二八 戌亥寺・庫裏

 紫織は政宗と梵天丸に茶の間でドッグフードを食べさせていた。


「ちゃんとかんで食べるんだよ」


 叔父からドライフードはそのまま与えると消化しにくいので、水でふやかせと口うるさく言われていた。素直に従うのはしやくだが、政宗と梵天丸がお腹を壊したらわいそうなので、ちゃんと言われたとおりにしている。


 鬼多見家では、人が食事を終えてから犬たちにえさを与える決まりになっており、紫織は法眼と明人と一緒に夕食を済ませていた。明人は後片付けを台所でしていて、祖父はここでTVのニュースを観ている。


 梵天丸と政宗はお腹が空いているせいか瞬く間に食べ終わった。


「よく食べたねぇ~、よしよし」


 自分の口の周りをペロペロ舐める政宗と梵天丸の頭をいっぺんにでる。二匹とも今度は紫織の顔を舐め回す。


「くすぐったいよぉ」


 ところが不意に二匹が動きを止める。そしてその理由は紫織にも解っていた。


  なんか、わるいモノが来る……


 背筋が寒くなり身体が小刻みに震えだした、こんな感覚は初めてだ。地面の底から邪悪な何かが這い出して来る。


「ジィジ……」


 祖父を見るとニッコリと微笑み、


「大丈夫、心配しないで」


 と言うと立ち上がり、明人を呼んだ。何ごとかと明人は廊下を駆けて来る。


「どうしました?」


「紫織ちゃんを連れて裏から逃げてくれ」


 明人の顔が青くなった。


「それじゃ求道会が……」


 法眼は頷いた。


「どうやら『鬼』の封印を解くつもりらしい」


「言い伝えは本当だったんですか?」


 戌亥神社には次のような縁起がある。


  遙か昔この地に村々を襲う大きな鬼がいた。

  人々が困っているところに、一人の修験者が訪れ鬼退治をする事となる。

  修験者と鬼は三日三晩戦い続けたが、鬼は恐ろしく強く修験者の力は尽きかけてしまう。

  あきらめかけたその時、日の出と共に白犬と黒犬が現れ鬼を退治する。

  鬼の亡骸は小山となり、その形が猪に似ている事から猪山と呼ばれるようになった。


『鬼』が蘇らないようたましずめるためにこんりゆうされたのが戌亥神社だ。戌亥神社は修験道の神社でいつしか寺も併設された。しかしはいぶつしやくの影響で、再び戌亥神社のみになったが、その後寺も復活し現在は戌亥寺が主体となっている。『鬼』と戦った修験者が鬼多見家の始祖とも伝えられているが、彼等が代々受け継いできたのは寺や神社だけではない。『鬼』の封印を守ることも継承しているのだ。


  おぢちゃんは、いつまでもフーインしておくなんてムリだから、

  よみがえらせて、やっつけたほうがイイって言ってたけど……


 たおすのが難しいから封印を護り続けていると法眼は言っていた。叔父より祖父のほうが遥かに強い。つまり法眼の言葉が、より説得力がある。


「どうすれば良いか判るな?」


「判ってますけど、他に選択の余地は無いんですね……」


 明人の言葉に再び法眼は重々しく頷いた。


「わかりました。お師匠、どうかご無事で。

 紫織ちゃん、行こう」


「で、でも……」


 紫織は祖父の顔を見つめた。


 法眼は優しく微笑む。


「安心してお行き。政宗と梵天丸は一緒じゃないけど、二人もジイジも大丈夫だから」


「ジイジ……」


「さぁ、紫織ちゃん、ぼくたちはぼくたちに出来ることをしよう」


 明人は紫織の手を取った。


「まず、自分の身は自分で守ろう。今はここにいちゃいけない、次ぎに何がやれるかはこの状況を抜け出したら考えようよ」


「うん……」


 紫織は明人に手を引かれるまま、茶の間を出た。法眼は微笑みながらで手を振っていた。


  ジイジ、死なないで……


 恐かった。朱理に殺されると感じた時よりも、求道会が来て海に叔父がボロボロにされたときよりも、不安で恐い。紫織は今日だけで三度も己の無力さを痛感した。


  おかーさん!


 心の中で叫ぶ。


  たすけてッ、『鬼』がフッカツして、ジイジとマサムネくんとボンちゃんが!


 遙香の返事はない。


  どうして来てくれないのッ?


 絶望が心の中に広がりパニックになりそうだ、こんな時に母も叔父もいないなんて。


〈紫織、落ち着きなさい〉


 母の声が頭に響いた。


  おかーさんッ、たすけてよ!


〈状況はだいたい予想がつくわ。だけど、お母さんも今手が放せないの〉


  そんな……


〈紫織、爺ちゃんを信じられない?」


  え?


〈爺ちゃんは強いでしょ?〉


  でも『鬼』が……


〈たしかに『鬼』は厄介だけど、爺ちゃんはもっと厄介だから簡単にやられたりしないし、何かしら作戦があるはずよ〉


  そう、かな……


〈紫織、あんたが今やらなくちゃいけないのは、爺ちゃんたちを信じて自分の身を守ること。

 どうしてかは解るわね?〉


  うん……


 それは良く解っている。紫織は魔物に取憑かれたり、アークソサエティに洗脳されたりして迷惑をかけた。だからまず自分の験力ちからが悪用されるのを防がなければならない。


〈紫織、今は恐くて不安だろうけど負けないで。お母さんも負けないから、ね?〉


  わかった、ガンバルよ。


 母の声が聞こえなくなり、その存在も感じられなくなった。


  そういえば、負けないって言ってた。おかーさんも、たたかっているのかな……


 だから助けに来られないのか。遙香が憑依してくれれば『鬼』だろうと求道会だろうと恐くないのに。


  力がほしい、みんなをまもれる力が……


 それは彼女が馬鹿にしていた姉がいつも願っていることだった。

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