第四話 化け物と意地悪な神様

 初めて魔法を使ってから数年の月日が流れた。

 だけど、私の体の時間は十八の頃から止まったままだ。

 

『ねぇお母さん! あのお話して!』


 どこからか聞きなれた少女の声が聞こえてくる。


『■■■は本当に魔女のおとぎ話が好きなのね』


 ベッドで横になる彼女のおねだりに、母親は優しく笑う。


『うん!』

『ふふ、じゃあ話してあげる』


 そう言って母親はいつも、穏やかな声で話し始めるのだ。

 一人の人間を愛して、その一生を捧げた魔女の話を。


『いいなぁ! 私もいつか、魔女さんみたいに素敵な恋ができるかな?』


 母親の話が終わると、少女は枕をぎゅっと抱きしめて言う。


『できるわよ。■■■なら、きっと素敵な人に会えるわ』


 母親が少女の頭をなでる。


『じゃあ、私も魔女さんになれる?』

『それは……■■■、それは絶対に他の人に言っちゃだめよ』

『どうして?』


 母親の真剣なまなざしに気付かずに、少女はこてんと首を傾ける。


『おとぎ話とは違って、ほんとの魔女は怖い人なの。だから魔女になんてなったら、この村に住めなくなっちゃうのよ』

『それは、いや……』

『大丈夫よ。魔女なんて、おとぎ話の中にしかいないもの』


 不安そうな顔をする少女を、母親はそっと抱きしめておでこにキスをする。

 二人の姿が霧のように消えていき、夢は終わった。


 目を覚ますと、窓からはまだ月明りが差していた。妙な時間に目が覚めちゃったわ。水でも飲んでまた寝よう。

 部屋を出てリビングに行くと、まだ明かりが点いていた。お母さんたちはまだ起きているらしい。


「あの子、最近なんだかおかしくないかしら」

「おかしい?」


 思わず足が止まる。


「だって、十八の頃から二十を過ぎた今まで、背も顔も変わらないのよ!」

「気にしすぎだよ。ただ■■■の成長が止まっただけだろ?」

「それに! あの子、怪我の治りが早すぎるのよ」


 お母さんの声に驚いて後ずさると、ギィっと床が軋んだ。


「■■■? 聞いてたの?」

「お母さん……」

「ちょうどいいわ、教えて■■■。何かお母さんたちに隠してることない?」


 いつもと同じように、お母さんは笑顔で言う。だけどその笑顔が、今はなぜか怖かった。


「……なんにもないよ、お母さん」


 不自然にならないように精一杯気を付けて、私も笑う。


「そういえばあなた、いつだったか服だけぼろぼろにして帰ってきたことあったわよね」

「っ!?」

「ねぇ、教えて■■■。ほんとはあの日、何があったの?」


 初めて魔法を使ったあの日の光景がよみがえる。


「……言いたく、ない」


 パン、と小気味良い音が響いた。頬が熱い、びりびりとした痛みが遅れてやってくる。

 そこでやっと、お母さんに叩かれたことに気付いた。


「教えて? 隠し事、あるわよね?」


 お母さんの顔は相変わらず笑っているけど、その心が笑っていないのは考えなくても分かった。

 私が秘密にしてたから、お母さんがずっと苦しんでたんだ。


「……魔法」


 震える声で、やっとそれだけ絞り出す。


「魔法? あなた、自分が魔女だとでも言いたいの?」


 こくりと頷いてそれを肯定する。


「■■■、昔お母さん言ったわよね。魔女になんてなったら、この村に住めなくなるって。覚えてる?」

「うん」


 もちろん覚えている。さっきも夢に見たのだから。


「じゃあ■■■はここを出ていきたいってことなのね」

「違う! そうじゃないの!」


 だけどお母さんにはもう、私の言葉は届いていなかった。


「そういうことでしょ! そんなに出ていきたいなら出ていけば良いじゃない!」


 そんなになるまで、私はお母さんを追い詰めてたんだね。


「おいおい、何を騒いでいるんだ?」

「お父さん……」


 助けて、と言う前にお母さんの手がまた頬を打つ。


「おい! やめないか!」


 お父さんが声を荒げても、お母さんは止まらない。

 迫る手から顔をそらす。その時、何年振りかにあの風が吹いた。

 野犬の皮膚を裂いた、あの風だった。


「きゃああ! 何よ、なんなのよ!」


 お母さんの頬に赤い線が走っている。


「おい、大丈夫か?」


 お父さんがお母さんの肩を抱く。私を見る二人の目には、恐怖が満ちていた。


「出てってよ、化け物」

