第一話 森に住んでる魔女様の話
私は村のすぐそばにある森の中に家を建てて、一人で静かに暮らしている。
村と反対側にある川の近くには色んな花が咲いていて、この家はちょうどその真ん中くらいの場所だ。
暖かい春の日差しを浴びながら、川辺の花の絨毯の中で眠るのが最近の私の日課。
「さて、今日もそろそろ行こうかしら」
春になって暖かいのは嬉しいけど、最近眩しすぎて少し寝ずらいのよね。
ふらふらと身支度をしていると、壁にかかって飾りのようになっている帽子が目についた。
「久しぶりに被るのもいいかもね」
紺色の三角帽子を壁から取って、頭の上にそっと乗せる。姿見の前に立って、くるりと一周回ってみる。
姿見に映るのは銀の髪を躍らせた緋色の瞳の女の姿。
紺の三角帽子の先は後ろに垂れ下がり、帽子と同じ色のドレスの裾はまだゆらゆら揺れている。
おとぎ話に出てくる魔女のような風貌だ。
まあ、魔女なんだけど。
もし村の誰かが私を見たなら、きっと化け物でも見たみたいに悲鳴をあげて逃げていくだろう。
ここで、いやきっとどこでも、魔女なんて歓迎されないものだから……
「まあ、だからこんなとこに住んでるんだけどね」
姿見の中の女が寂しそうに笑う。
私はそれに気づかないふりをして、玄関のドアを開けた。
そこから差し込む昼下がりの日差しが私の視界を白く染める。
「やっぱり、眩しすぎるわね……」
私は頭に乗せた帽子を、少しだけ深くかぶり直した。
川のせせらぐ音と小鳥のさえずる声が聞こえる。
「ここはほんとに落ち着くわね」
川辺に着いて両手を組み、軽く伸びをする。被った帽子を手に取り、一面に敷き詰められた花の絨毯に背中から倒れこむと、柔らかな花たちにそっと抱かれるような感触が伝わってくる。
正面で輝く太陽が眩しすぎて、私は思わず目を閉じた。
閉じたまぶたが熱い。背中の下敷きになった花たちの匂いが私を優しく包み込む。
「あったかい。……死ぬときはこんな風に、たくさんの花に囲まれながら死にたいわ」
陽の温かさを残した心地いい土のせいで、そんな言葉がこぼれる。
それと同時にチクリと胸が痛む。
「……死ねるなら、ね」
頭に浮かぶのは私が抱える呪いのこと。
初めて死のうと思ってから何回失敗しただろう?
心臓にナイフを突き立てても、炎に身を焼かれても死ねなかった。
意識を失うほどの痛みも苦しみもはっきりと感じるのに、目を開けると傷は消え、その体験が嘘であるかのように生きている。
もちろん寿命なんてものも無い。早く終わってくれないかしら……。
「はぁ、だめね。長い間独りでいると考えることまで暗くなっちゃうわ……」
手の上の帽子を顔に置いてどこまでも後ろ向きな思考を止める。
そうして私はゆっくりと、温かな眠りへ落ちていった。
「ちょっと――、そんなに走るとまた転ぶわよ!」
「大丈夫だよ――。それより――もはやく来てよ!」
まどろんだ意識の中で、少女達の声が聞こえてくる。二人が楽し気にはしゃいでいる声だ。
「ねぇ――、あそこに誰か倒れてる!」
「えっ? あっ、ほんとだ。って――、走ったら危ないって言ってるじゃない!」
しばらくして私に気付いたようで、足音がどんどん近づいてくる。
こんな森の中にくるのはどんな子達だろう。すこし興味がわいて、帽子に手をかける。
「大丈夫大丈夫。――は心配し過ぎだよ~」
帽子を傾けると暗かった世界が光りに包まれた。目が明るさに慣れるより先に、すぐそばで少女の短い悲鳴が上がる。
直後、お腹に鈍い痛みが走り、何かがぶつかった衝撃で手から帽子が飛んだ。
「きゃっ。……いてて」
「うっ。……」
すぐ近くで聞こえた少女のかわいらしい声とは反対に、私は低い呻き声を上げた。
「はぁ、だから言ったじゃない」
「でも今日はあんまり痛くなかったよ」
私のお腹に乗った少女は、もう一人の少女にほらと両の手を見せている。
「それは貴女が私の上に転んだからよ」
「え?」
肩まで伸びた栗色の髪をオレンジ色のバンダナで結んだ少女。
