第2話 喪失
みんなは父の、大人の男性が膝の前で手を組み頭を埋めている姿を見たことがあるだろうか?
その姿を見た瞬間に私の目から大量の涙があふれた。。
何が悲しいのかもわからない。
ただ今まで見たことのない父の姿に絶望を突きつけられたような気がした。
私たちが待合室に入っても父は一瞥するだけで何も言わずにその顔を手の中に隠す。
子供に情けない姿を見られたくないと思ったのかもしれない。
ただ、もうすでに泣き叫んだあとなのかそこに座る父はとても静かだった。
そしてその姿がより一層悲しみを、悲劇を、絶望を見せていた。
しばらくの間、私たちは待合室で待った。
わたしの隣に座った祖母は目からあふれる涙を拭おうともせずにわたしの肩に手を置き「大丈夫、大丈夫。」そう呪文のようにつぶやいていた。
それはわたしに向けた言葉だったかもしれないし自分自身に向けた言葉だったのかもしれない。
そして一時間だろうか?実際にはもっと短かったかもしれない。
わたしにとって永遠にも感じられた時間に終わりが告げられた。
看護師のような人が入ってきて私たちの事を呼んだ。
だけど呼ばれたのは”大人”だけ。
わたしと兄は置いていかれた。
ここでもまた“大人”という壁が立ちふさがる。
一刻も早く母に会いたいのに。
そして母に何ともないことをこの目で確認したいのに。
母が大好きなのに、大切なのに。
この気持ちならだれにも負けないのに。
それなのにその想いは“子供だから”という言葉で一蹴されてしまう。
それはきっと、いきなりで耐えられないだろうからとか、心への負担とか、難しい話は分からないからとか、人数的問題とかいろいろあった故の決断だと思う。
だけど、だけど、こんなにも子供であることが、守られるだけの存在であることが悔しいとは思わなかった。
それは兄も同じだったのだろうか。
だけど、ただそこで泣くことしかできないわたしに寄り添っていてくれた兄はとても強く、優しかった。
歳が近いせいかいつも喧嘩ばかりしていて、いつも精神的に自分よりも幼いと思っていた兄がやっぱり兄なんだ、そう実感した。
そしてそんな二人にもついにお呼びがかかった。
兄と二人で母のベットまで行く。
そこには悪い意味でわたしの予想を裏切った母の姿があった。
わたしはなんだかんだで母には意識があると、病院でよく見る、点滴を指しながらベットに腰かける姿を想像していた。
だけどそこにいた母に意識はなく、呼吸器をつけて何本もの管を体に張り巡らせていた。
想像とはかけ離れた現状にさっきまで止まっていた涙が再びあふれ出てくる。
どんなにこらえようとしてもそれは嗚咽と共にあふれ出してくる。
「母さん、母さん、、、。」
無駄だと分かっていても呼ばずにはいられない。
“母さん”そう呼んで私の中で繋ぎとめておかないと目の前の母が母でなくなってしまう、そんな気がした。
私たちが落ち着いたのを見計らってか、お医者さんが現れた。
そして母について、何があってどんな状態なのかを説明してくれた。
その話は私にもある程度は理解できたからきっと子供にもある程度分かるように話してくれていたのかもしれない。
もっとも詳しいことは大人たちにすでに話たかこれから話すんだろうけど。
お医者さんの話をまとめるとこうだ。
どうやら母は自分でも気づいていなかったようだがある病気を発症していたらしい。
その病気自体は治療をすれば時間はかかるが比較的容易に治るがなにせ気づくのが遅すぎた。
その病気のせいで心臓に負担がかかり、その負担に耐え切れなくなった心臓が心肺停止を引き起こしてしまったらしい。
心肺停止の時間は約五分。
医学に詳しい人間ならわかると思うが心停止して五分もたったのにも関わらず一命をとりとめたことは奇跡にも近い。
そうして病院に運ばれ、現場での対応も迅速だったためか、今こうしてここにいるというわけだ。
もっとも説明の中で聞き逃せないこともあったが。
それは母が肺炎を患っていたということだ。
もっとも肺炎に関してはほぼ治療が完了しており、大した問題ではないらしいのだが。
母が肺炎を患っているなんて知らなかった。
聞いてすらいなかった。
それにそんなそぶり一度も見たことがなかった。
驚いたというより悲しかった。
わたしに教えてもらえなかったことに、“家族”であるにも関わらず最悪命にもかかわる病について隠されていたことに。
ここでも使い古された“子供だから”という言葉が立ちふさがる。
確かに子供だから何もできない。
無駄な心配をかけるだけかもしれない。
そんなことわかってる。
だけど“子供”である前に“家族”なんだ。
信頼してほしい。
隠し事をされると信頼されていないんじゃないかって、わたしは家族にいらない存在なんじゃないかって不安になる。
父と母に隠し事をされていた。
その事実に“裏切られた”そんな暗い感情が胸の中に広がる。
そんなつもりでわたし達に隠していた訳ではないと分かっていても母を失いすでに壊れかけている精神状態では胸に芽生えてしまった暗い感情を消すことはできなかった。
そうしてそのあともお医者さんは少し話して去っていった。
それからしばらく母の姿を見ていたわたし達だったが明日も学校があるということでその場を後にした。
どうやって家まで帰ったのか、どうやって眠ったのかはよく覚えていない。
ただ、明日も普通に学校があることが、普通の日常がまだあることが信じられなかった。
たとえわたしが母を失っても、世界には普通に朝が来て普通の一日が始まる。
それはわたしだけでなくてどんな人でもどんな出来事があってもそうなんだろう。
人はそれを希望というかもしれない、どんな絶望という名の夜が来ても夜は、闇は必ず明けると。
確かに夜は明ける、だけど太陽も必ず沈む。
そう、世界はいつでも無情に希望と絶望を運んでくるのだ。
そこに当人の意思や願いなんて関係ない。
この世界は非情だ。
この時なぜかわたしはこのことを強く思った。
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