第6話 アイデンティティの確立

ちなみに母はもう最初に運ばれた病院にはいない。

最初に運ばれた病院は大学病院で最新設備があり、最先端の医療を備えていた。

だがそこでいくら治療に専念したところで一向に回復の兆しが見えない。

故に、療養と介護、リハビリテーションに重点を置いた地方の病院に転院することになった。

そこは私の家からは電車でうまく乗り継いでも三時間はかかる。

だが海が近くにある、とても静かで、とてもきれいな街だった。


この転院は母のところに毎日通っていた祖母からすればうれしくないかもしれないが、わたしからすれば行幸以外にない。

物理的に母から離されたからだ。

未だに気持ちの整理や現状を受け入れられていなかったわたしはできるだけ母と距離を置きたかった。

だが近くにいれば会いに行けと促されるのが必然でそれが嫌だった。

今の母に何を話したってわからないのだから。

そんなの壁に話しているのと変わらない。

それに会えば会うだけ、現実を、受け入れざるを得なくなる。

それがつらい。

きっとわたしは心の中で必死に叫んでいたんだ。

これ母じゃない、母はこんなんじゃない、と。

でもどんなに叫んだところで現実は変わらない。

目の前にいるのが母であると。


そんなわけで母とは離れて暮らしていた。

会ったとしても年に4、5回くらいの頻度になった。

この間に自分の中で気持ちの整理をつけたいと思っていた。


学校は相変わらずだ。

ちなみに例の“いじめ”に関しては少しひと悶着もあったのだが無事に解決したとだけ言っておこう。

因果応報、というわけではないが主に中心だった人達は自分たちもそのターゲットになったりしたのだがそれも割愛する。

自業自得意外に何もないのだから。

ちなみにわたしはそのあと誰に何かされるでもなくカースト上位に居続けた。

だからと言ってわたしが他人に何かしたりすることはない。

くだらないことに興味ないから。


部活では色々あったかもしれないがその他は自分でも驚くくらいに楽しかった。

“大切な”友達もできた。

自分を必要としてくれている大切な人達だ。

相変わらずの問題児ではあったが。

自分が一番の問題児であるにも関わらずクラス委員をやっていたのだから笑いものだろう。

掃除をサボるなと注意するはずの人間が率先して掃除をサボるのだから。

だからというわけではないがわたしがクラス委員になるときに教師たちからの反対の声があった。

だがそんな声もある一人の先生が押しとどめてくれた。

あとでその先生が後ろ盾になってくれたという話を聞いて驚くと同時にうれしかった。

だから頑張ろうと思えた。


ここまでくればわかると思うけど、

わたしは承認欲求と責任感が強いんだとおもう。

他人に認めてもらいたいから頑張る。

他人に認めてもらうには完璧でなければならない。

完璧であるためには与えられた仕事以上の成果をあげなくてはいけない。

仕事ができなけば、優秀でなければ、強くなければ、ユーモアに溢れてなければ、他人と異なっていなければ。

友達から、後輩から、先輩から、先生から、親から必要としてもらえない。

必要とされなければ居場所が持てない。

次第にわたしはそう考えるようになった。

それはわたしのアイデンティティとなった。

今の私があるのもこの考え方のおかげだし感謝もしている。

だけどこれは呪いでもある。

何度も考えてしまう。

こんな自分じゃなければ、ここまで重荷を背負う事もなかったのに、と。


だけどもう遅い。

このときはなるようにしてなったのだから。

こうならなければ居場所を持てなかったのだから。


相変わらず家には居場所がなかった。

父親との溝は深まるばかり。

お互い反抗期に入りつつある兄妹は特に会話することもなく。

冷たく、無機質な、形だけの家族。

わたしの家族は母が倒れたあの日から時間が止まっている。

もはや二度と動くことはないだろう。

仮に動かすことができたとしてもそれはきっとわたしではない。


家と学校では人が変わる子がいるという話はよく聞く。

大体が家ではうるさい癖に学校だといい子。

わたしの場合は逆だった。

家ではむしろ全く話さない。

話す相手がいないのはもちろんだけど、仮に父親がいても同じだ。

わたしは親に対してすごく気を使う子供だった。

もちろんそれは以前、2回だけ目の当たりにした弱い父の姿が原因だ。

あの姿を見てから父に何も頼めなくなった。

父にわたしのわがままでこれ以上負担をかけたくなかった。

それは金銭面のことも含めてだ。

だからどこかに行きたいとも、何かが欲しいとも言わなかった。

外食したときにも一番安いものか父が頼むものよりも安いものを選んだ。

そんな些細なことまで気にしてしまう、いわば考えすぎな奴だった。

もちろん父になにか反抗したことなどない。

反抗期あるあるの親との衝突はわたしにはなかった。

いや、反抗期特有のイライラはあった。

だけど理性で留めて親に当たらなかっただけの話。

ならそのイライラはどう消化したかって?

それはまた別の話になるからここでは割愛する。


とまあこんな感じで家では全く話さないくせに学校では相当うるさい奴だった自覚がある。

言い方が悪いかもしれない自分のやりたいようにしていた。

やりたいことをやりたいように誰に指図を受けるでもなく。

だけどもともと他人を見る目と感受性だけは強い。

そのおかげもあってか他人の、自分より弱い人間を全く無視して蹂躙するような暴君ではなかった。

だからかはわからないが好き勝手やっていてもだれかと対立したり、ということはなかった。

面倒ごとを持ってくるのはたいていわたしとつるんでいた奴らだったりする。

だが目に見えて素行不良でリーダー的存在であったわたしはいつも真っ先に呼び出された。

自分が関係ないことで怒られることなんてしょっちゅうだったが別に気にならなかった。

怒られるという事もだけど共に怒られる人間がいることに何となく心地よさを感じていた。

とまあこんなわけで教師からしたらさぞ手に余る生徒だったに違いない。

だけどそこはわたし。

当然成績は優秀な分類に入る。

いくら素行不良だろうと、不真面目な態度で授業に臨もうが成績はいい。

だから学生の本分である勉学は怠っていない。

文句ないでしょ?

というのが中学~大人までのスタンスになったことは言うまでもない。


ほんとに生意気なくそガキだったと思う。

先生たちは大変だっただろうな、大人になってからそうおもった。

反省なんてしないけど。


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