殺志願者かただの馬鹿くらいだ」
確かに、ぼろぼろの服でおまけにずぶ濡れなんて、そう見えても仕方ないわね。
「生憎と、私はさっき死に損なったところよ。一日に何回も死のうとは思わないわ……それに、どうやら死ねないみたいだしね」
私の最後の呟きに、男は不思議そうに首をかしげた。
「死ねない?」
「ええ、私は不死の化け物なの」
できるだけおどけた風に、声が震えないように気を付けながらそう口にする。
「化け物? 俺には一人で夜風に震えてる女にしか見えねぇけどな」
男がからかうように言う。
「なっ! 私は、私は人だって殺したわ!」
「ほう、人殺しと来たか」
「貴方! 信じてないわね!」
いまだに笑っている男に少し腹が立つ。
「まぁ、本当にお前が人殺しの化け物だとしても、多分お前は悪いやつじゃねぇよ」
「……どうして、そう思うの?」
「話してりゃ分かるよ、そんなこと」
呆れたように溜息を吐いて、男があっけらかんと言う。
「大体、こんなに感情的な化け物がいるかよ」
「貴方……もしかして私を馬鹿にしてる?」
「かもな。……それより、今夜は俺の家に泊まってけ。今夜は冷える」
薄く微笑みながら言う男の声は、とても穏やかで優しかった。
どうしてこの男は初めて会った私にこんなに親切なんだろう。この男はもしかしたら、私を化け物と罵ったあの人達とは違うのかもしれない。
それとも……。
「貴方馬鹿なの?」
「村の連中からもよく言われる。あいつら曰く変わり者らしいぞ、俺は」
男は気にした様子もなく言う。だけど、そらした彼の横顔はどこか赤い気がする。
「で? 一緒に来るのか?」
「……後悔しても知らないわよ」
「ああ」
短く答えて、男は歩き出した。私も立ち上がって、その背中を追う。
「それより、私貴方の名前まだ聞いてないんだけど」
「クロユリだ。お前は?」
「私は……私には名前なんてないわ」
自分だけ答えたのが不満だったのか、クロユリはじっと私を見つめる。
「ローゼってのはどうだ?」
「え?」
急に何を言い出すのだろう。
「名前だよ、お前の」
照れたように頬をかきながら、クロユリが言う。
「ふふ、貴方ってセンス無いのね」
すぐに散っちゃう綺麗な花の名前なんて、私には似合わないもの。
でも、こんな風に名前を付けてくれて、化け物じゃないって言ってくれるのは、嬉しいな。
「本当に、センス無いわ」
「そんなに嫌なら使わなくていい……」
クロユリは拗ねたように言う。
「いいえ、せっかく貰った名前だもの」
「そうか」
少しだけ、クロユリが笑ったように見えた。
「……ねぇ、お腹が空いたわ」
「……大したもんは作れねぇが、帰ったら魚でも焼くか」
月が照らす砂浜を、私はクロユリと肩を並べて歩いた。
クロユリの家は村から少し離れた場所に、一軒ぽつりと建っている。彼は海が近くで静かだからと気にいってるみたいだけど。
「ほら、濡れたままだと風邪を引く。着替えはそっちの部屋を使え」
彼は服を私に差し出して奥の部屋へと歩いて行った。
「……ありがと」
彼に言われた部屋でぼろぼろになった服を脱ぐ。体にはやっぱり傷痕一つ残ってない。
彼に渡された服を手に取る。黒い服に革のズボン、それと私の足首まである丈の長いコート。どれも私より一回りも大きい。
まぁ今は、彼の好意に甘えておこう。着替えた服はやっぱりぶかぶかだけど。
「これなら、風邪を引かないわね」
着替えを終えてクロユリのいる部屋に行くと、カチッカチッと不器用な音が聞こえてきた。
「着替えたわ。……何してるの?」
「ああ。火を点けようと思ってな」
暖炉の前にかがんだ彼が振り返り、両手に持った火打ち石を少し掲げる。
だけど暖炉を見るに、ずいぶんと苦戦しているようだ。それに彼の手も擦り傷だらけで血が滲んでいる。
「はあ。……私がやるわ」
「点けられるのか?」
「ええ、少しどいてくれる?」
私は彼が差し出す火打ち石を断って、暖炉にゆらりと手を向ける。
あの時とは違って小さな炎をイメージして。
「これを、お前が?」
前触れも無く暖炉に灯った火を眺めたまま、クロユリが尋ねる。
やっぱり化け物だと思っただろうか。
「すごいな。これなら俺が下手に石を打つ必要もない」
「ふふ、変なの」
私が笑ったのを見て、彼は不思議そうに首をかしげる。
「何かおかしなことを言ったか?」
「ええ。とってもおかしなことをね。……それより手を貸して」
彼が差し出す手を、そっと両手で包み込む。
クロユリの手ってこんなに大きいのね。それになんだか温かい。
「どうしたんだ?」
「っ! 貴方の手を治してただけよ」
彼の声で我に返って、ぱっと手を離す。家を出てからろくなことが無かったから気が緩んでたわ。
「驚いたな、本当に治ってる」
「驚いたって顔してないわよ」
「驚きすぎて顔に出ないんだよ」
まぁ、海で会った時からそんなに感情的な人では無かったけど。というかこの男、ほんとに何考えてるか分かりづらいわね。
「ありがとな」
「お礼なんていいわよ。……それに、この力のせいで何もかも無くなったんだもの」
本当にお礼を言われるようなことじゃない。暖炉に点けた炎で私は人を焼いたし、傷を癒した魔法のせいでお母さんに不気味がられた。
「お前が何に悩んでるのかは知らんが、俺は今のお前に感謝してる」
彼が静かに、けれどはっきりと言う。
「暖炉に火が無かったら俺は今夜も震えながら眠るところだったし、この手だってそうだ」
「そんなの……」
「ああ。大したことじゃない。俺にとっては日常だ。それでも、お前のその力が俺を助けたのも事実だ」
私の、力。そうか、これは私の力なんだ。
どうして私なのかは分からないけど、今みたいに私の使い方次第で人の役にも立てるんだ。
なら、化け物じゃなくてもいいのかな。
「なあ、お前はまだ死にいたいと思うか?」
突然クロユリがそんなことを聞いてくる。
「……分からないわ。この先死ねるかどうかも、どうやって生きていけば良いのかも」
「そうか。ならまずは飯だな」
「っ!? 貴方私の話聞いてたの?」
即答したクロユリに怒りが湧いて、思わず声を上げる。
「ああ、ちゃんと聞いてたよ。だからまずは飯だ」
「なんでそうなるのよ」
「考えても分からないならしょうがない。だから今何がしたいかだけで良いんだよ」
大真面目な顔でそう言うクロユリの能天気さに、開いた口が塞がらない。
「生きるってのはそんなもんだろ。辛いこともあるが、笑えることだってある。一日、一年、それよりもっと長い時間を積み重ねりゃ、今探してる答えもいつかは見つかるだろ」
本当に呑気な考えだ。でも、その通りかもしれない。
幸か不幸か私は人よりも考える時間はあるようだし、彼の言う通りゆっくり生きてみるのもいいかもしれない。
「だからっていきなり、まずは飯だ、なんて。ほんとにおかしな人ね」
言うと同時に私のお腹が大きな音を立てる。
「……魚でも焼くか」
「……ええ、お願い」
私に背を向けて魚を用意をするクロユリの肩は、小さく震えていた。
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