瑠璃、幼少期 6

「学校楽しい?」

玄関で母が尋ねてきた。あたしの背には真新しいランドセルがあった。これは学校が背負わせている重荷であり、私は嫌々ながら重い鞄を背負っていた。

「行きたくない。つまらない」

素直に答えた。

「なら、行かなくていいわ。家にいればいい」

「でも」

行きたくないのは本心だ。けれど、いかなければならない。そうしないと将来がないと皆が脅してくるからだ。

「苦手なことはしなくていいの」

そんな大人たちと違って母は真逆のことを言う。

「ランドセルをおろしてとホットチョコを作りましょ。ビスケットとフリュイコンフィも一緒にして」

母がそう言ってくれるのなら、許してくれるのなら、学校にだって行かなくてもいい。人生の中で1番馬鹿だった時代のあたしは母の誘いに笑顔で受け入れた。

重苦しいランドセルを下ろし、ホットチョコで将来の不安を流した。

「苦手なことはしなくていい。得意なことだけしましょ。瑠璃は何ができる?」

私は下唇を舐めて口端についたとチョコをとってから答える。

「裁縫と料理、洗濯、掃除」

「瑠璃は何でもできるのね。ママ誇らしいわ」

満足そうに笑って褒めてくれた。あたしは嬉しくなって喜びは手先に表れて、もじもじと指を遊ばせた。

その日からあたしの不登校暮らしが始まった。

学校に行かなくてもいい。母とずっと一緒にいられる。そう思い込んでいた。

あたしが不登校になってから母の外出が増えた。日本には母の親戚もいなければ友人もいない。況してやあたしよりも日本語が喋れない。

あたしを置いてどこ行くのかと不安になるも、1時間ほどで帰ってくる。決まった時間に行き、決まった時間で帰ってくる。

どこ行っているのかを尋ねると母は友人と答える。フランス語が話せる友人だろうか?

その日、久しぶりに外出した。「パパには内緒ね」と茶目っ気含めて母が笑った。2人だけの秘密ができたようで嬉しかった。

遊びに行ったのは大学の学園祭。意外だった。母とのお出かけはショッピングモールか遊園地で、こうしたイベントには興味を示さない。

不思議ではあったが、屋台でりんご飴を買ってもらうと甘い満足感を得て、疑問は消えていた。

構内に入ると体験型の催し物を開催している研究室に向かった。

母娘が室内に入ると若い男子学生が母に満面の笑みで迎えた。

「エマ、待ってたよ」

彼は日本語で母に寄る。

あたしはさっと母の後ろに隠れた。

「この子が娘さん?母親似の美人さんだね。エマを小さくしたみたいにそっくりだ」

娘の賛美を母は笑みで返す。母は先程の日本語を理解して笑っているのか、それともニュアンスで伝わったのか。

「ママのお友達よ。少しお話ししてくるから瑠璃は待ってて」

そう言ってあたしを別の学生に預けて、母は若い学生と別室に移動する。

あたしの相手をする学生は女性で英語が話せた。慣れていないたどたどしい口調ではあったが通じない訳ではない。

もしかしたら、ここの学生は英語を勉強しているのかもしれない。だから、母とも友達になれたのだろうか。

自分を納得させても先程感じた矛盾が拭えない。

トイレを行くふりをして別室に入った母と男子学生を追う。

別室は荷物置き場になっていた。大きな棚と段ボールが道を作り、小さな迷路みたいになっている。

「すごいわ。これであの人の目も欺ける」

日本語が耳に跳び込んだ。間違いなく、母の声だ。

段ボールの背に隠れて2人を覗く。

母の手には2台のスマホがあった。一台は母が所有するものでもう一台は型の古いスマホ。母は2台のスマホを鞄に仕舞う。

「お礼するわ」

「いらないよ。君のために用意したんだ」

財布から札を取り出そうした母の手を男子学生の手が包み込む。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る