邂逅するまで 5

 口の先端は器用に肉の端を噛んで包装紙だけを残して引き抜く。一口で食べてしまったチキン。この上ない喜びに満たされてハクは幸せな息を吐く。

 チキンを食べられてしまった。いや、それよりも食べられたことに驚きを隠せない。

 あたしに突進してきたときもそうだった。ハクはあたしには触れられるみたい。なら、このチキンは?法則があるのかしら。

 チキンは惜しいけれどそれはまた別の時に買えばいいだけ。あたしにはまだメロンパンがある。

 最近のメロンパンは生クリーム入りメロンパンが目立つようになった。取り敢えず、女性が好きそうなものを入れればいいという安易な発想は気に入らないけれど、つい手を出してしまうのはあたしもクリーム入りメロンパンを憎めないから。悔しくても手に取ってしまう。

 罪深いクリーム入りメロンパンにもハクは目を光らせたけれどこれだけは譲れない。

 「あんたにはもうやったでしょ」

 残念そうに眉を垂らすもそこまでの執着はなく、すぐに諦めてくれた。

 メロンパンを頬張りながら雨の街を歩く。駅が近くなっていくうちに、駅の入口近くで人が集まって騒いでいる。その中には警官姿の人もいる。

食べかけのメロンパンを鞄に押し込んで、騒ぎの横を通る。あたしには関係ないと思いつつも流し目で騒ぎの原因を突き止めようとする。

 「なんで!私が!悪人扱いなのよ!」

 「だからね、公の場で許可のない宣伝活動は」

 「私を疑っているのね!」

 「メガホンをこっちに向けないで下さい!」

 言い争いをしているのは警官と中年の女性で、その顔には覚えがあった。

あたしが行きの電車で乗る駅にいた。毎朝、怪しい宗教活動をしている人だわ。あの人ここでも迷惑な布教をしていたのね。警官が職務質問したらヒステリックになったらしいわね。

 女性は警官と野次馬に指を差して叫ぶ。

 「悪人だったらたくさんいるじゃない!あいつもあいつも!なんで私が責められるのよ!」

 「一旦落ち着きましょう!」

 彼女の怒声は改札を抜けてもよく聞こえてきた。

 これで捕まってくれれば明日の朝は静かになるのに。

そんなことを考えてホームを降りる階段で立ち止まる。ひらひらとあたしの前を横切る黒い虫がいた。雨なのに珍しい。蝶がいる。あまり見かけない品種ね。

 蝶は曇天の雨でも軽やかに真上を飛ぶ。

 虫が好きでも嫌いでもないのに、階段の前でその蝶を眺めていたのは幾度もなく羽ばたくその様がどこかへ手招きされていると思えたから。馬鹿らしいけど、本気でそう思った。

 ハクも同じように眺めていたけれど唐突に吠え出した。甲高い金切り声は犬の威嚇そのもので一羽の蝶に警戒と憎悪を表す。なのに、その怒声は悲鳴みたく聞こえるのはあたしの気のせい?

 蝶はずっと手招きを繰り返し、あたしはそれを見ていた。そうしていると後方からの怒声と叫び声が混じって大きくなっていった。

 白い隣人が金切り声で威嚇するものだから、避けることができなかった。気付いた時にはすでに遅かった。

 振り返ってみればヒステリックを起こしていた女性が改札を跳び越えて走って来る。

 障害となっている人を押し倒して、疾走の勢いを弱めずに走る。警官も追ってはいたけれど、追いつけずにいた。

 人を押して、倒して走る女性は後先を考えるほどの余裕は持っていなかった。あたしも女性にとっては逃走の障害物でしかなく、逃げる女性は呆けていたあたしを後ろへと突き飛ばす。

 ドン、と押された衝撃はあたしを宙に投げて、ローファは段差を滑るようにして離れていく。あたしを地に繋ぐものはなくなった。

 落下する感覚はゆっくりと流れる。息を呑む声、悲鳴、雨音。近くにあったのに遠くから聞こえた。

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