第21話 写し屋のモリュ

 王宮の離れに居を構える屋敷の一室で、黒い衣をまとった三つの影が静かに向かい合っていた。

「此度の戦、ご苦労であった」

 狩長かりおさユホウは、頭を下げて自分に表敬ひょうけいしている二人の隊長に向けて労いの言葉を紡いだ。

 ラダンとマースは、片膝をつき右腕で両目を覆いながら、狩人かりびと特有の敬意の姿勢を崩すこと無くその労いの言葉を受け取った。

「マース、此度の事は誠に残念だったな、多くの仲間を失ったと聞いた。お前ほどの者があざむかれるとはにわかに信じ難い事だが……」

 マースが一瞬身じろいで、ぐっと奥歯を噛み締めたのが分かった。

「申し訳ございません。隊長である私の不徳の致すところです、早急に隊のかげりを探し出し排除します故、暫くお時間をいただきたく存じます」

 言葉は至極丁寧であったが、その奥に潜む憤怒の激情は目を覆っているラダンでさえもはっきりと感じられた。

「よい、あまり己を責めるな、隊の立て直しに注力せよ」

「……御意」

 マースは開きかけた口を無理やりぐっと閉じると、歯の隙間から絞り出すように答えた。

 欺かれた己の不甲斐無さや悔しさだけでなく、何よりも忠誠を誓った主――狩長に謀叛むほんをはたらいた自身の隊に対していきどおっているのだ。

「下がってよい、今宵はよく休め」

 言いながらユホウはラダンの方をちらりと見やった。

「ラダンお前は残れ」

「御意」

 一礼し、出ていったマースの気配が遠ざかったのを見計らって、ラダンは目から右腕をすっと下した。

 しかし、目線は床に落としたままで決して顔は上げなかった。

「……知っていたのですね」

 少し間を空けてから、ラダンは静かにユホウに問うた。

 ユホウは答えなかったが、更に続けた。

「だからこの戦に俺の隊を加えたのでしょう」

 すると、まるで喜劇でも見ているかのようにふっと笑う声が聞こえて、ラダンはようやく顔を上げて父の顔を見つめた。

「ああそうだな、知っていた。だが、どの程度の数が敵に寝返っているかまでは掴めていなかった」

 ユホウが頭上でわえていた髪紐を素早く解くと、白髪が多く混じった髪がはらりと揺れ落ちた。

 肩に落ちてきた髪を片手でさっと後ろに払いながら姿勢を崩すと、ラダンを見つめ返した。

 闇に生きる者特有の青白い皮膚の上に刻まれた無数の皺が、長い歳月を生きてきた事を物語っている。

 しかし、狩人の頭脳とうたわれるおさとしての眼光は、六十代のそれとは思えないほどに爛々と輝き、老いや衰えというものを知らぬように見えた。

 また、戦略にけた策士たるその容貌は、一人の父と言うよりは狩人の長としての貫禄と圧倒的な威厳を纏っていた。

「隊の半分程だったな、立て直しは厳しかろう。要るか?」

 ラダンは一瞬押し黙ったが、やがて感情の無い低い声で言った。

「戦場で迷う者など要りません」

 こういう時でさえ決して視線を揺らしはしない、真っ直ぐに父の目を見据えた。

――どうやら、だったようだ。

 ユホウは満足気に、にやっと笑うと納得したように頷いて見せた。

 ラダンはその様子を黙って見つめながら、心の内でゆっくりと呟いた。

(窮屈だ……)

「それでいい、後始末はこちらでする。お前は金色こんじきまなこにだけ注力せよ」

「御意」

 ラダンは表情を崩さぬまま立ち上がると、そのまま一礼し部屋を後にした。

 渡り廊下に差し掛かると、やけに緩やかな夜風に乗って何処かで花を咲かせているであろうと思われる沈丁花じんちょうげの香りが鼻を掠めた。

 ラダンは、そのさっぱりとした甘い花の香りとは裏腹に、鳩尾みぞおちに抱えた冷たい鉛液が腹の内で奇妙に渦巻く鈍色にびいろの感情の落とし処を必死に探っていた。

 よくある事だ。――そうだ、よくある事なのだ。

 とうに捨てたはずの感情が、未だに己の中で鳴りを潜めていたとは思いもしなかった。

 それに気付いた時、ラダンはぞっとして立ち止まった。

 要らぬ感情だ。情にかまけている時間などない。

(後はマースがどうとでもするだろう)

