勇者が世界を救わない! 〜スライムからでいいですから〜

9喇嘛

第1章

第1話 勇者が女神を敬わない!

とある小さな農村。

寄り付くものは、果物ナイフを持った村人でさえ狩れてしまうような貧弱な魔物しかおらず、その村は実に穏やかな空気が流れていた。


その村の一角、蔦の巻きついた小屋のような一軒家のベッドの上で、髪の毛を真っ白に染めた老人が、今にも息を引き取ろうとしていた。


老人の周りには娘だろうか、三十代くらいと思われる女性が涙を流して立っており、その横には彼女の旦那にあたるであろう髭を生やした男性が、妻を慰めている。


ベッドの近くには多くもの花や果物、老人がかつて好んで食べていたお菓子が手向けられており、その老人がその村でそれなりに愛されていたことを表していた。


他界の寸前だと判断したのだろう、老人はうっすらと瞼をあけ、娘と思われる女性と、その女性が抱きしめる小さな男の子の手を取り、そして嗄れた声で囁くように言った。


「……ありがとう。お前たちに囲まれ、幸せだった」


そうして、老人は息を引き取ったのだった。







「ふざけんなぁぁぁああ!!!!」


場所は変わりここは天界。数多の神や天使が暮らし、そして下界と呼ばれる世界で死んでしまった人間が訪れる場所。


そんな神聖な場所で、私こと女神エリスティナは、手元にある水晶に流れていたそんな映像を見て、思わず叫んでしまっていた。


目の前から鋭い視線を感じる。


「……こほん。今のは女神らしくなかったわね、ごめんなさい」


水晶玉から視線を感じた場所へと目を移し、私は謝罪した。


私の視線の先にいるのは、綺麗に切りそろえられた黒髪が特徴的な若い男性だ。切れ長の瞳、シャープな顎、高い鼻梁に薄い唇、そして高身長に加えて体格も良い。正直私が女神じゃなければ愛を囁いていたような完璧なビジュアルである。


だが、この男――


「おい女神。俺は一体何度ここに呼ばれるんだ」


女神たるこの私に対して、びっくりするほど不遜な態度を取るのだ。


いえ? 別に怒ってなどいないわよ?

だって私女神だもん。人間ごときに怒号をくれてやるようなみみっちい神じゃないの。


でもね、正直言わせて欲しいことがあると言いますか。

私は椅子を倒しながら勢いよく立ち上がる。

そして目の前で足を組んでソファに座りながら、天界仕立ての茶葉から煎じた紅茶を啜るその男に向かって、私は大きく口を開いた。


「それはこっちのセリフじゃこの平和ボケ勇者ッ!! あんたいつになったら魔王を討伐しに行くのよぉぉぉおおおお!?」




ここで、天界のシステムについてご紹介しようと思う。


まず、死した人間はどこへ行くのか。それは先程も説明したとおり、私たち神々の住まう天界へと誘われる。


そしてその人の歩んできた人生を私たち神が確認し、善人と判断されるものは俗に言う天国へ、悪人と判断されるものは地獄へと送られてしまうのだ。


だが、若くして死んでしまった人間が天国に行ってしまうのは可哀想だと述べる善の神がいた。それもそう、天国というのはほとんどがおじいちゃんおばあちゃんが住む、娯楽など無に等しいような空間なのだ。することと言えば寝て飯食って寝るくらいである。


そこで、若くして死んだ人間、それも歩んできた人生の中でそれなりに善行をしてきた者に対して、救済措置を与えることにした。


それこそが、異世界転生!


