第2話 勇者がスライムを倒さない!

ゲートをくぐりぬけた先、私と翔太郎が降り立ったのは草原地帯だった。背後にはどんよりとした深い森林があり、遠く向こうには小さな街らしきものが見える。


「すごいわ……ここが下界なのね! 空気が重苦しいしなんだか窮屈に感じるけれど、まあじきに慣れるでしょう」


私は独り言ちながらゲートをしまい、ぐーっと背伸びをした。


どうやら下界に降り立った神には制限が設けられるらしく、天界にいた時のような大きな神力は出せないし、翼も出せるか怪しい。


まあ、Sランクと言えども所詮ここは下界。あらゆる能力を封じられたとしても私は女神なのよ。こんな制限ものともしないわ!


「さあ行きましょうか、翔太郎……。ああ、そう言えばあなたも私の事、『女神』なんかじゃなくて恭しくエリスティナ様〜って呼んでもいいのよ? 特別に許可してしんぜるわ!」


「……ああエリス」


「いや、いきなり敬称もなければあだ名呼び捨てで呼んじゃう!?」


ほんっと失礼な奴ね! ……でも、おい女神〜とか呼ばれるよりかは幾分かマシか。ま、まあこいつ美形だし? 呼び捨てもそれはそれで悪くは無いというか……でへへ。


「なに気持ちの悪い顔をしている? 涎を拭け気色悪い」


「気色悪い!? 気色悪いですって!? 私は女神なのよ!?」


「……知ったこっちゃない」


「あと涎もギリ垂らしてないわよ! ……って、どうかしたの? なんだか元気がないように見えるけど……」


私に辛辣な言葉を浴びせつつも、どこか様子のおかしい翔太郎にそう問いかける。

すると彼は自分の引き締まった肉体を見つめながら、


「なぜ俺は赤ん坊ではないのだ?」


「へっ? 赤ん坊って…………ああ、確かにそうだったわ。そういえばあなた、今までいちいち転生してたものね。……でも、今回だけは特例よ。天道翔太郎という人間のまま『転生』ではなく『転移』したの」


「ふむ、なるほど。なぜ今回だけ転移なのだ?」


「そりゃー、私だって暇じゃないわけだし。他人の0歳からの人生なんて興味無いわよ」


誰が好き好んで、もう一度こいつの人生なんて見てやるものですか。私はそんな暇神じゃないのよ!


それに今の私達にはあまり時間がない。神々は暇じゃないし、天界と下界の時間の流れに大きな差があると言えど、私が禁忌を冒した犯罪者だと天界に連れ戻される可能性だって否定しきれないのだ。


だから私はこの世界を一刻も早く救う必要がある。そして天界に帰ったら、上位神として崇められる存在になってやるのだから!


「それじゃあ翔太郎、あそこに見える街へ向かいましょう!」






「……遠い。意外とまあまあかかるぞこれ……。おい女神、なぜ最初からあの街へ転移しなかったんだ」


しばらく歩いていると、なんだかイライラした様子で翔太郎が尋ねてきた。

確かに数十分ほど歩いているけどまだ街は遠くに見える。


「だって急に虚空から人が現れるのを見ちゃったら、普通の人ならびっくりするでしょう? だから離れた場所にしたんだけど……あの時は私も少し焦ってたから、ゲートを開く座標をすこーし間違えちゃったみたいね」


「………………これだから駄女神は」


「聞こえてっからなぁ!? あとエリス呼びの期間短すぎない!?」


まだ私一回しか呼ばれてないんだけど。こっちは積極的に最初から翔太郎って呼んであげてるっていうのに……。


まっ、呼び方や距離の詰め方なんて人それぞれだし別にいいわ。そんな細かいところまで気にするようなみみっちい女神じゃないもの、私。


そんなことを考えながら、私は草原の中にできた街へと繋がる一本道をひたすら歩いてゆく。


ここはSランク世界。いざ冒険が始まってしまえば、こうやってのんびり歩くことなんてもうできなくなるかもしれないのだ。ゆっくりするなら今のうちよね。


「……む」


「あら、どうしたの――って、これは……!」


ふと声を上げた翔太郎の方を振り返ると、そこにはぶよぶよと蠢く水っぽい物体が。

……これはスライム、かしら。まさかこんなに早く魔物が襲ってくるなんて、今まで見てきた世界の常識のままではいけないようね……!