 ラダンは目を閉じて短く息を吐くと、夜に溶け込むようにして南へと発った。



 古紙の匂いとりたての墨の匂いが立ち込める写し屋の中は薄暗く、紙が日に焼けぬようにと一つの明り取りしかしつらえられていなかった。

 その明り取りの格子の隙間から細く差し込む日の光は、普段目には映らないような空中に漂う細かい塵を照らし出していた。

 客はまばらで、それぞれが静かに書物を眺めている。

 店奥の台から聞こえるすずりる音と、時折客が古紙をめくる音だけが静かな店内に響いていた。

「ラダンさん、お久しぶりです。今日は何をお探しですか?」

 よく通る明るい声で挨拶をしながら奥から現れたのは、齢十五、六ほどの活発そうな若者だった。

「モリュ、急ぎ欲しいものがある」

 モリュと呼ばれた青年は一つ頷くと持っていた古紙を捲りながら慣れた様子で、どうぞ、とラダンに先をうながした。

 ラダンが一瞬、他の客たちに気を配ったのを目ざとく見つけるとモリュは笑いながら顔の前で手を振った。

「客に扮しているだけです。ここに居るのは俺たち天鼠てんそしゅうだけですので安心してください。それで、今回はどんな情報がご入用ですか?」

 モリュは周りを気にする様子も無く、あっけらかんと告げた。

(相変わらずだな)

 ラダンは心の中で笑みをこぼした。


 ここ、ルガウ街道はザムアル帝国から南西へ少し行った所にある小国の有名な街道で、街道沿いには様々なあきないどころが立ち並んでおり、この写し屋もその外れにひっそりと店を構えていた。

 モリュとは昔からの顔馴染で、天鼠てんそしゅうに依頼をする際にはよく利用する人物だった。

 普段は活発で明るく友好的だが、仕事となればその仮面を脱ぎ捨てて、冷静に算段し確実に依頼をこなす。

 どちらが彼の素性なのかはラダンにも分からなかった。

 光と影の二つの面を巧く使い分け、そして、恐らくそれを見せる者も選んでいるだろう。

 己というものをよく理解し、巧く立ち回りながら、使えるものは使い、使えないものは素早く切り捨てる、そんな器用さと冷酷さを持ち合わせている青年だった。

 そして、何よりも金にならない事は一切しなかった。だが、そういう者の方がラダンも気兼ねなく自分の依頼を任せる事が出来た。

 モリュは待ち切れなかったのか、再度促すように片眉を上げた。

「ここ数ヶ月で生まれた赤子の中に金色こんじきまなこが居たかどうか探って欲しい」

 ラダンが言い終わらないままに、店内の空気が一変したのが分かった。

 視線は決してこちらに向けられていないが、金色こんじきまなこという単語が出た途端、一斉に気配がこちらに集まったのを痛いくらいに肌で感じた。

 そのあまりの居心地の悪さにラダンは思わず顔をしかめた。

「あーっと、すみません、ラダンさん。金色こんじきまなこだけは駄目です……それだけはうちでも扱えないんです」

 モリュはきょろきょろと周りを見渡した後、申し訳なさそうに眉尻をさげて声を落とした。

「名を出す事すら禁じられています」

天鼠てんそしゅうにも扱えないものがあるのか」

 モリュは口をつぐんで小さく頷いた。

(一体何だというのだ……)

 たかが金色の目をした赤子一人に何をそこまでおそれる事がある?

 そもそも、人々は――天鼠てんそしゅうでさえも――なぜそれ程までに金色こんじきまなこを畏れているのだろうか?

 ラダンはサッと全身の端から熱が逃げていくのを感じた。

(俺は何か、とてつもなく大きな流れに巻き込まれようとしているのかもしれない)

――だが、だからといってここで突っ立っているわけにもいかぬ。

 ラダンは瞬時に思考を巡らせた。

 どんな流れが来ようとも今までとさして変わる事はない、ただ忠実に事を終わらせればいいだけだ。

 例え、それで誰かの操り人形になろうとも、そこに何の感情も湧きはしなかった。

「なら、言葉を変える。ここ数ヶ月で生まれた赤子を全て教えてくれ。方位は南、貧民層から王族まで全て、一人も取りこぼす事無く全てだ」

 モリュがふっと笑みをこぼした。

「ああ、それならお安い御用ですよ」

 玩具を見つけた子供のようにいたずらに笑うモリュを見ながら、ラダンは苦笑した。

「いいのか、先ほど話を聞かれただろう」

 モリュはちらと周りを見て肩をすくめた。

「ご依頼は産まれた赤子の情報ですからね、それに俺たち天鼠てんそしゅうは自分が受けた依頼以外には首を突っ込まない事になっているので大丈夫です」

 モリュはわざと周りに聞かせるようにそう言った後、それが決まりですから、と笑って付け加えた。

 店の外では、従来する人たちの談笑や客引きをしている商人たちの元気な声で賑わっている。

 そんな活気溢れる賑やかな雰囲気とは対照的に、写し屋の中にはどこかひりついた、言いようのない独特な雰囲気が漂っていた。

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