一〇 戌亥寺・境内 弐

「ちょっとッ、おじさん、ナニ言ってんの!」


 刹那が悠輝を睨む。


「紫織が言うように、本当に朱理は弱くて逃げているのかどうか、実際に戦ってハッキリさせればいい。おれと爺さんがしているようにな」


 叔父は祖父に睨むような視線を向けた。


 そう言えば、祖父は先程から一言も発していない。普段なら紫織と朱理の喧嘩を止めそうなものだが。


「朱理、いいか?」


「え? いい……けど……」


 姉は戸惑ったように紫織を見つめた。どうせ勝つ自信が無いのに引っ込みが付かなくなったのだろう。


「紫織はどうだ?」


「モチロン、おねぇちゃんなんて、シュンサツだよ!」


 自信ありげに胸を張る。


「ユウ兄ちゃん、本当に大丈夫なの?」


 不安げに明人が尋ねる。


「ああ、もし怪我をするようなことがあれば、おれが直ぐに治療するから。まぁ、そんなことにはならないさ」


 それから紫織と朱理は境内の中央で対峙した。


「おねぇちゃん、今なら、あやまったらゆるしてあげるよ?」


 からかうように言う。紫織は朱理との験力の差を解っている。自分は母と同じくらい強いが、姉はさほどでもない。どう考えても、朱理に勝ち目はないのだ。なのにどうして姉贔びいの叔父はこんな事をさせるのだろう。贔屓目に見過ぎているのだろうか。


「いいから、早くかかって来なさい」


 朱理の落ち着き払った声がさらに紫織をいらたせた。


「あっそッ、じゃあ行くよ!

 オン・アギャナエイ・ソワカ!」


 姉の土俵で戦って実力の差を見せつけようと、朱理が得意とする火天真言を唱えながら印を結ぶ。同じ真言を使っても験力の差によって威力が全く違う。サッカーボールぐらいのほのおの塊が姉に向かって放たれた。


 ところが朱理に届く直前、焔のボールはかき消えた。


「わたしに合わせる必要なんてないから、本気を出して」


 眉一つ動かさずに言われ、紫織はムキになった。


  手かげんしてれば、いい気になって!


「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」


 最近覚えた不動明王のいちじゆを唱える。この真言を使うとより多くの験力を焔に変換できる。姉には防ぎようがないはずだ。


「オン・アギャナエイ・ソワカ」


 朱理も印を結び真言を唱えた。次の瞬間、全身を紫織が放った紅蓮の焔が覆った。


「あ!」


 思わず明人が声を上げる。


 姉は火に対して強い耐性がある。火傷はしても死にはしないだろう。紫織は軽く考えていた。ところが、


「ウソ……」


 焔が消えると、そこには火傷はおろか稽古着に焦げ跡一つ無い姉が、涼しげな顔をして立っていた。


「本気を出せって、言ってるでしょ。ほのおじゃなく、雷撃を使いなさい」


  どうして? アタシのほうが、おねえちゃんよりズッとゲンリキが強いのに……


 紫織は少し混乱した。どうしてしゆが姉には通用しないのだろう、間違いなく自分の方がまさっているのだ。


  いいよ、のぞみどおりやってやる!


「オン・インドラヤ・ソワカ!」


 得意の帝釈天真言を唱え印を結ぶ。眼を覆わんばかりのまばゆい光を放ち雷撃が朱理を直撃する。


「インドラヤ・ソワカ」


 しかし、同じく帝釈天印を結んだ彼女を雷撃は避けた。


「え? なんで?」


 紫織は呆然とした。一体どうなっているのだ、朱理の験力が急に強くなったのか。いや、そんなはずはない、姉から感じる異能力ちからは今までと変わらない。姉贔びいの叔父が手助けをしているのだろうか。それも違う、叔父が験力を使った形跡はない。


「どうしたの? もう終わり?」


 ここで負けを認めるのは嫌だ。紫織は雷撃を何度も放った。


「オン・インドラヤ・ソワカ! オン・インドラヤ・ソワカ! オン・インドラヤ・ソワカー!」


 しかし、すべての雷撃が朱理から逸れてしまう。


「なんで……」


「言ったでしょ、あんたは験力の使い方が解っていないって。

 今度はお姉ちゃんが、行くよ。

 オン・バザラ・ダド・バン」


 智拳印と呼ばれる印を結び、大日如来の真言を朱理は唱えた。大日如来はこんごうかいまんたいぞうかいまんにおいて、それぞれ異なる印を結んでいる。金剛とはダイヤモンドを意味し、何からも傷つけられず揺らぐこともないのだ。


「あれ?」


 紫織は己の変化に気が付いた。


「え? えッ? なに? どうなっているのッ? おねぇちゃんッ、アタシにナニしたのッ?」


 今まで感じていた験力をまったく感じない。触れようとしても分厚い壁に阻まれているようだ。


「あんたの験力を『遮断』したの」


 朱理はゆっくりと紫織に近づいてくる。


「シャ、シャダン?」


 姉に合わせるように紫織は少しずつ後退あとずさる。


「そう、験力を使えなくした」


 叔父が何度も祖父に験力を使えなくされていた、それが『遮断』だ。紫織はまだやり方を教えられてないし、使われたことも無かった。


 何かにぶつかる、振り返ると不動堂まで追い詰められていた。


「どうしたの、紫織? 抵抗しないの? 拳法も教えてもらっているんだから、戦うことはできるでしょ」


 無表情なまま朱理が迫る。いつもの姉ではない、もちろん永遠でもない、もっと別の何かだ。そしてそれは紫織のことを、


  ころす気だ……


「うわぁあああぁああああぁッ!」


 紫織は自棄やけになって殴りかかる。姉の声がしたかと思うと、彼女に触れる前に眼の前が真っ暗になった。

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