一二 FIAT 500X

「で? どうだったの?」


 刹那は永遠と遙香と一緒に法眼のクルマで郡山駅に送ってもらっていた。


「どうって何が?」


 遙香の質問の意味が解らず、後部座席の隣に座る彼女の顔を覗き込む。


「夜中に悠輝とってたじゃない?」


 助手席で梵天丸を抱いたまま黙っていた永遠が流石さすがに驚いて後ろを振り返る。


「あ、あれはザッキーの様子を見に行こうとしたらバッタリ会って……って、起きてたんですか?」


 遙香はニヤリとした。


「ううん、今、刹那の記憶を視たの」


  また勝手に人の頭の中を……


 刹那は無意識に座敷童子を抱く腕に力を込めた。抗議したところでやめてくれる相手ではない。鬼多見は遙香や法眼に頭の中を探られるのを感知できるようだが、修業不足のせいか刹那はまったく気付くことが出来ずにされるがままだ。


「じゃあわかるでしょ、何もありません!」


 遙香というより、永遠に言い聞かせるようにハッキリと言う。法眼は我関せずといった感じで運転しているが、仲が悪いとはいえ鬼多見の父なので気になる。


「どうかな?」


「『どうかな』って、実際、何も無かったんだから……」


「物理的なことじゃなくて、あんたの気持ちのほうよ」


「え?」


 遙香はこれ見よがしに溜息を吐いた。


「悠輝に対する感情を、ハッキリさせる事ができたかって言ってるの」


「だ、だからあたしは……」


 顔が火照ってくるのが判る。


「まぁ、答えは出てるんだけどね。後はあんたが認めるかどうかの問題」


「なッ……そ、そんなことより、紫織ちゃん、あのままでいいんですか?」


 刹那はこれ以上耐えられなくなり、強引に話題を変えようとした。


「なにそうとしてるのよ?」


「ご、ごまかしてナンかいませんよ! 永遠がしんごん唱えたらいきなり寝ちゃって……」


「あれは真言じゃなくて、『ひふみの祓詞はらえごと』」


 どことなく元気の無い声で永遠が口を挟んだ。真言は密教のものだが祓詞を含めた祝詞のりとは神道だ。戌亥寺は修験寺なので祝詞を使うこともある。


「お母さんが、この前おじさんに使ったでしょ?」


 そう言えば鬼多見が大量出血したフラフラの状態で教に殴り込みをかけようとした時に、遙香も同じ呪文で眠らせていた。


 今朝の姉妹対決は永遠の圧勝だった。紫織の呪術はまったく姉に通じず、験力まで遮断された彼女は殴りかかったものの『ひふみの祓詞』であっさり眠らされてしまった。


「あれは見事だったわ」


 珍しく遙香が娘を褒める。


「って、師匠、あの場にいなかったですよね?」


「それもあんたの記憶で確認したから大丈夫よ」


 何が大丈夫なのだろう、記憶を視られる方は堪ったものではない。


「紫織を挑発して殴りかからせたのはいい戦略ね。遮断したままだと他の呪術は使えないから、勝つためには素手で戦わなければならない。それでも朱理が勝つ可能性は高いけど、紫織を傷つけてしまうかもしれないし、そもそも遮断に意識を向けながらの戦いはやりずらいわ。

 でも紫織のほうから素手で攻撃してくれば、遮断を解いてあんたが呪術を使えるし、あの子を傷付けないで倒せる」


「うん……」


 褒められたのが嬉しくないのか永遠はあいまいに頷いただけだ。


「気にすることないわ」


「え?」


 遙香の言葉に永遠は戸惑ったような顔をする。


「紫織の言葉よ、あんたが逃げるために御堂永遠になったってこと」


  それで元気がないのか……


 刹那も薄々気付いていた。朱理は声優御堂永遠でいる時や演技をしているときとても楽しそうだが、本来の自分、真藤朱理でいるときはどことなくピリピリしているというか切迫したものを感じさせる。恐らくそれは自分の験力が招いた禍のせいで生命いのちを落とした友人への罪悪感のせいだ。


