一三 戌亥寺・紫織の部屋
そんなことをボンヤリ考えていると、ぬっと真っ白い顔が視界を覆い紫織の顔をペロペロ舐め始めた。
「くすぐったいよ、マサムネくん」
政宗のお陰で意識がハッキリしてきた。
「そうだッ、アタシ、おねぇちゃんに殺されたッ」
思わず政宗の首に腕を回して抱きしめる。しっかりとその存在を感じた。次に起き上がり自分の身体を確認する。ちゃんと肉体はあるようだ、しかもどこにも怪我がない。
「どうして……?」
政宗が嬉しそうに、ワンッ、ワンッ、と吠えた。すると襖が開いて、叔父が入ってきた。
「気が付いたか。どうする? すぐにご飯を食べるか? もうお昼過ぎだけど」
「食べる! っじゃなくて、アタシ、生きてるの?」
紫織の言葉に悠輝は吹き出した。
「食べられるんだから生きているんだろ?」
「あ、そうか……」
改めて自分の手を見つめる。
「おねぇちゃん、アタシのこと殺そうとした……」
紫織はかなりショックを受けていた。今まで馬鹿にして散々生意気な態度を取ってきたが、まさか姉がそこまで自分に怒っているとは思わなかったのだ。
「そんなわけないだろ?」
「あるよ! アタシ、わかったもん。おねぇちゃん、本気だった。本気でアタシを殺そうとした」
叔父は溜息を吐いた。
「たしかに、お姉ちゃんは本気だった。でも、それは紫織を殺そうと本気だったわけじゃない。お前が感じたのはお姉ちゃんの『殺気』だよ」
「サッキ?」
聞いたことはある。たしか「殺」に「気」と書いて『殺気』だったはずだ。
「けっきょく、殺そうとしたってことでしょ?」
「う~ん、何て言えばいいかな」
悠輝は眉間に皺を寄せた。
「たしかに殺そうとするぐらいの勢いと覚悟が『殺気』を生み出すんだけど、ちゃんと理性でブレーキをかけているんだよ」
「でも、ジイジもおぢちゃんも、アキにいちゃんだってそんなの感じたことないよ」
紫織は験力の訓練や拳法の稽古を思い出していた。誰も朱理みたいな、いや姉自身だってあんな殺気を今までは放ったりはしていない。
「それはそうさ、みんな今まで本気を出していなかったんだから」
「え? どおして……」
「紫織がまだ弱いからだよ」
「アタシ、弱くないモン!」
朱理と明人はもちろん、悠輝よりも験力は強いのだ。
「じゃあ、叔父ちゃんに勝てるのか?」
苦笑しながら言う。
「ゲンリキは強いよ……」
「そうじゃなくて、戦って勝てる?」
紫織は下唇を突き出した。
「おぢちゃんは大人だから……」
「験力はおまえのほうが圧倒的に強いぞ?」
「でも、けーけんがちがうよ」
「それはお姉ちゃんも同じじゃないか?」
「シュギョーを始めたのはいっしょだよ!」
言った瞬間、しまったと思った。叔父が満足げに微笑んでいる、この一言を紫織に言わせたかったのだ。
「一緒に始めたけど、紫織はお姉ちゃんみたいに努力してたか?」
結局、こう言われるのだ、努力が足りないと。
でもそれを言うと、「ちゃんと使えていない」という答えが一〇〇%返って来る。
「まぁ、努力だけじゃないけどな。お姉ちゃんは、それなりに修羅場をくぐっているから。
実際、お姉ちゃんと戦ってどう思った?」
「だから、殺されるって……」
「そうじゃなくて、『弱い』って一瞬でも思えたか」
首を左右に振る。悔しいが感じていたのは焦燥と恐怖だけだった。
「紫織、験力が強いからって、すべてにおいて強いわけじゃない」
叔父の口調が少し厳しくなった。
「え?」
「今までだって解っていたろ、拳法はお姉ちゃんのほうが強い」
「だっておねぇちゃんは高校生だし……」
自分が小学生だからというのが言訳であることは解っている。何故なら小学生である自分のほうが高校生の姉より験力が強いからだ。ということは拳法の才能が姉よりも上なら勝てるということになる。