私はすかさず女神スキルを発動する……その名も《鑑定》! 人、モンスター、草木や精霊などなど、ほとんどの生物に対して使える能力透視のスキルである。

えーっと、なになに?



スライム Lv3

HP15 MP0

【特殊スキル】

体当たり、水しぶき

【獲得経験値】8



あら、意外にも大したことないのね。

序盤の敵とはいえSランク世界の魔物だから、弱小モンスターでも結構強かったりするのではと危惧していたのだけれど、そんな心配なかったみたい。確かに他の世界のスライムに比べて強いけれど。


「ふふん、なんてことないわね。さぁ翔太郎! 目にものを見せてやるのよ!」


「何を言っている? お前が戦うのでは無いのか」


「よっしゃやったれぇぇえって、え?」


「俺は今武器を手にしていない。丸腰だ。お前は杖を持っているのだし、お前が戦うべきだ」


「…………は、はぁぁぁあ!?」


そんな会話をしているうちに、痺れを切らしたスライムが私たちに向かって飛びかかってきた。


少し悲鳴をあげながらも華麗に避ける私。


……あれ、翔太郎は? って、遠! 普通あんなとこまで避けるっていうか逃げることなくないかしら!? こんな攻撃くらっても、幼児ですら尻もちをつくくらいのレベルよ!?


「あ、あのねぇ! あんたなんで女神たるこの私に最前線で戦わせようとしてるわけ!? 今あんたが立ってる位置、完全に観覧席並の遠さなんですけど!! あくまでも女神はサポート役なの。言ってしまえば裏方! 戦うのは勇者に決まっているでしょう!」


「固定概念は捨てるのだ女神。それとも何だ、神が魔物を倒してしまえば、過剰なサポートだと禁忌扱いされてしまうのか?」


「いえ、そんなことは無いけれど……でも私、光の女神だから回復魔法使ったりバフかけくらいしかできないし、神力もここに来てから制限されてるみたいだから、単純な物理的な攻撃力で言えば、私はそこらの町娘達とと大して変わらないわ」


「…………なんだと?」


スライムの攻撃を躱しながら受け答えしていると、翔太郎がぴたりと立ち止まった。見てみれば眉間にめちゃくちゃシワが寄っている。


な、なによ。私変なこと言った? 言ってないわよね? 何でそんなに怒っているの……?


「……それではお前は……なんのためにここへ来たのだ」


「え? そ、そりゃ翔太郎のことを傍でサポートするため……? というか、そっちこそ私が何をする役だと思っていたの?」


「魔王、魔王軍幹部、魔物やその他もろもろ……全て神の力で倒してくれるのだと……」


「いやお前も働けや!!」


う、嘘でしょ……。こいつそのつもりでこの異世界に来たと言うの!?


いいえ、おかしいとは思っていたのよ。だってFランク世界でさえ救おうとしなかったこの男が、私がついて行くと言ったらSランク世界への転移もすぐに受け入れたのだから!


ああもう、あそこでちゃんと聞いておくべきだったと言うのね!


