カンダタ、生前 7

「屋根のあるところに暮らしたことがないんだ」

「なんで?塀の外はなんでもあるんでしょ?ここよりたくさんあるんでしょ?屋根のある所もたくさんあるんじゃないの?」

塀の外を知らない紅柘榴は世間とは外れた発言をする。塀の外はここにはないものが手に入ると思い込んでいるようだ。

「そうだな。外はここよりも広くて、ここにはないものもたくさんあるけれど、その全てが手に入るわけじゃない。俺が手に入れられるのはごく僅かだ」

紅柘榴から桶を受け取る。塵芥を吸い込んで黒んだ木綿の雑巾。俺からしてみればこれですら高級品だ。

「俺は、外よりここがいい」

しまった。つい口を滑らせてしまった。紅柘榴はこれをどう捉えたのだろうか。横目で彼女の表情を伺ってみると紅柘榴は塀を一心に見つめては切なそうに吐息を吐く。

「それでも私は外がいいな」

彼女の生い立ちと言うものを想像してみた。出口のない塀、たった1人で暮らす紅柘榴。ここには色とりどりの花はあるが、どの花草も話し相手にはならない。

紅柘榴の素性というものは一度だけ触れただけ。その後は聞こうとしなかった。孤独になった理由を知られたくないは俺も同じだからだ。

「雑巾がけを教えてくれないか?俺ははやり方を知らないんだ」

代わりに笑ってみせた。人との会話を好まない俺がうまく笑えずはずもない。紅柘榴から見た俺の笑顔はぎこちなく映ったはずだ。それでも目を細めて笑い返してくれた。

作り笑いだと気付いてはいたが、気付いていない様子を装った。これが俺たちの最大の優しさだった。


体力が戻るのに時間はかからなかった。

床磨きをしているうちに身体は自由に動けるようになり、俺も軽々と登れるようになった。

屋根の上で悠々と日向ぼっこしている俺に紅柘榴は感嘆とした息を吐く。

「君を連れて外にでも連れて行けそうだ」

見栄や強がりといった虚勢ではなく、確実な自信から来る言葉だった。

彼女は塀の外を夢見ては俺の方を見上げる。紅柘榴は明るく笑っては首を横に振った。

傷も完全に塞がり、走り回って跳ねてもなんの支障もなかった。人食い塀の外にはいつでも出れたが、それを拒む自分がいる。

紅柘榴の傍にいたい。外の話を聞かせてやりたい。そうした純情は建前で、触れたいと言う卑劣な心が俺を留まらせていた。

俺なりに節度は守っていた。しかし、これも世間知らずのまま育った由縁になのだろう。紅柘榴は俺が保っている距離を無視して、俺に詰め寄ると髪を梳いたり、頭を撫でたりする。その度に「揶揄うな」と怒ってはみるものの紅柘榴は可笑しそうに目を細める。

怒っているわりには嬉しくも恥ずかしそうに顔を赤らめているのが面白いのだろう。俺を童か小僧だと勘違いしているのだ。そうでないと異性の髪を梳こうだなんて思うはずがない。

確かにこは人を小馬鹿にした言動には違いないが、世間の嘲りとは別物だ。あれはなんと言えばいいか、紅柘榴は春のような人なのだ。

花の香りを纏い、触れる手は日差しのようで、|艶≪つや≫やかな黒髪が暖かいそよ風に似ており無垢な瞳で見つめてくるだけで春に包まれたように安らぐ。

心地いい日和で俺を包み込みながら俺は彼女に縛られていくのだ。

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