天界の者達にしか知りえないが、下界には天界にいる神々の数を超える量の世界がある。

この男がいた地球という惑星のある世界もそうだし、惑星間で何万年も戦争を繰り広げている世界、悪の怪人と正義の戦隊がそこらかしこにいる世界、他にも住む人間全員が恋愛脳の世界だったり――それはもう沢山あるのだ。


つまり天界のシステムというものは、若くして死んでしまった人間を、その世界とは別の世界に送って異世界を救わせようという大胆なものだった。


異世界で魔王なり悪の怪人なり秘密結社なり、それらを転移ボーナスの力を以って滅ぼしてその世界を救い、多大なる達成感を味わわせてから天国へと誘おう――神としても争いあっている世界を間接的に救えるし、若くして死んだ人間の不満も解消できるわけだし、これは私的にも結構良いシステムなんじゃないかと思っていた。


なのに――




天道てんどう翔太郎しょうたろう! 何故あなたは世界を救わないのっ!?」


この男、翔太郎はまるで魔王を倒そうとしないのだ。


そう、先程水晶玉で見ていたあの老人――それはついさっきまでの彼。こいつは勇者として転生したというのに、一家を築き、老衰で死に、魔王城前ではなく一番最初の農村にその骨を埋めたのだ……。


「いえ、魔王を倒さずに死ぬ……それはわかるわ。魔王討伐の旅は大変だもの。魔王軍幹部は倒せても、実力と努力の不足――それによって魔王に殺されてしまう、そんなことは普通に有り得るわ」


こくりこくりと頷きながら私は話す。ちらりと翔太郎へ視線を移すと、彼は組んだ足をぷらぷらと揺らしながら紅茶を啜っている。


――こ、この女神様に対して……なんて不遜なッ!


私は書類の散らばった机をバンっと叩きながら、彼に捲し立てた。


「……でもあなた、討伐の旅にすら出ていないじゃない! なんで伝説の剣じゃなくて鋤握ってんの!? なんで一番最初の農村近くの魔物とさえ一度も戦ってないの!? なんで私が支給品として天界からゲートを開いてわざわざ送ってあげたエリクサー、煎じて紅茶にして家族と嗜んでんのぉぉお!!??」


「なんだと? 女神、訂正しろ」


「は、はぁ!?」


な、なによ。私の言っていることが間違っていると言いたいの? 実は影で努力をしていましたとか、実は魔王軍幹部は二体ほど倒しましたとか、そんなこと言うつもりじゃないでしょうね!?


嘘を言っても無駄よ、翔太郎! だって私はあなたが老衰で死ぬまでの間、穴が空くほど水晶玉を見つめ続けていたんだから! そう、高身長イケメンのお風呂シーンまでじっくりと……ぐへへ……じゅるりって、そんなこと考えてる場合じゃないわ!


私は鋭い眼光で翔太郎を睨みつける。だけど全く効いていないようで、彼はフンッと鼻を鳴らしながら言った。


「あれはすきじゃない、くわだ」


「どうっでもいいしそこ訂正すんのかよッ!? どうせなら魔物一体は倒したくらい言いなさいよ!? いやそれでも駄目駄目だけど!!」


「農夫にとっては重要な事だ」


「あんたは農夫じゃないの! 勇者なの! あんたがどれだけ田んぼ耕しても、【職業】の欄は勇者のままなの!!」


「なんだと? 女神、訂正しろ」


「な、なによ……。私、間違ったことは言って――」


「あれは田んぼではない。畑だ」


「だからどっちでもいいんじゃこの平和ボケ勇者ぁぁぁぁあ!!」


私はぜぇぜぇと肩で息をする。

女神たる私をここまで怒らせた人間なんて、過去にいるだろうか。というかこの男、本当に善人なの? 女神って聞いてここまで不遜な態度をとる人間なんている? 神に対して敬語を使わない人間という時点で稀だと言うのに……。


私はため息をつきながら、倒してしまっていた椅子を直して座り込んだ。そして机の上に散らばった資料――その全てが天道翔太郎に関するものだったりする――を手に取って黙読した。


