邂逅するまで 10
仏は男に孤独を押し付けられた。仏の真意は計りようがないが、人に飢えさえようとしていたのは確かだ。今の男がそういった状況だった。
だからこそ、突然現れた女性に唖然となった。石で頭を殴られたようで、思考もままならない。
彼女はもう一度、見渡してその後「はく」とだけ呟いて男は立ち上った。
人に会えた嬉しさか、孤独から生まれた欲求か、芽生えた感情に正体はなかった。しかし、懐かしい感覚だった。そこにいるのは確かに人なのだ。
走って来る男に女性は驚いて逃げようとするも手首を掴んで制止させる。途端に、女性が悲鳴を上げた。当たり前だ。見知らない男が走っていきなり掴んできたのだ。恐がるはずだ。
掴んだ手を引っ込めて身を退かせる。また女性も逃げようとせず、こちらを睨みつける。
初めての遭遇に胸が高鳴ったが、すぐに冷めた。彼女の深く冷たい目がこちらを責めて申し訳ない気持ちになる。
金髪の女性は男をつま先から毛先まで、まじまじと見つめた。安全確認をしているような鋭い目つきだ。
「あなた、あの時の」
独り言のような呟きが女性から漏れた。
会ったことはないはずだ。少なくともこんな目立つ風貌は忘れにくい。
「覚えがないのならいいの。忘れて」
記憶を探る様子はそのまま顔にでていたらしい。
気にしなくていいと言うのならそうしよう。どうせ乏しい記憶力では何も思い出せないのだ。
「で、あんた誰なの?あたしに用?」
用があったわけではない。強いて言うのならそこに人がいたからとしか答えられない。ひとまず、名を聞かれたならば、名乗らないといけない。
喉を鳴らそうと、息を吐く。出たのは空気が口喉を通る音だけだった。
名。自分の名。呼ばれていた名。男に押し付けられていたものはあまりにも長かった。それを実感したのはこの瞬間に他ならない。男の名は永久に埋もれてしまっていた。
「ねぇ、聞いてるの?喋れないわけじゃないんでしょ?」
「しょ、んな」
咄嗟に出た言葉は掠れて弱々しく舌もうまく動かせない。一応、声は出せるようだ。
「じゃあ、なんなの?」
女性には苛立った棘があった。用もないのに知らない男に掴まれた。それがひどく不快だったらしい。
何も話せずにいると女性は大げさな溜め息を吐く。
「用がないなら、行くわ」
背を向けて去って行く。本当は引き留めたかった。何かが変わるかと思った。もしかしたら、ここから抜け出せると。しかし、それは男が人に出会えただけのことで地獄の生活が終わるわけでない。
勝手に期待して勝手に落胆する。身勝手だったが、ひどく傷心していた。彼女の姿が見えなくなっても、しばらくの間頭を項垂れて佇む。周囲への警戒も怠っていた。そのぐらいに男の心情は落ちていた。
その心が危機感を鈍らせた。低い唸り声が背後から聞こえた。
凍ったのは背筋だけではなかった。悪寒は全身に伝わって逃げる脚ですら動こうとしない。男にできたのは目線だけを振り向かせて鬼の鉤爪を迎えることぐらいだった。
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