彼女の日常について 6

 「あたしよりもいじめを気にかけたらどうです?」

 無理でも話題を変えたかった。家庭については口論もしたくない。

 「山崎たちか。彼女たちとは昨日話をつけた」

 「そうだったんですか。彼女たち、注意だけじゃ物足りないみたいですよ」

 それだけを言い残して、あたしは笑って去る。坂本はその真意を突き止めようとしたけれど、また足止めされるのはごめんだ。これ以上時間を消費されたくない。颯爽と職員室を出て行き、坂本からの追及を逃れる。

 教室に戻ってみると一人の生徒が佇んでいる。清音だ。

 漏れる声を殺し、涙は外の雨粒と一緒に流れて、その一粒は一冊のノートに落ちる。あれは山田たちにとられたノート。勤勉に映した方式やアドバイスは下品な言葉と罵倒で上書きされていた。

 間の悪いところで来てしまったわね。これなら坂本との無駄話を聞いていればよかった。

 だからといって引き返すのも躊躇われる。あたしは教室のドアに立ってしまった。ここまできたら仕方がない。

 教室に入ると清音もあたしに気付いて煌めく涙を拭う。赤くはらんだ目であたしを見る。

 睨んでいたわけじゃない。けれど、敵意のある目つきだった。その気に入らない目つきが口と舌を動かした。

 「何よ、その目。チワワみたいなうるうるした可愛い瞳で山崎たちにも訴えてみれば?良心がめざめるかも」

 普段なら、何も言わずに過ぎていくのに、その時のあたしは非常に機嫌が悪かった。坂本の無駄話もそうだけど、6月の湿度がさらにあたしの苛立ちを加速させていた。

 小さく溜まった怒りと不快さの吐け口を無意識に探していたあたしは清音を見つける。つまり、八つ当たりね。

 「私のこと身代わりだと思っているんでしょ」

 ただの弱者だと思っていたのに言い返してきたのには驚いた。山崎たちにもそういった態度で挑めばいいのに。

 「確かに、私は誰にも逆らえない臆病者よ。でも、あなたは卑怯者だわ」

 「褒め言葉ね。卑怯者は賢く生きられるもの。自ら死んでいくのはあなたみたいな人よ。あなたがここの屋上から飛び立つのを楽しみに待ってるわ」

 期待を込めた笑顔を作って鞄を持つ。早足で廊下を渡って行く。あいつの言葉がしつこく往復する。

 卑怯者。そうよ。あたしは卑怯者よ。だから何よ。一人で生きていくには賢くならないといけない。賢い奴は皆卑怯者なのよ。そうに決まっている。

 あんな小言に心が乱されるなんて。

 内に溜まる汚泥を吐き出すつもりがより一層重くなって浄化できない汚水の池にあたしは顔をしかめた。

 教師の説教もクラスメイトの掛け声もたくさんなのよ。透明人間になりたい。あたしが認識されない存在になりたい。それができないのなら独りの世界に行きたい。

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