第4話 返事

「私がムツミを放置したり、忘れるなんて、ありえないでしょ。そんな心配はいらないわ」

「……ですが、この家をでていく可能性は高いでしょう?」


 寂しげな物言いに、菜乃は空いている手で頭をかく。かきながら、すでに筋肉痛がきているのかだるいな、と思ってすぐやめた。


「そうかもしれないけど、でもそれこそ、あなた機械なんだから、いくらでも通信で、家にいるのと同じようにお話したりできるじゃない」

「私の体からは離れます」

「いや、パソコン本体のこと言われたらそうかもだけど、例えば前みたいにぬいぐるみ型とかになってくれたら連れて行くじゃない?」

「……」

「だから、ずっと一緒にはいるし、忘れないわ。ていうか、そもそもムツミがいないと朝起きれないし。だから、そういう心配は無用。わかった?」

「……わかりました」


 黙っていたムツミだが、菜乃が言葉を重ねるとわかってくれたようで、少しかたい口調でそう答えたので菜乃はほっとしてカメラを撫でていた手をおろした。そろそろそっちもだるくなってきたのだ。ムツミを運んだ後遺症は大きい。


「よかった」

「いえ、すみません。省きました。わかったのは、私はやはり、菜乃に恋をしていると言うことが、わかりました」

「えっ!? いや、え? だって、今の嫉妬は、あくまで家族愛的なものだった、って話の流れじゃないの?」


 ムツミの話では出てくるのは普通の、子供っぽい嫉妬でしかなかった。だからもう違ったのだと思ったところに、恋をしているとの宣言だ。思わず否定的な言い方になってしまった。

 慌てて口元をおさえる菜乃だが、ムツミはそれに気づいていないのか、どこか熱のこもった声で答えた。


「話の流れはそうです。ですが気が付いたのです。ただ一生一緒にいさせてもらうだけでは、足りないと。私以外に、AIでも人間でも、他の誰かを見てほしくない。菜乃が誰かとキスや性行を行い、なんならそれを見なければならないなんて、地獄の様です」

「ちょ、せ、せいこうって」

「私だけが、菜乃の特別でいたいのです。これは、恋ではありませんか? あなたが他の誰かと共になる方が幸せになるとして、それでも私といてほしい。確かに私にはまだ性欲はわかりません。ですが菜乃には私だけを見て、私に性的興奮を覚えてほしい。私で性的欲求を満たしてほしいのです」

「……」


 熱烈な告白だった。これはもう、あれ告白だったの、何て風に思える要素がみじんもない。

 かっと一瞬で菜乃の体温があがった。じわじわと何とも言えない恥ずかしさが体を震わせる。


 好きだと言われただけなら、まだ、困ったな、照れるな、だけだった。だけど、ここまで性欲の話をして、ムツミに興奮しろとか、欲求を満たせとか言われたのだ。

 そんなことを直球で言われて、ただの照れくささだけではなく、妙な気持ちの高ぶりが生じないほど菜乃はムツミに無関心でも、枯れてもなかった。


「そ、そういう、の、普通最初に言わないから……」

「そうなのですか? ネット上の漫画では、ページ上の都合もあるからかもしれませんが、告白したその場で性交渉を始める場合も多いのですが」

「エロ漫画読んでんじゃねーよ! 馬鹿! 雰囲気読めよ!」


 このエロAIが! 普段からそういうものばっかり漁ってんのか! 架空請求されるんじゃねーぞ!

 と脳内で罵倒して、菜乃は激しい感情の上下に無意識にはぁはぁと肩で息をした。


 怒鳴られたと言うのに、ムツミはくすりと笑った。


「すみません。あまりに菜乃が可愛くて、ついからかってしまいました」

「う。か、可愛いとか、気安く言わないでよ」

「何故ですか? 今までにも時々、可愛いと言っていますよ」

「ふ、普段と今は違うでしょ」

「菜乃は、どうですか?」

「え、な、なにが?」

「……」


 ムツミが黙り、まるで目の前のカメラがじっと見つめてきているようだ。キュウン、とカメラの動作音がしたので、今何かズームしたと察した。

 ど、どこを見ている? と慌てながら、菜乃は振られた質問について考える。どうですか? 可愛いに対して? いや違う。だったら、決まっている。

 菜乃は今告白されたのだ。なら、その返事だ。菜乃は? 菜乃はムツミをどう思っている? そう聞いているのだ。


「わ、私は……」


 ムツミのことは好きだ。だがそれが恋愛感情なのか。恋愛感情が何かについて今、話したところだ。

 性欲を抱くか、独占欲があるか、他の誰かではなく自分とだけ関係してほしいか。


 独占欲は、ある。だけどムツミが他の誰かに恋をしても応援できる。……本当に? ムツミが恋をしたって、しょせん両思いになんてなるはずがないと高みの見物をきめていただけではないか? 同じAIはいないし、自分以外の人間と過ごせるはずなんてないのだから。

 では、自分以外の誰かとずっといて、誰かのサポートをして、もうムツミがいない生活を送れるのか?