「でも、あいつの言ったことは事実だと思う……。わたし、自分じゃない誰かになることで現実から眼をそらしているんだ」


 梵天丸が心配そうに永遠を見上げ、彼女の顔を舐めようとする。


「何度も言ったけど、あれはあんたの責任じゃない。悪いのは爺ちゃんよ」


「藪から棒に何を言う!」


 いきなり責任を押しつけられ法眼が不満げに声を上げた。


「事実でしょ。 あたしの験力を封印していないことをもっと早く教えてくれてたら、あんな魔物に誰も傷つけさせなかったわ」


「それを言うならお前が……」


「やめて! わたしは大丈夫だから。求道会のこともあるんだし、お母さんもおじいさんも仲良くして」


 堪りかねて永遠が叫ぶ。


「おぉ、ごめんね朱理ちゃん、お祖父ちゃんが悪かった。たしかにお祖父ちゃんがそばに居れば、朱理ちゃんにこんな辛い思いをさせなくて済んだんだ」


 悲しそうな朱理の表情を観た途端、法眼はオロオロし始めた。孫には本当に弱いのだ。


 そんな父の姿に遙香は苦々しい顔をしている。


「ま、そういうことよ。それに朱理だって悲しんでばかりはいられないでしょ? あんたは生きているんだから。生きて前へ進むために、あんた自身が癒やされないといけないの。

 声優活動はとても良い治療になっている。別の誰かの人生を体験することで、自分にはない喜びや悲しみ、怒りと言った感情を知ることができるから」


「うん……」


 納得しかねているようだ。


「永遠、無敵の人間なんていない、向かい合いたくないものだって誰にでもあるわ。もしいるなら、よっぽど精神修養を積んだ人か、あるいはあらゆる意味での恐怖心のないバカね」



「そう、お母さんだって、爺ちゃんだって、恐いものはあるし、叔父さんに至っては大して強くないんだから」


 刹那の言葉を遙香が補足すると、永遠が思わず顔をほころばせる。


「安心しなさい、少なくても紫織よりは強いんだから」


 母のこの言葉に、永遠は先程より力強く頷いた。


 刹那が気付かないうちに永遠は確実にレベルアップしている。


  あたしも、何とかしなくちゃなぁ。


 また、座敷童子をギュッとした。


「お母さんにさよなら言えなかったから、眼が覚めたら機嫌が悪いかも」


 どうやら永遠は気持ちの整理がついたようだ。


「叔父さんがフォローしてくれるわよ。あの子、調子に乗ってたからいい薬だわ。だから爺ちゃんも何も言わなかったんでしょ?」


 法眼は唸り声で答える、どうやら肯定したらしい。


「まったく、毎日寝坊しているんでしょ?」


「それを言うならお母さんも早起きしてよ!」


 自分を棚上げした言葉に思わず永遠がツッコんだ。


「イヤよ、だって眠いもん!」


「お母さんがそんなだから、紫織がどうどうと寝坊するんでしょッ?」


「え~、それはそれこれはこれじゃない」


「完全に影響してるよ!」


「まぁ、とりあえず紫織のことはいいわ。どうせ、またすぐに来ることになるんだから」


「え? どうして?」


「だって、刹那が叔父さんのこと好きだって認めないから」


「はぁッ?」


 話の矛先がいきなり自分に戻り、刹那は声を上げた。


「『はぁッ?』じゃないわよ、あんたがハッキリしないと辞表を受理してもらえないんだから」


 辞表を出しているのも昨日まで聞いてなかったし、それにそんな条件があるのも今知った。


  おばさんめぇ~。


「悠輝は『責任は取る』って言ってるんだから問題ないわ。あとは刹那がOKするだけ。そうすれば、あたしは愛しの三食昼寝付ライフに戻れる」


「「戻らないでよ!」」


 永遠と声が被った。


「だいたい『責任を取る』って言っても、おじさんの気持ちだって……

 無理に結婚しても、あたしが幸せになれないわ」


 遙香は謎めいた笑みを浮かべる。


「悠輝が嫌がっているなら、あたしはあんたと結婚させようとはしないわよ」


「え?」


「あたしも刹那なら義妹いもうとにしてかまわないし……」


 遙香は言葉を止めて、眉間に皺を寄せた。


  あれ? あたし、師匠を怒らせるようなこと言ったかな?


 永遠が母の変化に気付き不安げな視線を刹那に向けた。前にいる法眼もむっつりと押し黙っている。


 刹那の心に不安が広がった。

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