彼の日常について 3

まず、格子が古く、男の体重に耐えられない時がある。こればかりは運に祈るしかない。もう一つはここの真下に鬼がいる。屋上から下を覗かせると薄暗い細道に黒く蠢く生物が3体。まだ、男の存在には気付いていないようだが、大きな音をたてれば、階段や壁を登って来るだろう。


 落ちずに静かに、跳び移る必要がる。


 大きく息を吸い、吐く息と共に高く跳ぶ。

 助走をつけても届くか届かないかの微妙な距離だった。空中でも長く跳ぼうと宙を踏み、手を振り回す。必死になりながらも男の手は格子を掴んだ。高く跳ねた分の体重と必死になった分の握力が一本の格子に受け止められて悲鳴のように軋んだ音を鳴らす。


 ぶら下がった身体のまま、下を確認する。鬼たちは薄い影の中で蠢いて登って来る様子がない。胸を撫で下ろし、格子の内側へと足を着かせる為、もう一つの手で格子を掴もうとする。それがいけなかった。


 安心して適当に掴んだ格子は脆かったのだ。男が握って力を加えた途端、一本の格子が金切り声を上げ、外れてしまう。不意を突かれた出来事により、力んだ手は空回りをして保っていた均衡を崩す。男が下に落ちることはなかった。しかし、外れた鉄棒はするりと男の手から離れ落ちていく。

 鉄棒は鬼の目の前に着地して、鬼は落ちてきた謎の鉄棒に興味を示す。そして、顔を上げて男と目が合う。


 鬼たちは悲鳴に似た金きり声を上げて非常階段を上がってくる。

 悪態をつく暇もない。もう一度格子を掴み、なんとか階段に足をつける。下から怒鳴って聞こえる鬼の声。鉄と鉤爪がぶつかり、共鳴する音。近づいて来る。


 どこまで近づいて来ているのか気になったが、確認する余裕もない。2段飛ばしで階段を駆け上がる。息を切らし、階段を上がっていく。肺の空気が全て吐き出されても乾いた喉に砂がこびりついても脚を止めてはいけなかった。


 3匹分の足音は不揃いに重なって誰が一等かと競う。懸賞品の男は逃げる子豚にすぎなかった。男の未来は既に決まっていた。あの3体に見つかった時点でここが終点だった。いつも決まっているのだ。それでも「進む」以外しか選択できなかった。

 非常階段を上がりきって、広い屋上へと逃げる。脚の速度を落とさずに次のビルへと向かう。3体の鬼もすぐにやってきたがすでに助走をつけていた男は目の前の着地時点へと身体を跳ねていた。


 足が地から離れた瞬間、腰に刺さる激痛が男を襲う。3体の中で、一番走るのが得意な鬼が男を捕えた。男は足場から離れ身体は宙へと投げていた。そんなとこへ鬼が掴んでしまうのだから下へと落とされるのは道理であった。鬼も無茶な体勢で捕えていたのだろう。男を持ち上げる力も入らないまま男と共に落ちていく。


 まず、即死だ。落ちる感覚を身体で味わいながら悲観する。

 また、空が遠のいてく。

 落ちながら見上げる空はどこまでも暗く哀しい。

 結末はいつも決まっている。

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