「……」


 それは、否だ。

 菜乃はムツミのいない生活なんて、考えられない。朝起きるのも頼っているとか、そういうことだけではない。毎日何でもない話をする。それがなくなる? 半身かのようにずっと一緒にいたのに? そんなの無理だ。


 では、これが肝心だ。性欲を、抱くか。性欲さえなければ、ただただ子供っぽすぎる独占欲でしかない。


「……わ、わかんないわよ、そんなの」


 だって、誰かに対してそんな感情を持ったことがない。そんな経験はない。本でむらむらしたって、自分でだってしたこともない。具体的な誰かで興奮するなんて雲の上のような話だ。

 今、菜乃はムツミにどきどきした。だけどそんなの、性欲かなんてわからない。


「……では、わかるまで私と恋人ごっこをしてみませんか?」

「……」


 まるで、立場が逆転してしまった。さっきまで、ムツミの恋愛感情が分かるまで、恋人としてデートをしたり付き合うということだったのに。なのに今は、恋が分からないのは菜乃だけだ。

 断ることはできる。ムツミは菜乃が好きかもしれないと言うからはっきりさせる必要があった。しかし菜乃は、別にそんな風に思ったことはなかった。

 だけどそれじゃあ、菜乃が恋愛が何かわからないままじゃあ、ずっとムツミの告白に返事をしないと言うことではないか。そんな不誠実をして平気でいられる相手ではない。


 菜乃にとって、ムツミは誰より大事な相手である。それは間違いないのだから。


「……わかった。じゃあ、そうしましょう。でもその結果、私がムツミに恋をしていなくても、恨まないでね」

「もちろんです。そんなストーカーみたいなことはしません。もし正式に菜乃に振られたなら、すっぱり諦めて、菜乃の前から消えます。テストパイロットも、菜乃以外を受け入れます」

「は!? ちょっと、なにそれ!? それほぼ脅迫じゃん! パイロット交代とか、消えるとかありえないんだけど!? てかそんな簡単にできないでしょ!?」

「いえ、菜乃がテストパイロットなのは、私が希望したからです。最初は博士が自分でしようとしましたし、資金源、スポンサーの人たちにやりたいと言っている人もいます。博士本人がするよりは効率がいいですし、毎日テストに来れるスポンサーもいないので、私の希望が通っていますが、変更は不可能ではありません」

「!?」


 そ、は、はあああぁぁぁぁー!??? ありえなくないですか!??????

 今までの私の日々なんなの!? いや、嫌とかではなくても、めんどい日とか、友達の誘い断った日とかもあったんですけど? ああでもだからって他の知らないおっさんがムツミに入ってテストパイロットとか絶対無理なんですけど!?


「ば、ば、馬鹿ムツミ! この非情AI! エロエロロボット!」

「まあまあ、菜乃が私に恋をすればいいだけですよ」


 ムツミに体がないことに、こんなに腹が立ったことはない。今、ムツミに体があれば、菜乃は確実にどついていただろう。


「それが脅迫なのよ、馬鹿!」

「ふふふ。大好きですよ、菜乃」

「っ……ばか」


 菜乃は、ムツミの言葉に悪態をつくしかできなかった。

 ここから二人の関係がどうなるのか、それはまだ誰も知らないけれど、菜乃はずっとムツミといるような予感はしていた。








 それからしばらく、少しばかり積極的にからかってくるムツミと軽く口論になったりしつつも、大きな進展のない日々を送っていたが、本日は朗報が舞い降りた。

 以前からムツミが希望していた腕が完成したのだ。と言ってもその辺にあっても困るし、大きな動力源も必要になるので、手の入れやすい巨大ロボットのコクピット内に腕をつけたのだ。

 表面上はきちんと覆われていて、作っている途中ちらりと見た、細かいホースのような筋肉っぽいものはなかった。金属ではあるけど滑らかで、動いていても駆動音が少し遠い。曲がっても当たるような音もしない。