「年齢や才能の違いじゃないよ」
紫織の心を見透かしたように悠輝は言った。
「朱理は努力したんだよ、拳法も験力の使い方もね。特に験力は勉強や仕事をしてても修行を続けたんだ。だからおまえに勝てたんだよ」
勉強中や仕事中に修業ができるのだろうか。そうなことを考えていると、叔父がまた口を開いた。
「お母さんが何であんなに験力が強いかわかるか?」
話が飛んで紫織は戸惑う。
「生まれつき強いんでしょ?」
「それもあるけどお母さんは二〇年近く、験力を封印した、と思い込んでいた」
その話は知っている、遙香は自分の験力が嫌で法眼に取除いてくれと頼んだのだ。験力は精神と密接に関わっており、取除くとどんな影響があるか判らない。そのため法眼は封印を提案した。ところが封印する方法は無く、遙香に封印したと思い込ませたのだ。
「封印したと思い込んだお母さんは、単に験力を使わなかっただけじゃないんだ。
おまえも験力に目覚めたら色々なモノが視えるようになっただろ?」
悠輝が言っているのは霊や魔物といったこの世ならざるモノのことだ。彼自身は魔物はともかく、『霊』の存在を否定し『思念体』と呼んでいる。だが紫織にとっては霊だろうが思念体だろうが魔物だろうが、どれも一緒だ。見え始めたときは怖くて独りになるのが本当に嫌だった。
考えてみればこの時期が一番真面目に修業していたかも知れない。視えなくする方法を身に付けたかったからだ。しかしその方法を身に付けた途端、修業への情熱は冷めてしまった。
「お母さんは単に視えない聞こえないというだけじゃなく、それこそ『遮断』に近い状態を自らに作り出し、二〇年近く保ち続けていたんだ。これはある意味、とんでもない修業だ。
これだけ長い間、験力を抑え続けられたということは、それだけ験力を制御する能力を身に付けているって事だ。だからこそ、あんなに非常識な験力を引き出せる」
「ゲンリキをおさえることも、シュギョーになるってこと?」
悠輝は頷いた。
「授業や仕事に集中したままで験力を抑え続ける、そんなことをお姉ちゃんはしていたんだよ」
結局、姉の努力が自分の才能を上回ったということか。残念だが紫織はそれを否定するだけの根拠を持っていない。実際に朱理の強さを目の当たりにしたからだ。正直、紫織は姉を舐めていた。彼女はもともと文化系でスポーツは得意ではなく、紫織のほうが体育の成績は良かった。それに朱理は友人の由衣が亡くなってから、ズッとメソメソしていて、少し明るくなったのは声優を始めたからだ。
紫織は溜息を吐いた。
おねぇちゃんと顔あわせたくないなぁ。
「もうお姉ちゃんたちは帰ったよ」
紫織の心を見透かしたように悠輝は言った。
「えッ、おかーさんとせっちゃんも帰っちゃったの?」
「お姉ちゃんだけってことはないだろ? それに昨日言ってたじゃないか、昼ご飯を食べたら帰るって」
ヒドイ、さよならくらい言ってくれてもいいのに……
「これで良かったんじゃないか? どうせまた直ぐに来るだろうし、お姉ちゃんとしばらく会わずにすむんだから」
確かに叔父の言う通りだ、母と刹那にさよならを言えるのと、姉の顔を見ないで済むのと、どちらが良いかと言えば間違いなく後者だ。
「おぢちゃん、ごはん食べる」
悠輝は苦笑して立ち上がろうとして、動きを止めた。
「どおしたの?」
そう言えば政宗の姿もない。
「思ったより早いな」
厳しい表情で呟く。
紫織も気が付いて、胸に不安が広がる。
明人が廊下を駆けてくる音が聞こえた。
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