まずは彼のステータス。



天道翔太郎(18)【状態︰精神体】

Lv1 男性

【職業】勇者

HP300 MP280

攻撃力150

敏捷値210

耐性値177

魔耐値115

魔力値85

幸運度120

【魔力属性】火、風、光、雷

【特性】経験値獲得数倍加

【特殊スキル】――未獲得――




うん、悪くない。悪くないどころかむしろ物凄く良い。女神たる私が能力を底上げしたことを無しにしても、Lv1でこのステータスだと、少し努力したくらいでEランク世界の魔王軍幹部に匹敵できるくらいの強さを持つことになるだろう。


ちなみに異世界のランクに関してだけれど、これは攻略に関する難易度で評価されている。魔王の強さだったり、アイテムの手に入れにくさ、住まう人間の特性などを神々が総合的に評価した上で、F〜Sのランクで判断される。


ちなみについさっきまで翔太郎がいた世界のランクはD。ちゃんと地道に魔物を倒すなりの努力をし、装備を集めることに専念すれば翔太郎の身体能力的には十分に攻略できる世界にしておいた。


なのに、なのに――!


私はギリッと歯を食いしばった。


ここでみんなは思っただろう。一回魔王を倒さなかったくらいで、女神のくせに怒りすぎじゃない?……と。


いえ、いいのよ? だってその通りだもの。

神というものは常軌を逸した存在。怒りなんて感情はただの精神体から神へ昇華する瞬間、そのほとんどを捨て去った。


なら何故、私はここまで怒っているのか……。


ここで思い出して欲しいのが、翔太郎の『俺は一体何度ここに呼ばれるんだ』という発言だ。


そう……つまり、翔太郎が転生先で魔王を倒さずに……というか魔王討伐の旅にすら出ずに老衰で一生を終えたのは、この一回じゃない!


それも二回や三回でもないわ。

五回! 五回よ! 五回もこの男、翔太郎は世界を見捨てたの!


それはサポート役の私にも問題があるのでは、と思う方もいらっしゃると思うわ。


ええ、確かにそうね。私は最初、彼のステータスの高さに過度な期待をして、彼をAランク世界を送ってしまった。


Aランク世界と言うのは上位天界にいらっしゃるベテランの神々でもたまに手こずってしまうような難度の世界……一番最初の村付近にいる魔物だって、Fランク世界の魔王にすら匹敵するような強さを誇る。そんな世界に送ってしまったのはとても後悔しているわ。


でも、でもよ! 私は翔太郎に伝説の武器や防具の場所を天啓という形で教えたし、怪我をした時には回復薬をふんだんに送ったりサポートはした! 


それなのに世界を救おうとしないのは、この男……翔太郎の怠慢でしかないのよ!


「ねえ翔太郎。私、他の神々からなんて呼ばれてるか知ってる? ポンコツよ? 無能よ? 駄女神よ? ……私、こう見えてそれなりに優秀なのよ。優秀な神々を育てる学園でも主席で卒業したし、あなたと出会う前まではものすごく順調に死者を誘ってきたの。……それなのに……それなのに! 今や私だけが置いてけぼり! 落第ギリギリだったかつての親友でさえ私にものすごく申し訳なさそうな顔をしながら上位神になっちゃうし、最近なんて後輩に通り過ぎ間際に嘲笑されたのよ!? それに私このまま行くと女神権限剥奪まで有り得るし……やなのぉ!! もう一回天使からやり直して学園通い直すとかマジでダルいの! それなのにあんたが私を解放してくれないからぁ!!」


「何度も言うようだが、女神よ。俺は世界を救うつもりなど微塵もない。さっさと俺を捨てて、新たなる転生者を探せば良いだろう」


「こっちも何度も言うようだけど!! 一度契約を結んだ転生者は、女神がどれだけ望んでも切り離すことができないの! こんな言葉言いたくないけれど、あなたがひとつ世界を救うまで私とあなたは一蓮托生なのよ……」


「すごいな、反吐が出そうだ」


「こっちのセリフだぁぁあ!!!」


再び肩で息をする。

な、なんなのこの男。こんなに相手していて疲れる人間なんているのかしら……?


