カンダタ、生前 6
「いつからここで暮らしている?」
紅柘榴の正体を知るべく、さりげない会話の中でそれとなく聞いてみる。
「生まれた時から。昔はね、乳母や兄弟がいたんだけど、あちら側に行ってしまった」
常世や黄泉の世界をあちら側と表現した。憂いた言葉の裏には大切な人が亡くなっておらず、あちら側で生きているのだと幻にも似た願望があった。
悲しい願望に目蓋を伏せて、次に目蓋が上がる時にはその悲しみを押し込めて笑みを作っていた。
辛い思い出を蒸し返したようで、聞いてしまったことを後悔する。
亡くした人を思い、独りの寂しさに憂う紅柘榴が人間のようで、「彼女は妖だ」だと警鐘を鳴らす疑惑が薄れるのを感じた。
熱と痛みがひき始めた頃には彼女の虜になってしまっていた。溺れているのにその感覚が心地良かった。鬼でも妖女でもそれでも構わないと愚かにもそう結論づけてしまったのだ。
体温は平熱を取り戻し、刀傷も痛まなくなってきた。健全となったが、数日間寝たきりとなっていた身体はすっかり鈍ってしまっていた。
体を自由に動かせるようになったと言うのに俊敏さはなく、歩行もぎこちない。試しに軒下から屋根を登ろうとするも脚力が足りず、地面に腰を打ちつける。
「何してるの?」
打った腰を摩っていると一部始終を見守っていた紅柘榴が可笑しそうに笑っていた。
ばつが悪いところを見られ、赤面する顔を隠しながら起き上がろうとする。しかし、それすらもままならず重心が揺らぎ、蹌踉めく。
「まだ寝ていたほうがいいよ」
「身体が鈍っているだけだ。本来なら登れるんだ」
情けないところを見られた。それ以前にも醜態さらした姿しか見せていないのだが、それでも意地を貼りたかった。熱で魘されているだけではないのだと印象づけたかったのだ。
「本当に?」
紅柘榴は疑いの目で俺の見栄を見透かす。
「あのな、俺は傷を負ってあそこの塀を越えてきたんだぞ」
人食い塀に指を差す。紅柘榴は不満そうに口を尖らせた。
「そこは覚えているのね」
意味ありげなことを言う。紅柘榴が言っているのは俺が熱と悪夢に魘されていた時のことだろう。俺はその三日間のことを全く覚えていない。
一体何があったのだろうか。醜態晒したような言動でもしたのだろうか。気になるが聞けない。そんなどうしようもないもどかしさが落ち着かず、首裏を掻いていると紅柘榴は持っていた桶を俺に差し出す。
「身体を動かしたいなら手伝ってくれる?」
さっきまで機嫌が悪そうに口を尖らせていたのに。転々とする紅柘榴の表情は自信ありげだった。俺が断らないのだと疑っていないようだ。
一方で俺は水が溜まった桶の中の雑巾を一瞥して紅柘榴を見る。彼女が求めているものがわからない。
「床を磨いて欲しいな」
「磨く?」
「そう、汚れる前に綺麗にして欲しいの」
「どうやって?」
「雑巾と水で」
しっくりこない。そもそも床は磨くものなのか?
「もしかしてやったことない?」
この問答で察したらしい紅柘榴はまた表情を変えては驚愕をありありと表す。
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