私のお腹の上で、彼女の青い瞳がこちらを向く。じっと私を見つめるその青はどこまでも澄んでいて、そこに映る陰鬱な女でさえ輝いて見える。
「あ、あのごめんなさい。怪我とかしてないですか? この子ほんとにどんくさくて……ほら、リリーも謝って!」
後から来たもう一人の少女が、栗色の少女を立たせながら言う。
暗い茶髪を後ろで一つに結んで、腰にエプロンを巻いたその少女は、綺麗な緑色の瞳を不安げに揺らしている。
「いいのよ、怪我なんてしてないし。……それより貴女は大丈夫?」
「うん! お姉さんがクッションになってくれたから!」
「リリー、それ堂々と言うことじゃないよ」
「もう、レイナはお母さんみたいなことばっかり言うんだから……」
エプロンの少女の溜息交じりのつぶやきに、栗色の少女は不満げに返す。
そんな何気ないやり取りも、どこか微笑ましい。
「ふふ、貴女達って仲良しなのね」
「あっ、お昼寝の邪魔してほんとにごめんなさい!」
レイナと呼ばれた少女がそう言って、礼儀正しく頭を下げる。
「気にしないで。お昼寝は好きだけど、いつも独りで寝てばかりで退屈してたとこだから」
「こんな森の奥に、ずっと一人で住んでるんですか?」
「ええ。と言ってもここに来てからはまだ十年くらいかしら」
「十年!?」
二人が同時に声を上げる。まだ幼いこの子達からしたら想像できないくらい長い時間なのかもしれない。
「十年も一人で寂しくなかったの?」
「寂しくはなかったわね。ただ暇だっただけ」
「そんなに暇だったなら、どうしてあなたはずっとここに一人で居たんですか?」
どうして、か。
私が魔女だと知って家を焼く人間がいた。私の魔法を自分のために利用しようと、私を牢に入れた人間がいた。私が魔女だからと、一緒に暮らした男は死に際に私を拒絶した。
理由ならいくらでも思いつくけど、どれも純粋なこの子達に話すには暗すぎる。
しかしその純粋な瞳に見つめられて、思わず口がすべってしまった。
「魔女として生きるのに疲れたのよ」
はっと両手で口を押える。だけど一度口から出た言葉はもう戻ってこない。
「お姉さん、魔女なの?」
栗色の少女、リリーの震えた声が耳に届く。
「……ええ」
もうここにもいられないわね。
これからの事を考えると憂鬱な気分になる。
「じゃあ魔法使える?」
その憂鬱を吹き飛ばしたのは、興奮して目を輝かせたリリーだった。
「え? ええ、使えるけど」
「わぁ! ねぇ、見せてよ! 魔法!」
「ちょっとリリー。いきなり失礼よ」
そうたしなめるレイナの顔も、好奇心を抑えきれていない。
「貴女達、私が怖くないの?」
「うん! 怖くないよ」
「はい。驚きましたけど、花に囲まれてお昼寝してるあなたを怖がることなんてありません」
二人はそう言って笑うけど、きっとこの子達は知らないんだ。
「ふふ、貴女達って変わり者ね」
魔女を見てそんな反応をする人間がどれだけ少ないか。この子達は知らないんだろう。
でもそんな彼女達の裏の無い言葉だからこそ、冷めていた私の心にそっと小さな火を灯した。小さくて、まだ周りを照らすには頼りない種火だけど、冷えきった私には十分過ぎる程に温かい。
だから仕方ないんだ、嬉しくてつい笑い声がこぼれちゃうのも、仕方ない。
そんな私を見て、二人はぽかんと口を開ける。
「ごめんなさい。楽しくてつい、ね」
ひとしきり笑った後、はっとしたようにリリーが詰め寄ってきた。
「そんなことより、どんな魔法が使えるのか見せてよ!」
「もう、リリーはまた……」
そう言うレイナもそわそわとしながら私を見ている。
「いいわよ。危ないから少し下がってくれる?」
二人が三歩ほど下がったのを確認して、私は左手に意識を集中させる。
すると、空気がパチパチと音を立て始め、手のひらの上に小さな火が灯った。
「すごい!」
「わっ! ほんとに何もないとこから火が!」
初めて見る魔法に、二人の目はキラキラと輝いている。私も初めて魔法を使ったときはこんな感じだったかな?
