第4話 重なる悲劇


母が倒れてからしばらくして母に意識が戻った。

その事実は当然、喜ばしいものかもしれない。

だけどそれはわたしが期待していたようなものではなかった。

意識を取り戻した母はもはや母ではなかった。

そこにいたのは母などではなく、赤子と何ら変わりのないただ目を開きこちらを眺めるだけの無垢な存在だった。


心停止の時間が長かったせいだとお医者さんは言った。

心停止の時間が長かったため脳に十分な血液が送られず、脳機能に障害が残ってしまった、と。

だから四肢が動かない。

だから自発呼吸ができない。

だから言葉を話せない。

だから私たちの事を理解してるかもわからない。


多分この時にわたしの中の母が完全に死んだ。

肉体的に生きているとしてもきっと母の心はもうここにはない。

そう思った。

そしてこれから先この人を母として生きていかなければならない。

母のことが大好きだったからそのことがただつらかった。

もう二度とわたしに笑いかけてくれることがない、という事が。

せめてもう一度声を聴きたい。

もう一度母の笑顔を見たい。

もう一度母の料理が食べたい。

もう一度母の隣を歩きたい。

もう一度母に褒めてもらいたい。

叱られたっていい、もう一度母と喧嘩がしたい。

どんな形でもいいからわたしの中の母を感じたい。


何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も

願った。

だけど叶うことなどない。

それはどんなに願っても変わる事のない現実として常にわたしのまえに立ちふさがった。



母の様子に一向に変化が見られないままわたしは六年生になった。

正直に言うと母には会いたくなかった。

自分の中で母とどう接すればいいのかわからなかったし何よりも母に会うのがつらかった。

だけど母にとってわたしたちが会いに行き、声をかけることは無駄ではないらしい。

だからつらかったけど母に会いに行った。

病院は少し遠かったから毎日ではないけど。

母に会いに行って声をかける。

当然母から何かが返ってくるわけがないからすぐに気まずい沈黙が訪れる。

だから母に会いに行くのは嫌だった。

けど母が大好きだったから母の為と言われれば行くしかない。

それにわたしの感情で親に迷惑をかけたくなかった。


この時にはもう自分の感情を殺し我慢することにもだいぶ慣れていた。

学校ではみんなの中心で明るく振舞い、積極的にリーダーとなった。

もちろんテストでもいい点を取り続けた。

とにかく、母のこと以外では特に問題もなく普通に生活をしていた。


そんなわたしの異変に気付いたのは祖母だった。

母がいなくなってからは家に夕飯を作りに来てくれていた。

さすがに父も仕事柄、常に家にいることはできず、早く帰宅するということもできなかった。

だからと言って小学生の兄弟二人で生活などできるはずもなく、こうして祖父母が世話を焼いてくれているというわけだ。


祖母がわたしの異変に気付いたのは確かわたしが風邪を引いたときだったと思う。

祖母が言うには喉が異様に腫れているらしい。

そういわれても喉に違和感などもなかったし、痛くもなかった。

だからわたしは気にすることもないと思っていたのだが、母のことがあったため祖母は一度病院で診てもらうべきだといった。

次の日、祖母と一緒に近所の個人病院に向かい診察を受ける。

結論から言うと、大きな病院で診てもらった方がいいとの事だった。

都内に専門の病院があるらしく紹介状も書いてくれた。

わたしはただめんどくさいな、くらいにしか思っていなかっただ祖母はどうやら重く受け止めていたようだ。

いつもなら夕食が終わると家に帰る祖母がその日は帰らなかった。

父の帰りを待つらしい。

父の帰りはいつも深夜になる。

それでも待つというのだから祖母はわたしの事がよほど心配らしい。

当然と言えば当然かもしれない。

最愛の娘があんなことになり、もしかしたらその孫も重篤な病を抱えているのかもしれないのだから。


次の日父と紹介された都内の病院に向かった。

そこで受付をし精密検査をすることになった。

精密検査なんて初めてだったから緊張したし、怖かった。

血液検査をしたり心電図を取ったり、エコーとかよくわからないけどとにかく色々な検査をした。

朝から病院に行っていたにも関わらずすべての検査を終え、診察を受ける時にはすでに夕方になったいた。

さすがに疲れた。

それは付き添いの父も同じだろう。

疲労困憊の父子でお医者さんから検査結果を聞いた。

その結果が父にさらなる悲しみと不安を与えた。


わたしは母が倒れた直接の原因となった病気と同じ病気を発症していた。


お医者さんが言うにはかなり病状は進んでいてあと一か月も遅ければ母と同じことになっていたかもしれないとの事だった。

だがこの病気は薬で簡単に症状を抑えることができるらしい。

ただ完全に治すには長い時間を必要とするらしく完治自体も難しい。

故に難病指定もされているとか。


わたしは疲れていたせいかこのことを聞いても特に何も思わなかった。

だけど父は違ったみたいだ。

父を見ると母が倒れた時と同じ姿をしていた。

この日、私は二度目となる父の“弱い”姿を見た。

父は涙をこらえているのか小さく震えるような声で途切れ途切れになりながらもお医者さんに語っていた。


「妻が、同じ病気で倒れたんです。この子もそうなるんじゃないかって思うと、怖いんです。また家族を失うんじゃないかって。」


途切れ途切れだったしとても小さな声だったからよく聞こえなかったけど多分こんなようなことを言っていた。

何か声をかければよかったのかもしれないけど恐怖と不安に打ちひしがれる、そんな弱さを見せる父になんて言ったらいいのかわからず、ただ黙っていることしかできなかった。


「大丈夫です。幸いにも娘さんは最悪な状況にまではなっていません。これなら薬で十分に治療は可能です。100%とへ言えませんがお父様の考えているようなことにはなりませんよ。」


そういって父に語りかけるお医者さんはとてもやさしかったのを覚えている。

父も落ち着きを取り戻し、薬をもらい三日後に再び来ることを言い渡され病院を後にした。

帰りの電車でも父に何を言ったらいいのかわからず二人は終始無言だった。

だけど電車の中でわたしはずっと考えていた。


どうして自分たちがこんな不幸を背負わなければならないんだ、と。

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