彼女の日常について 7

 そんなことを悶々と考えているうちに駅へと着いてしまう。駅の出入り口で傘を畳む。あたしの仕草一つ一つには怒りがあった。浄化できない汚泥は手先や顔に現れていた。そんなあたしをじっと見つめるものがいた。出入り口の片隅で雨宿りをする黒猫があたしを観察していた。

 黄色い瞳と目が合って、その時にだけあたしの中にあった苛立ちは消えてしまう。

 その奇妙な猫をまじまじと見つめ返す。黒猫の顔には仮面がつけてあった。木で彫られたその仮面は顔の輪郭に合わせて、耳から鼻まで覆っている。仮面の色も黒い身体と同じ黒で塗られていた。

 猫なのに猫の仮面をつけている。

 黒猫とあたしはしばらく見つめ合っていたけれど、小さな子供が黒猫に触れようと寄って来る。子供に脅威の対象と判断した猫は急いで人々の脚をかいくぐり改札へと向かう。  

 変な猫。

 奇妙な猫ではあったけど、すぐに忘れて改札を抜ける。ホームに立つとサイレンと共にアナウンサーが流れてもうすぐ電車が来るのを知らせる。

 いつも通りの時間に電車が止まってドアが開かれる。この時間帯のホームは帰宅する社会人や学生が多くって座れるのはごく一部の運のいい人だけ。

 今日一日、運のなかったのにこの時にだけは幸運に会えたあたしは車内の背もたれに体を預けて車輪の回る音と流れる雨音を聞く。

 時折、車内はゆりかごになる。たそがれているだけなのに瞼が重い。車輪の子守唄を聞きながら瞼を閉じた。

 暗闇に体が一つ。手首から伸びる一本の白い糸。いつもの夢ね。

 周囲の赤い糸を無視して、手首の白い糸を辿る。

 いつもいつも、あたしはこの糸を辿る。なぜか辿る。誰かがあたしの身体を操っているみたい。あたしの意志は弱くなっていて代わりに誰かがあたしを動かす。そして、着くのはいつも同じ場所。

 荒廃した世界であたしは進まない電車の中にいた。

 割れた車窓から強風が吹いていて、舞い上がった埃や砂が車内に入り込み、視界を悪くさせていた。風が作る砂の壁の向こうに一人の男が立っている。

 夢を見る度に人が食べられるところをたくさん見てきたけれどあんな古風の人は初めてね。

 黒い浴衣、かしら?長着の裾をたくし上げて、帯に織り込んでいる。祭りで見かける恰好に似ている。でも身なりが汚い。不摂生な髪も襤褸切れ当然の浴衣も好意は持てなかったけれどそれよりも不気味に思ったのは目だ。不吉な赤い色をしていた。

 そんな目であたしをじっと見つめ返してくるものだから、見えているんじゃないのかと、不安になってしまう。今までこんなことはなかった。

 困惑の最中、疾風が吹いて流れる砂の量が増える。感覚がないとわかっていても急に吹いた砂嵐に目を閉じてしまう。

 瞳を閉じたのはほんの一瞬だった。その刹那の内に風は止んで地獄の風景は消えていた。

 瞼をあげてみると別の世界が広がる。

 ここは蓮と水平線の世界?また?なんだろう。この感覚。おかしなことが続いている。

 感じていたのはひとつ。背後の気配。

 振り返ってみると目の前には鬼がいた。でも、奇妙な鬼だった。角の先から足のつま先までシミ一つない純白の色をしていた。 鬼の色が違っても剥き出された牙と鋭い鉤爪、2mの巨躯。これらの恐怖は拭えない。

 しかもあたしが見えているようで黒い瞳の目線はあたしに合せて揺らいでいる。

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