二八 戌亥寺・庫裏
紫織は政宗と梵天丸に茶の間でドッグフードを食べさせていた。
「ちゃんとかんで食べるんだよ」
叔父からドライフードはそのまま与えると消化しにくいので、水でふやかせと口うるさく言われていた。素直に従うのは
鬼多見家では、人が食事を終えてから犬たちに
梵天丸と政宗はお腹が空いているせいか瞬く間に食べ終わった。
「よく食べたねぇ~、よしよし」
自分の口の周りをペロペロ舐める政宗と梵天丸の頭をいっぺんに
「くすぐったいよぉ」
ところが不意に二匹が動きを止める。そしてその理由は紫織にも解っていた。
なんか、わるいモノが来る……
背筋が寒くなり身体が小刻みに震えだした、こんな感覚は初めてだ。地面の底から邪悪な何かが這い出して来る。
「ジィジ……」
祖父を見るとニッコリと微笑み、
「大丈夫、心配しないで」
と言うと立ち上がり、明人を呼んだ。何ごとかと明人は廊下を駆けて来る。
「どうしました?」
「紫織ちゃんを連れて裏から逃げてくれ」
明人の顔が青くなった。
「それじゃ求道会が……」
法眼は頷いた。
「どうやら『鬼』の封印を解くつもりらしい」
「言い伝えは本当だったんですか?」
戌亥神社には次のような縁起がある。
遙か昔この地に村々を襲う大きな鬼がいた。
人々が困っているところに、一人の修験者が訪れ鬼退治をする事となる。
修験者と鬼は三日三晩戦い続けたが、鬼は恐ろしく強く修験者の力は尽きかけてしまう。
あきらめかけたその時、日の出と共に白犬と黒犬が現れ鬼を退治する。
鬼の亡骸は小山となり、その形が猪に似ている事から猪山と呼ばれるようになった。
『鬼』が蘇らないよう
おぢちゃんは、いつまでもフーインしておくなんてムリだから、
よみがえらせて、やっつけたほうがイイって言ってたけど……
「どうすれば良いか判るな?」
「判ってますけど、他に選択の余地は無いんですね……」
明人の言葉に再び法眼は重々しく頷いた。
「わかりました。お師匠、どうかご無事で。
紫織ちゃん、行こう」
「で、でも……」
紫織は祖父の顔を見つめた。
法眼は優しく微笑む。
「安心してお行き。政宗と梵天丸は一緒じゃないけど、二人もジイジも大丈夫だから」
「ジイジ……」
「さぁ、紫織ちゃん、ぼくたちはぼくたちに出来ることをしよう」
明人は紫織の手を取った。
「まず、自分の身は自分で守ろう。今はここにいちゃいけない、次ぎに何がやれるかはこの状況を抜け出したら考えようよ」
「うん……」
紫織は明人に手を引かれるまま、茶の間を出た。法眼は微笑みながらで手を振っていた。
ジイジ、死なないで……
恐かった。朱理に殺されると感じた時よりも、求道会が来て海に叔父がボロボロにされたときよりも、不安で恐い。紫織は今日だけで三度も己の無力さを痛感した。
おかーさん!
心の中で叫ぶ。
たすけてッ、『鬼』がフッカツして、ジイジとマサムネくんとボンちゃんが!
遙香の返事はない。
どうして来てくれないのッ?
絶望が心の中に広がりパニックになりそうだ、こんな時に母も叔父もいないなんて。
〈紫織、落ち着きなさい〉
母の声が頭に響いた。
おかーさんッ、たすけてよ!
〈状況はだいたい予想がつくわ。だけど、お母さんも今手が放せないの〉
そんな……
〈紫織、爺ちゃんを信じられない?」
え?
〈爺ちゃんは強いでしょ?〉
でも『鬼』が……
〈たしかに『鬼』は厄介だけど、爺ちゃんはもっと厄介だから簡単にやられたりしないし、何かしら作戦があるはずよ〉
そう、かな……
〈紫織、あんたが今やらなくちゃいけないのは、爺ちゃんたちを信じて自分の身を守ること。
どうしてかは解るわね?〉
うん……
それは良く解っている。紫織は魔物に取憑かれたり、アークソサエティに洗脳されたりして迷惑をかけた。だからまず自分の
〈紫織、今は恐くて不安だろうけど負けないで。お母さんも負けないから、ね?〉
わかった、ガンバルよ。
母の声が聞こえなくなり、その存在も感じられなくなった。
そういえば、負けないって言ってた。おかーさんも、たたかっているのかな……
だから助けに来られないのか。遙香が憑依してくれれば『鬼』だろうと求道会だろうと恐くないのに。
力がほしい、みんなをまもれる力が……
それは彼女が馬鹿にしていた姉がいつも願っていることだった。
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