私は自らの頭を掻き毟る。

ああもう、ほんっとどうすればいいの! どうすればこの男は異世界を救ってくれるの!


私がちらりと視線を投げれば、翔太郎はふむ、とそのシャープな顎に指先を置いた。

へぇ、こいつもこいつなりになんとかしようと考えているのね。確かに、こうやって記憶を捨てれないまま人生を何回もロードするなんて、普通は面倒なものだもの。


しばらくの間頭を悩ませた末、翔太郎はふとその顔を上げた。うっ、やっぱり美形ぃ……♡って、そんな場合じゃなくて!


「あら、なにか思いついたのかしら?」


「いや、思ったのだが……俺と共に、お前が異世界に行くことは不可能なのか?」


「……ふむ。不可能、ではないわ。でも神が人間の世界に深く干渉し続けることは禁忌中の禁忌。もしそんなことをしてしまったのなら、崖っぷち女神の私は女神権限剥奪は免れないでしょうね」


「別に俺は構わんのだが……」


「私が構うんだわ!」


ぐぬぬ……そもそもこいつがウジウジせずに魔王倒してくれれば、私は崖っぷちから逃れることが出来るというのに……!



……いえ、でも少し待ちなさいエリスティナ。

確かに私は崖っぷち。このまま次の転生も翔太郎が世界を救ってくれなかったら、私は無能な駄女神と天界から認定され、女神権限を剥奪されてしまう。


でもそれは、私が翔太郎と共に異世界に行っても同じ。私が禁忌を犯すのも、翔太郎が働かないままなのも、言ってしまえば私に降りかかる負担は同じなようなもの……。


――ッ!!


そう、そうだわエリスティナ! やっぱり私は天才なのよ! こんなところで立ち止まってる場合じゃない、私はいずれ創造神様の側近として、未来永劫多くの神々から慕われる大女神になる者なのだから!


「……翔太郎! やっぱり構わないわ、私も一緒に異世界へと行ってあげましょう!」


「……? 頭が腐ってしまったのか? 異世界なぞに行ってしまえば、お前は女神ではいられなくなってしまうと、つい先程お前が言ったんじゃないか」


「ええ、確かにそうね。でも、それを免れる方法を見つけてやったのよ! この私、女神エリスティナ様が!」


「……ほう?」


私は神力を一点に集中させ、大急ぎで転移陣を出した。それは私も翔太郎も見慣れた光景。

でもこの転移陣が繋ぐのは、翔太郎も、そしてこの私ですら未知の領域……!


「Sランクよ」


「……なんだと?」


「私達がこれから向かうのはランクSの世界! ベテランの神々でも躊躇ってしまうような残酷かつ凶悪な魔物の蔓延る場所……! そんな世界を救った優秀な女神だと天界の神々が知れば、私から権限を剥奪するなんてありえない事なのよ!」


そう、たとえそれを成すために禁忌を冒すことになったとしても、そんなものなんて目じゃないほどに、Sランク世界の獲得ポイントは絶大!


そんな世界本当に救えるの? と思う方もいらっしゃると思うけれど、救えるに決まっているわ!


何せこの勇者はステータスだけは抜群に良いし、その上この優秀女神たるエリスティナ様が同行するのだから!


「……なるほど」


「どうかしら、翔太郎。私と共に世界を救う準備は出来たかしら?」


「……」


翔太郎は再び顎に手を当てる。

そして長考した末、もう既に用意されたSランク世界へ繋がるゲートを一瞥し、不敵に笑い――


「良いだろう。お前と共に、魔王討伐の旅に出てやろうではないか」




――そして私は……いえ、私達は、その世界へと繋がる世界へのゲートを、潜り抜けたのだった。






だが――私はこんな選択肢を選び取ったことを、やがて後悔することになる。

私は知らなかった……いや、知ろうとすらしていなかったのだ。


この天道翔太郎という男が、なぜ頑なにも魔物を倒そうとしなかったのか……その一端についてを。



















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