蜘蛛の脚 10
もし、蝶男にバレているとしたらどこまで見透かしているのかしら。
「ゆっくり話がしたかったのよ。紅茶のこととかね」
蔦の感触はまだある。蝶男とあたしは互いに勘ぐりをする。
蝶男の関心があたしに向いたのなら時間稼ぎはあたしが担う。
「ああ、そうそう。すっかり忘れていたよ」
蝶男はあたしの顎を乱雑に掴むと引き寄せて、右、左に交互に顔を向かせる。
「この新薬でも駄目だったか。うまくいかないな。あと試していないのは」
独り言をぽつり、ぽつりと呟いてあたしの顔、首筋を研究者の目でじっくりと観察する。
合図を待たないで、カッターで切りつけてやりたい。
湧いてくる殺意を抑えて、カッターを悟られないように努める。
蝶男の手は顎から離さず、あたしの目線は右左へと動かされる。
そうして、自由の効かないあたしの視界はカンダタとすみれを入れる。
カンダタは内にある黒い殺意と葛藤して、あれほど喚いていたすみれは静かになっている。
その原因は身体に変化が起きていたからだ。黒蝶の模様が肌に浮き出て、千切れた片腕から緑色の触手が伸びていた。触手にはパッションフラワーと大きな葉が生えていた。もしかして、あれもパッションフルーツの一部?
あたしが飲んだ紅茶は黒蝶化させるものだった。すみれにも清音にも同じものを出していたのなら、カンダタと同じ怪物になるのは必然ね。
すみれは人とは思えない獣のような雄叫びをあげると蔦を自在に操って、跨るカンダタを絡ませ、宙へと放り出す。カンダタは指揮台の上に落ちる。
背後で起こった出来事に蝶男は振り返り、あたしから手を放す。同時に、手首に巻いてあった。蔦の感触がなくなった。ケイたちがやり遂げたみたいね。
「蝶男!」
あたしは叫んだ。呼ばれた蝶男は視線を戻す。彼の意識があたしに向いたところで光弥がカッターを振りかざす。
蝶男の視界の上で光弥は額から目を切りつけようとしていた。小さな刃が額の肌と接触した瞬間、あたしは蝶男の懐をかいくぐり、怪物同士の戦いに乱入しようとしていた。
すみれは身体を起き上がらせると、自分を襲ったカンダタではなくあたしへと向き直る。
破壊された片腕はもう人としての肌や骨、血の欠片もなく、緑と花が犇めく怪物の触手となっていた。
「さぁあああづかああああ」
理性まで消えたすみれは回らない舌であたしの名前に怒りを込めて叫ぶ。
しっかりとした発音ではないものの苗字を呼ばれるのは腹が立つ。でも、今の彼女にそれを言っても無駄ね。あたしも相手にしていられない。
あたしはカンダタが落ちた指揮台へと真っ直ぐに走る。背を向けて走るあたしを捉えようと蔦を伸ばす。
すみれに捕まっては目的が果たせない。だから、あたしは指示を出した。
「ハク!投げて!」
白い腕にあたしの両足が乗る。地を這ってくる蔦から逃れ、カンダタを目指してあたしを投げる。
蔦に捕まらず、短略する為に出した指示。焦っていたからか忘れていた。ハクは力加減が下手くそだった。
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