「っ!」


 震えた声でお母さんが口にしたその言葉は、今までのどんな痛みより痛かった。野犬の牙や爪よりも、お母さんが打った頬よりも、ずっとずっと痛かった。


 気づいたら私は家を飛び出していた。裸足のままで、私の心をいつも落ち着けてくれたあの崖を目指して。

 そこ以外行く場所なんて思いつかなかったから。

 村を出る間際で、酔っぱらって顔を赤くした男にぶつかって後ろに倒れる。男は少しよろけて、舌打ちと共に私を睨みつけた。

 私の姿を見た瞬間、男の目つきが変わり口元が醜く歪む。


「ごめんなさい」


 立ち上がって、からまれる前に歩き出す。


「なぁ嬢ちゃん! それだけかい? こっちはお楽しみを邪魔されたんだ」


 そう言いながら、男は左手に持ったワインの空き瓶を振る。いかにも軽薄そうで耳障りな声だ。

 どうせとっくに飲み終わってたんだろう。


「本当にごめんなさい。邪魔したなら悪かったわ」


 そう言って通り過ぎようとすると、男は空いている右手で私の腕をつかむ。


「そういうこと言ってんじゃ無いんだよ」

「……離して」

「あ? おいおい、なんの詫びもせずに離せだ? 大人なめてんのか」


 つば交じりの酒臭い息がかかる。その息も、ニヤニヤとした男の顔もひどく不快だ。


「どいてよ」

「っ! クソガキが! 優しくしてりゃ調子乗りやがって!」


 怒鳴りながら、男は左手のワイン瓶を私の頭めがけて振り下ろす。

 役目を果たして割れた瓶のかけらが宙を舞う。


「っつ!」

「ふん。おとなしく言うこと聞いてりゃ痛い思いせずに済んだのになぁ」


 そう言って、男はよろける私を地面に押し倒す。地面におちた無数の破片が背中に刺さった。


「死にたくなけりゃ終わるまでおとなしくしてるんだな」


 死にたくないなら、か。

 帰る家も、抱きしめてくれる両親もいない。こんな酔っ払いに襲われて、これ以上の悪夢があるのだろうか?

 生きる希望なんて、もうないよ。

 でも、こんな男に好き勝手されて死ぬのは嫌だ。


「……どいて」


 男を押して体を起こそうとする。死に場所くらいは、自分で選びたい。

 せめて大好きだったあの崖で。


「おとなしくしてろって言ってんだろうが!」


 男が私に殴りかかろうと拳を振り上げる。

 ああ、なんで私ばっかりこんな目に遭うんだろう。

 大体、この男だってただのクズじゃない。私が死ぬのに、なんでこんな男が生きてるんだろう。

 こいつも、死ねばいいのに。

 そう思った瞬間、今にも私を打とうとしていた男の拳が炎に包まれる。


「っつ!? 熱い! なんだこれ! 消えねぇ!?」


 男の拳を焼いた炎はゆっくりと、這うように彼の全身を焼いていく。


「おい! お前がやってんのか! 消せ! この火を消せよ!」


 男が私に伸ばす手が、焼けて崩れ落ちる。


「くそ……化け、物め……」


 焼けてかすれた声でそうこぼして、男は黒い炭になった。

 まさか一日で二度もそんな言葉を聞くなんて。私はもう、人ですらないのね。

 でも安心して、私だってこれ以上生きるつもりはないから。


「……臭いわ」


 炭化した男と、油の多い肉を焼いた嫌な臭いだけを残して、私は村を後にした。


 森を抜け、いつもの崖に着く。私は昔と同じように崖の端から足を投げ出して海を眺める。

 だけど今までみたいにワクワクしたり、心が安らぐようなことはなかった。

 その代りに、この数年間のことが次々と頭をよぎる。

 まだ二十数年しか生きていないけれど、子どもの頃の幸せはまるでおとぎ話の中の出来事みたいに遠く感じる。 


「……友達作ったり、恋とかも、してみたかったなぁ」


 それはいつかと同じ遠い理想。でもそれすらも、あの日のような希望に満ちた甘いものじゃない。

 短い人生の最後に、叶えられなかった夢を諦めるための言葉。


「もう、疲れたわ……」


 体を前に傾けると、びっくりするくらい簡単に私の体は落ちていく。

 いつも遠くばっかり見てたから、足元にこんな鋭い岩が並んでるなんて気づかなかったな。

 ああ、最後すら楽にはさせてくれないんだ。

 こんな意地悪な神様なんて、大嫌い。

 岩に貫かれバラバラになる体と、薄くなっていく意識の中で、私は最後に、神を恨んだ。

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