「……そんなことだとは思わなかった……。女神、ゲートを出せ」


「げ、ゲートってどこへの……」


「無論天界だ。俺は帰らせてもらう」


「いや、ダメよ! ムリムリムリ! あんたが帰っちゃうと私も強制的に帰らなきゃいけなくなっちゃうし、そうなると私はまた世界を救えなかった駄女神+禁忌を冒した悪辣女神として堕天されちゃうの! 私達に帰還の二文字はないのよ、オーケー!?」


「そんなもん知ったこっちゃない。さっさと開け」


「開いてやるものですか! ……って痛ぁ!!」


て、敵前であることを忘れていた……! 私は臀部にスライムの重たい一撃を食らってしまう。

うう、子供の手加減なしのケツバットくらいの痛さ……。


攻撃を食らったお尻を摩ってみると、なんだかぬるんとしたものが手に付着した。

お尻から手を離すと、そのスライムの粘液がべとぉっと糸を引く。うげぇ、気持ち悪ぅ。


私が不快そうな目でその手を見つめていたら、凍るような視線を近くから感じた。何かと思い顔を上げると、そこには私以上に不快感に眉をひそめた翔太郎の姿が。


「えっと……翔太郎?」


「待て、ストップ、止まれ。貴様それ以上近づいたら、いかなる手を使ってでも息の根を止めてやるからな」


「そ、そんなに!? わ……わかったわよう……」


何をそんなに嫌がっているのかしら……もしかしてこのスライムの粘液? 確かに気持ち悪いけれど、人(女神)に対して息の根を止めるなんて言葉言うほどでもなくない?


ていうか、それよりもよ! 何を考えてるのエリスティナ、今は弱いものとはいえ敵前なのよ!


「翔太郎、とりあえずこのスライムを倒してちょうだい! 私たちお互いに色々すれ違ってたみたいだし、もう一度話し合う必要があるもの」


「嫌だ。絶対に嫌だ。話し合うのはこの際構わんが、こいつを倒すのはお前がやれ。何度も言うようだが俺は丸腰なんだ」


が、頑固な男ね……! 私の物理的な攻撃力が町娘とほぼ同値って聞いてもまだ私にやらせようとするの!? ってかありえなくない? 普通女神に戦わせようとする!? 普通の人なら身を呈して守ろうとするくね!?


「ねえ翔太郎? あなたはこれが初めての戦闘だもの。それにここはSランクの世界だし、この魔物に対して恐怖心を抱くのは間違ったことじゃないわ。でもね、あなたは十分、この魔物を素手で倒せるだけの力を持っているの。私が見ていてあげる、それに厳しくなればサポートも回復だってするわ。だから、一度チャレンジしてみない?」


私はふわりした女神スマイルを湛えながら、翔太郎の肩に触れる。

ふふ、どうよこの優しさ! そしてこの完璧な笑顔! こんなの、まだ経験も浅そうな翔太郎にやっちゃえばイチコロよね…………って、あれ?


ちらりと翔太郎の方へ視線を送ってやれば、彼は忽然と姿を消していた。


「はっ!? あいつどこに行ったの…………っていたぁ!! てかめっちゃ逃げてるんですけど!!」


ここからずっと先、遠方を見てやれば、全力ダッシュで私とスライムから遠ざかる翔太郎が目に映った。


え、嘘でしょう? 相手はスライムよ!? 

普通嬉嬉として戦うような雑魚キャラじゃない!? 翔太郎の他に今まで召喚してきた人達、全員大喜びで戦ってたんですけど……。


いえ、戦略的撤退は悪いことではないわ。相手と自分の戦力差を即座に見破り、適わないと判断できた瞬間にその戦線から離脱する――やたらと男らしさを見せつけて強敵に挑みに行くような奴は言ってしまえば蛮勇。こうした撤退は寧ろ賢いと判断される行為。


でも、でも! 何度も言うようだけど相手はスライムなんですけど!?


後ろを振り返ってみれば、ぶりゅぶりゅと音を立てながらこちらに近づいてくるスライムが。確かに私は杖を持っているけれど、これは決して物理攻撃に使うようなものじゃない……!


「くっ、くそったれぇぇえええ!!!」


私は到底女神とは思えないような言葉を吐き散らかしながら、もう豆粒ほどの大きさになった翔太郎の背中を追うのであった。
















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