三一 猪山 弐

 祖父と仏眼が対峙しており、その向こうに鳥居がある。その内側には求道会の信者が集まって真言を唱えていた。


  ここは……イヌイ神社。


「オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカ

 オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカ

 オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカ……」


 求道会の異能者たちが唱えているのはどんな願いも成就させるという大聖歓喜天真言だ。紫織にはその真言が何かは判らなかったが、ただ彼等が『鬼』の封印を解こうとしているのは理解できた。


 紫織は政宗の五感を通して周りの状況を把握している。視界の隅に梵天丸が見えた。


「本当にな奴だ」


 あきれたようにも、憐れんでいるようにも聞こえる口調で法眼が言った。


「何とでも言え、どちらにしろお前は今日で終わりだ」


 仏眼は血走った眼で兄を睨み付けながら、両手で印を結び真言を唱える。


「オン・キリキリバザラ・ウン・ハッタ!」


 地面から巨大な蛇が湧きだし法眼に襲いかかる。


「喝ッ」


 法眼が裂帛の気合いを放つと大蛇は霧散した。


「少しは成長したかと思ったが、四十年前と変わらんな。法力頼みのしゅで切れが無い。これでは俺は斃せんぞ」


「それはどうかな?」


 仏眼が不敵な笑みを浮かべた途端、地面から次々に大蛇が湧きだし再び法眼に襲いかかる。


  ジイジ!


 政宗と梵天丸も不安げな唸り声を出したが動かない。恐らく祖父から手出ししないように命じられているのだ。


 紫織は加勢したいと思ったが何も出来なかった。それは政宗に憑依した状態だからではない、やろうと思えば政宗の身体を使ってやれる事はある。以前の紫織なら迷わずそうしただろう。


 だが、今の紫織は違う。今朝、朱理にかんきまでに叩きのめされて己の弱さに気付いてしまった。自分の方が圧倒的に強いと自惚うぬれていた。その結果が、あの無様な敗北だ。そして今眼の前にいる人間は強い。祖父と同じぐらい、いや、もっと強いかも知れない。


「喝ッ、喝ッ、喝!」


 法眼は襲い来る大蛇を次々に打ち払っていく。だがそれ以上の速さで次々に大蛇が襲いかかる。攻撃が間に合わず一匹が法眼の左腕に噛みつき、もう一匹が右肩に、さらに胴体に巻き付かれ……祖父が大蛇の群れに覆われ見えなくなる。


  ああ……


「破!」


 紫織が絶望しかけたその時、祖父の験力が一気に高まりまとわり付く大蛇を吹き飛ばした。


「なにッ?」


 呪術を行使していた仏眼は反応が遅れた、法眼は一気に距離を詰め弟の顔面に拳を叩き込む。


「ゴッ」


 一撃で仏眼は地に伏した。


「やはり同じ結果か。これなら悠輝の方がまだましだ」


「ククク……これでいい……」


 倒れたまま仏眼が呟く。


「どういう事だ?」


「気付かぬか、法眼」


 祖父はハッとして鳥居に視線を向けた。いつの間にか真言が止んでいる。そして紫織も感じた、『鬼』の気配が一気に強くなっている。


「莫迦なッ、こんなに早く……」


「フフフ……少しは私も成長しただろ、兄貴?」


 鼻血で汚れた顔を上げ、仏眼が勝ち誇るように微笑む。


「あの蛇かッ?」


 法眼の問いには答えず仏眼は笑みを浮かべたままだ。


「あの蛇は『鬼』の封印を力を利用したものだったのか、愚かなことを……」


 何かが立て続けに倒れる音がした、求道会の信者だ。


「政宗ッ、梵天丸!」


 法眼の声に犬たちは駆け出した。法眼も鳥居に向かって駆けていく。紫織は政宗の眼を通して見た。何か巨大な影が地面から這い出して来る。


 『鬼』だ!


 彼女は確信した。あれが猪山に封印されたと伝わる『鬼』なのだ。


「紫織ちゃんは危ないからもうお戻り。アキ兄ちゃんたちの言うことを良く聞くんだよ」

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