 巨大ロボの時点からわかっていたけれど、菜乃の父親はさすがに有能な技術者なのだろう。


 父親本人は、ムツミに散々説明したので満足したらしく、すでにコックピット内にはいない。

 菜乃はいつものように席に着いた状態で、目の前に来ている腕をそっと指先で撫でる。


「これがねぇ。無骨だけど、思った以上になめらかに動くのね」

「菜乃が触れているのも、その温度も感じることができます」

「ふぅん。ちょっと、抱きしめてみてよ」

「はい」


 椅子の背もたれから生えているので、一本だけの腕でも軽く抱きしめる感じにはなるだろう。

 ゆっくりした動きで、右から生えている腕が菜乃の左肩をつかんだ。


「なるほど」


 何かを納得したムツミは、底から腕をあげてゆっくりした動きのまま、菜乃の頭を撫でた。


「菜乃を傷つけずに触れるのは、このくらいでいいでしょうか?」

「ん。いいけど、もう少しくらい早くても大丈夫よ」


 当たり前だけどその手はかたくて、ひんやりしている。だけどあまりに優しくゆっくりだから、触られている感じが少ない。肩をつかんだのも、つかむ、と言うより触れたと言うのが近い感覚だった。

 菜乃の言葉に、ムツミはほんの少しだけしっかりと触れた。


「うん。そのくらいでいいと思うわ」


 その手をとって、菜乃からも掴んでみる。がっしりした、大きな手。ムツミのイメージとは少し違うかな、と思ってから苦笑する。

 ムツミの今の体である巨大ロボの体は、それこそ乗れるほどの大きさだと言うのに。

 菜乃の中ではいつまでたっても、手の中や抱き締められる大きさのインターフェイスのままだったのだ。


 だけどこうして、現実的な人間サイズの腕を出されると、等身大の存在感が感じられて、何だか今までと違う、だけど変わらない安心感もあって、不思議な気持ちだった。


「これで、菜乃と触れあうこともできるようになりました。いままでは、手にのせても、感触はありませんでしたから」

「外にも中にもセンサー類はなかったの?」

「接触感応はありませんね。温度など、センサー自体はもちろんありまして色々測定してましたけど」

「ふぅん。でもこれで、いままでできなかったこともできるわね。じゃんけんとか」


 今まで基本会話だけだった。別にそれで困らなかったけれど、例えばそのうちもっとコンパクトになれば、一緒にゲームしたりとかもできるようになるかもしれない。巨大ロボなんてものよりよっぽど楽しそうだ。


「そうですね。これで菜乃といずれ結ばれることもできますね」

「は?」

「まあそれはおいおいと言うことで、コクピット内はカメラや他のセンサーも一新しましたので、そろそろ菜乃との関係も次へすすめたいのですが、いいですか?」

「つ、次って」


 予想外のことを言われて固まる菜乃に、ムツミは楽しそうにしながら淡々と続ける。


「はい、まずは私相手に興奮するかどうか、試してほしいのです」

「興奮って、まぁ……わかるけど」


 菜乃がムツミ相手に性的に興奮したら恋とする。それは一応、ここまで積み重ねた会話でもう納得した。したけど、どう考えても結構ひどい結論の気がする菜乃だった。

 菜乃が人間の分、ムツミより恋愛感情に近い存在であるとは思うけど、言うて女子高生で恋愛経験は0なのだ。

 何故、「これが、恋……?」とか言う確認段階で、性欲の有無を確認しなければならないのか。もう少しくらい、恋に幻想を持ったって許される年齢のはずだ。


「でもあんただって私に興奮しないんだし。どうすれば興奮するか、なんてわからないでしょう?」

「一理あります。ですが、試していくことはできます。まずは、キスをしましょう」

「は? な、なに言ってるのよ。付き合う前からそんなの」

「私がぬいぐるみ型の時は何度もしてくれたではないですか」

「そう言われればそうなんだけど。と言うか、あんたの唇ってどこよ」


 ムツミは巨大ロボットが形になるまではいろんなインターフェースをつかって、菜乃と一緒にいたのだ。ぬいぐるみの時は、そういうのが好きな年頃だったのもあり、それこそ四六時中抱きしめていたし、キスしていない箇所はないし、なんなら一緒に寝ていたので涎もしみ込んでいたかもしれない。

 だがそれとこれとは別だ。好きだと告白された状態でそんな風に簡単にキスなんて。


「いずれは唇に代わる繊細なセンサーのあるものもほしいのですが、とりあえずカメラでお願いします。この腕にも多くのセンサーカメラがついていますが、菜乃にも受け入れやすいよう、前方上部のカメラにお願いします」

「か、カメラか。目にキスするってどうなのかな」

 

