糸と蜘蛛

雨に潜む 5

8階に着くと下に広がる風景にカンダタはまた目を奪われる。

「さっきまで地上にいたのにどうやって飛んだんだ?」

「飛んでない」

堪えられなかったカンダタが空に近くなった風景に圧巻されている。8階からの、よくある住宅街なのに大げさなのよ。

あたしが住む部屋のドアノブに親指を押し当てると鍵が内側から解除され、ドアが開かれる。

「さっきから扉が勝手に開いているがなんでだ?」

「魔法よ」

説明するのも面倒になってきたから質問が飛んできたらこれで対応しようと心に決める。

3日間、誰もいなかった部屋に主が戻り、静寂の我が家に人の生活音が蘇る。

土曜日の午前にすることが決まっている。掃除だ。あたしが病院のベッドで暇な時間を過ごしてしまったせいで、貴重な時間を潰された。だからといって掃除を怠るわけにはいかない。

物置部屋から掃除機を取り出して騒音を撒き散らしなながらチリと埃を吸い取る。

ハクとカンダタがまた珍妙な面持ちであたしの行動を見守る。彼らからしてみればひも状のもので繋がれた棒をフローリングの上で滑らしているようにしか見えないからそんな顔するのは当然だった。

カンダタがまた質問してきたけれど掃除機の音で掻き消されたので無視して続けていると掃除機の先端がカンダタの足にぶつかる。

「邪魔。あなたたちはベランダにいて」

掃除機のスイッチを切り、不機嫌な口調でベランダへと指を指す。カンダタは眉間に皺を寄せて掃除機を見つめる。あたしの行動について全く理解できていない。

「部屋を綺麗にしたいのに巨大なゴミがあるせいで捗らないの。自分の手で持てればいいんだけど、大きすぎてね。ゴミの意思も尊重してあげたいし」

あたしもう一度、ベランダを指差して言う。

「だから、協力をお願いしているの」

「時代についていけない人に対してかける言葉じゃないな」

「優しさよりも清潔さを優先したいの」

カンダタは不服そうに溜め息を吐いて指した方向へと歩き出す。その背中をあたしは見守り、その隣でハクが同情の目つきで見守る。

「あなたもよ、ハク」

「ギャッ!ギャア!ギャア!」

それを聞いた白い隣人は驚きが混じったクレームを鳴き声で訴える。

「あたしに文句を言いたいなら言葉を覚えてからにして」

ハクには喋れる舌がない。この子もまたカンダタと同じ顔をしてベランダへと向かう。

障害物がなくなると満足した笑みを浮かべて掃除機のスイッチを入れる。

掃除機の後は雑巾でフローリングを磨きたいところだけれど、既に13時を回っている。水回りの掃除もしたいから雑巾がけはできないかな。

掃除の途中で郵便物が届いたから段ボールの荷物を受け取ってサインをする。差出人はフランスにいる叔母からだった。

「でかいゴミが入っても平気か?」

段ボールのテープを剥がしているとカンダタがガラス窓をすり抜けて顔だけを覗かせる。