第11話 ザムアル帝国

 婆様からのお告げを受けて、ラダンは再び渡り廊下を歩いていた。

 薄布で口を覆ってはいたが、凍るような冷気が顔を刺し、身体中に張り巡らされた血管の一本一本が、縮こまっていく様子がありありと感じられた。

 しかし、脳だけはふつふつと湧き上がる溶岩のように熱かった。

(さて、どうしたものか……)

 婆様から告げられた情報だけでは、金色こんじきまなこが誕生するとされる南の国が何処なのか、おおよその検討もつかなかった。

 あれこれ頭の中で策を練ってはみるものの、結局弾き出される答えは同じところにしか行き着かず、ラダンは小さく舌を鳴らした。

(効率は悪いが、数を打つしかないか)

〈厄介なことに巻き込まれた〉という感情を抱く事は、狩人かりびととしてあってはならない事だと自覚はしている。

 しかし、いつからか芽生えた小さな疑問は時と共に徐々にその首をもたげ、やがて大きく膨らみ、今確信に変わろうとしていた。

 先代から重々しく伝承される因縁めいた思想の檻は、じりじりとラダンを取り囲み、迫りくる厚い壁となって、まるで獲物を狙う狼のようにゆっくりと、そして、確実にこちらに牙を向けているような、そんな鬱陶しさを抱かずにはいられなかった。

 父から叩き込まれた狩人の何たるかをあっという間に吸収し、周囲から狩人の才を認められた時も、成人の儀を迎えた時も、己が何者になったのか、まだあまり分かっていなかったような気がする。

 成人の儀から四年、そして、ここザムアル帝国の王宮に仕えるようになって二年。

 未だに、手綱を引かれてたしなめられ、巧く操られている馬のような、そんな気味の悪い窮屈さしか感じなかった。

 無論、頭では理解している。狩人は闇に生き、主のめいとあらばいのちして使命を果たす。

 理解はしているが、果たして命をけるだけのがここにはあるのだろうか……。


 小さな王国から始まったザムアル王国が周辺諸国を次々と侵略し、帝国へと成長を果たしたのは、次男であるオムサが亡き旧帝の跡を継いだのがきっかけであった。

 長男は元々身体が弱く、また、国を統べるには気弱すぎる性格も相まって、王位継承権を自ら破棄し、今は自然に囲われた深山みやまの別邸で静養している。

 旧帝はと言うと実に賢明な人物であった。

 一見穏やかそうに見えるが、懐に隠し持ったやいばは適宜鋭い牙となり、国を統べるにふさわしい生粋の支配者であったと言える。

 しかし、ザムアル王国への侵略の一切を決して許さなかった代わりに、他国へ侵略するような事も一切行わなかった。

 また、侵略を試みて敗北した小国に対しても統治権はそのまま認め、同盟と言う形で受け入れて、ザムアル王国の支配地を徐々に広げていった。

 他国の王帝が見聞きすれば失笑するか、気が触れたかと嘲笑ちょうしょうされそうなやり方であったとしても、静かにつ確実に、自国の領土を広げるには最も巧妙な策だったと言える。

 故に、周辺諸国からは敵に回すにはあまりにも厄介な人物だとおそれられていた。

 そんな奇人が統べる国だ。表立って侵略しようと闘志を燃やすような無謀な国は、ここ北の地からは消えていった。

 それ故に保たれていた均衡だったとも言える。

 一方で、次男のオムサは旧帝とは真逆の人物であった。

 身体はたくましく育ち、武の才があった為、自らいくさの前線に立ち次々と同盟諸国を強引に飲み込んでいった。

 同盟諸国は混乱しつつも、自国を守るために否が応でも応戦するしか無かった。

 しかし、ザムアル王国と同盟諸国との間に明らかな差があったのは、ラダンたち狩人の存在であった。

 旧帝時代では逃亡した罪人の跡追いや、野盗の一掃、秘密裏に行われる官吏かんりたちの悪事を暴くことを主としていたが、オムサは狩人を戦に駆り出したのだ――本来であれば正しい狩人の使い方である。

 鍛え抜かれた手練れが野に放たれた瞬間、音も無く戦は終焉を迎えた。

 敵国は何が起こったのか分からぬまま、目の前に広がる血の海と先程まで生きて共に戦っていた同胞の亡骸を前に、両手を挙げて降伏せざるを得なかった。

 ザムアル王国が帝国となった今でもオムサは戦の手を決して止めなかった。

 何がそんなにオムサを突き動かすのか、それが狩人や、金色の眼との間にどんな関係があるのかはラダンには見当もつかなかった。

 婆様ならもしかすると全貌を知っているかもしれない。だが、到底聞く気にはなれなかった。

 それに、ラダンにとってみれば小さな王国が領土を広げて大きくなろうが、金色の眼とおそれられる幼子が一人死のうが至極どうでもいい話だった。

 いつものように与えられた使命を遂行し、またこの窮屈な檻の中へ戻ってくるだけだ。


 止んでいたはずの風がさっとラダンの顔を撫でて通り過ぎていった。

(やるしかないか……全く面倒だ)

 心の中でため息交じりにそう呟くと、素早く目を閉じて、ふっと短い息を吐いた。――これはラダンが何かを始める前に必ずする癖であり、脳を切り替える時の合図だった。

「リジェン、ソナ、アッカ、いるな?」

 そう闇に問いかけると、何処からともなく現れた三つの影がラダンの前にぬかづいた。

「近々金色こんじきまなこが生まれる。方位は南。各自選りすぐりを五名ずつ連れていけ。分かり次第すぐに知らせろ。俺は単独で動く」

「はっ」

 短く命じられた三つの影は、音も無く瞬時に暗夜へと消えていった。

 ラダンもまた、口を覆っていた薄布を一層深く引き上げて、王宮の奥へと静かに消えていった。

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