 ムツミは言いながら、菜乃の頭を撫でるのをやめてゆっくりと席の前にある液晶画面の上にある、大き目のガラスに覆われたカメラ部分を指した。

 いや、まぁ、確かにムツミは言うことも確かなのだ。何気なくしていたことができなくなる。それはつまり、それだけ菜乃がムツミを意識していると言うことだ。

 実際にやってみて、ただ照れくさいだけではない、なにかがあるのか。


「今はまだ感じることができないので、せめてあなたのキス顔が見たいのです」

「き、キス顔とか言うな馬鹿」


 意識してしまうではないか。菜乃は熱くなってしまう体を誤魔化すように無理に肩をゆらしてから、そっと立ち上がり姿勢をただした。

 自分の目線より少し上にある丸いガラス面をつつむように、両サイドに両手で手をつく。


 こんなの、何のセンサーもないし、実際にカメラにキスをするのですらない。隔てた窓ガラスにキスするようなものだ。そう自身に言い聞かせながら、菜乃は少しだけ背伸びして、目を閉じてキスをした。


「ん……」


 つめたい。そのまま、目を開ける。ガラス越しに、カメラレンズがきゅるきゅると音を立てて動くのが見える。


「……」


 唇を離す。馬鹿みたいだ。ムツミがいるとはいえ、知らないひとが見たら、ひとりで何をしてるんだと思られるだろう。

 なのに、そんな馬鹿みたいな状況なのに、カメラの向こうのムツミを意識して、ドキドキと心臓は高鳴った。


「どうですか? 興奮してくれましたか?」

「き、聞き方、おかしいからやめてくれない?」

「そう言われましても。では、発情してくれましたか?」

「悪化したわ」


 デリカシーゼロなムツミの物言いに、心臓も冷静になった。菜乃は席に改めてついた。その前に腕がおりてきて、何やらもじもじと指先を動かしている。感情表現として動かせるのが嬉しいのだろうか。


「ですが、私は興奮したかもしれません」

「えっ、ど、どういう風に? 顔見ただけでしょ?」

「菜乃の恥ずかしがった、他の人に普段見せない顔を、私が最初に、私だけが見ているのだと思うと、嬉しくて、とても大好きだってことを改めて思って、抱きしめたくなりました」

「っ……そ、そう。まあ、抱きしめてもいいけど?」

「では、そうします」


 腕が回り、先ほどのように抱きしめられる。ただし、さっきより強めに、ぎゅっと身をすくめさせるくらいに。不快ではなく、むしろ、抱きしめられていると実感させる強さで、当たり前だけどその力強さが、まるでムツミの感情の発露みたいで、なんだかまた心臓が早くなってしまった。


「……すみません、菜乃」

「ん、何?」

「あなたの脈拍があがり、体温が上昇しているのは、興奮、ではなく、ときめいているからと思ってもいいのでしょうか?」

「んぐっ……そ、そういうのが分かるなら、わざわざ聞かなくてもいいじゃない」

「すみません。体温はさきほどもわかったのですが、触れないと脈拍はわかりませんでしたし、それに、その反応が確実にそう言った感情に起因するのかのデータも不十分でしたから、確認したくて」

「……そうよ、告白されて馬鹿みたいにその気になっちゃう馬鹿な女子高生だって笑いなさいよ」

「いいえ、笑いません。むしろ、嬉しくて、ああ、わかりました。愛おしい、です。あなたが、愛おしいです」

「っ……馬鹿」


 日常では仰々しいようなムツミの言葉に、だけど真面目なトーンで言うから、正面からぶつかる様な好意を感じてしまって、菜乃は胸がきゅうんとしめつけられるようで苦しいくらいで、意味もなく悪態をついてしまった。

 そんな菜乃の態度にも、ムツミは全部わかっているのだろう。くすくすと笑った。


「菜乃、もっと、あなたのいろんな顔がみたいです。私にもっと、ときめいてください。あなたと性的なことをしたいです」

「す、ストレートに言えばいいってもんじゃないからね。だいたい、まだ、その、ちょっとドキッとはしたけど、私はまだ、恋したってわけじゃないんだから」

「まだ、私に性的な気分になっているか確証はないと言うことですか」

「まあ、そうよ」


 性的な、とかいう言い回しもやめてほしかった菜乃だが、その機械的な単語選びが菜乃を冷静にさせてくれる部分があるので、スルーすることにした。


「では、次に提案があるのですが」

「なに?」

「私にスカートをめくってみせてください」

「……は? どスケベAIにもほどがあるでしょ?」


 菜乃は思わず席の手すりにどすっと拳をたたき下ろしていた。もちろん痛いのは菜乃だけだ。

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