……いえ、あの時はそんなこと考えてる余裕なんてなかったわね。
まぁ、落ち着いたあとはこの二人みたいになってた気もするけど。
「それより貴女、やっぱり怪我してたんじゃない」
私は破れた衣服から滲む血を見て、リリーの膝を指さす。
「わっ! ほんとだ! 全然気づかなかった!」
「転んだ時に擦りむいたのね。ちょっと足を出してくれる?」
「え? うん」
リリーは戸惑いながらスカートの裾をたぐる。
私は彼女の傷に手をかざし、治癒の魔法をかける。淡い光が傷を包み込み、瞬く間に傷を癒していく。
「すごい! 傷痕も残ってないよ! ありがとう、お姉さん!」
「魔法って便利なんですね」
「いいのよ、これくらい。それに魔法だって便利なだけじゃないわ……」
私のこぼした言葉を聞いて、二人は不思議そうに首をかしげる。
「気にしないで、ただの独り言よ」
二人から顔をそらして初めて、空がオレンジ色に染まり始めていることに気付いた。
人と話したのなんて久しぶりだから、つい時間を忘れちゃったわ。
「じゃあ私はもう帰るから、貴女達も気を付けて帰るのよ」
「うん! ありがとう!」
「ありがとうございます、おねえさ……そういえば、なんて呼べばいいですか?」
「さっきまでみたいにお姉さんでいいわよ」
どうせ、この子達ともいつまで一緒にいられるかなんて分からないもの。一年か一か月か、……一週間もすれば私の事なんて忘れているかもしれない。
死ねない私と人間のこの子達は、最初から同じ時間なんて生きてないんだもの。
「それだとなんだか他人みたいじゃないですか」
他人であることは間違いないのだけれど、なんてこの子達に言ったらどんな顔をするのかしらね。私がそんなくだらないことを考えている間も、レイナとリリーはうなりながら考え続けているようだ。
「……じゃあ、魔女様って呼んでもいいですか?」
「あっ! それ良いね、レイナ!」
突然ぱっと顔を上げてレイナが言うと、リリーもそれに賛同してはしゃぎだす。
「ふふ、貴女達やっぱり変わってるわ」
「むぅ。そんなに笑わないでくださいよ」
私に笑われたのが恥ずかしいのか、レイナが頬を膨らませる。
「ごめんなさい。でも、よりにもよって魔女様だなんて」
「あっ! ごめんなさい。もし嫌なら無理にとは――」
「いいのよ。貴方達にそう呼ばれるのは、なんだか悪い気がしないもの」
あっ、とリリーが急に声を上げる。
「そうだ! レイナ、今日は早く帰らないと!」
「あら、何か用事があったの?」
「はい。今日はリリーの家族と私の家族みんなでご飯を食べる日なんです」
ほんとに仲良しなのね、この二人。なんだか羨ましいわ。
「もしよかったら魔女様も来てよ!」
「私も?」
「いいですね! リリーの怪我を治してもらったお礼もありますし!」
そう言って、二人は私の手を引き始める。
「でも、家族の集まりなんでしょ? 私が行っても良いの?」
「大丈夫だよ! お母さんたちもいっぱい料理作ってるはずだから!」
そういう心配をしてるわけじゃないんだけど。
「私からもお願いします! ……私、もっと魔女様のお話を聞きたいので」
私の手をしっかりと掴んだまま、二人は期待の眼差しで私を見つめている。
こんな状況、昨日までは想像もできなかった。私が魔女だと知っても驚かずに、敬称をつけて呼んでくれて、家にまで招待されるなんて。
だから今日くらいは、この不思議な状況に身を任せても良いかもしれない。
「そうね。じゃあ、お言葉に甘えるとするわ」
「やった!」
そう言って、リリーは腕に抱きついてくる。
「ちょっと。これだと歩きずらいわ……」
「こうしてたら転けないもん!」
「今度は私が躓きそうなんだけど」
「私が支えてるので大丈夫ですよ」
拾い忘れていた私の帽子を拾ったレイナが、もう片方の腕に抱きつきながら笑う。
こんな風に歩くのも、悪くないわね。
リリーとレイナが暮らすアッシェ村は、森を抜けてすぐのところにあった。
大きな道には石畳が敷かれ、その上を歩いていくと中央の大きな広場につながっている。彼女たちの家は、そこからもう少し奥へ歩いたところにあるらしい。
私達がリリーの家に着いたのは、もう月明りが道を照らし始めたころだった。
リリーがドアノブに手をかけ、勢いよく押し開ける。
「お母さん、ただいま!」
「おかえりリリー、レイナちゃんも。……あら、そちらの方は?」
リリーのお母さんが私を見て首を傾げる。
「森で会ったの!」
「怪我したリリーを手当てしてくれたんです」
「まぁ! うちの娘がお世話になりました」
彼女は穏やかに笑って、ペコリと頭を下げる。
「何かお礼をしなくっちゃ! ……そうだわ! 一緒にご飯を食べましょう! ちょうど今日は沢山作ったの。狭い家だけど、どうぞ入って」
「ありがとう。お邪魔するわ」
久しぶりに誰かと囲む食卓はとても賑やかで、温かくて、楽しかった。
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