ヒロインは。

立花 零

1。


「りっちゃん!」

「・・・なに」

「どうして逃げるの?」

「あんたが追いかけてくるからでしょ」


 視線の先に曲がり角を見つけて、道を外れた一瞬に全力を出して走る。

 先生がいなかったことだけが幸いだった。見られたら確実に職員室行き。緩いところは緩いくせにたまに厳しいのがうちの学校の不思議なところ。


 追いかけてくる女子を巻いて、一息吐く。

 命を狙われているわけじゃない。いじめから逃げているわけじゃない。追われる理由はわかるようでわからない。いや、わかっていても気付くわけにはいかな買った。

 気を取り直して、寄りかかっていた壁から勢いをつけて離れる。壁に手をついて角を曲がったところで男子生徒とぶつかりそうになった。


「、すいません」


 いきなり飛び出してきたのはこちら側なので謝罪を口にする。ぶつかりはしなかったもののその距離はかなり近く、相手の背が高いためか視界が白く染まった。夏の爽やかさを感じさせるワイシャツだった。


海東かいとう、」

「・・・渡井わたらい


 ぶつかりかけた相手は同じクラスの男子だった。女子の平均身長より少し低めの自分が見上げなくてはいけない相手。クラス1大きいわけではなかったと思うけど。

 同じクラスだからといって特に頻繁に話す相手でもないので、無難にすれ違おうとすると「そういえば」と相手が声を発した。


杏莉あんりが探してた」

「そう」


 振り返らずに相槌を打ってその場を離れる。

 杏莉、ね。と頭の中で繰り返しながら教室へと戻る。今は昼休み中で、そろそろ午後の授業が始まる時間だった。

 今いるのは部室が集まる別棟。教室がある棟までは渡り廊下を通る必要があり、ある程度余裕を持って戻る必要がある。そう考えると、彼は何故自分と反対の方向へ歩いていったのか。

 足を止めて振り返っても、そこに彼はいなかった。関わりのない相手のことをどうして気になったのか。自分で思うより私は、思いやりがあるのかもしれない。




 教室に戻る頃には授業開始のチャイムが鳴り始めていた。次の授業の教師が毎度遅れてくる人じゃなかったら遅刻決定だった。

 自分の席に着いたところで隣の席を見るとやはり空席で、後ろの席には息を切らした少女が落ち着かなさそうに座っていた。

 ガタン、と音がして視線を窓に移したところで、数学教師が入室してきた。それに気づいてカタン、と腰を下ろした様子も伝わってきた。

 眼鏡が印象的な数学教師がクラス名簿に目を落とす。

「欠席は無しか。そこは・・・誰だ」

「渡井くんがいません」

 つい数日前に決まったばかりのクラス委員長が、手を挙げて発言した。さすがおさげ髪女子。その見た目から想像されるキャラへの期待を裏切らない。

「なんでいないんだ。誰か聞いてるか?」

 誰も手を挙げず神経質そうな数学教師が溜め息を吐いた。眼鏡をクイッ・・・とはしなかった。

「入学して早々サボりか?今年の一年は度胸があるようだな」

奏翔かなと、どうしたのかな」

 職員室内で権力のなさそうな数学教師の嫌味を聞き流したのか、後ろからそんな呟きが聞こえてくる。未だに収まらない自分の息切れの心配をした方が良さそうなものだけど。


 窓の外では桜がひらひらと散っていく。

 卒業式に入学式と、役目を存分に発揮した今年の桜はもうそろそろで終わりそうだった。ついさっき入学したばかりのようにも思えてくるのは何故だろう。まともに授業を聞いていないからなのかもしれない、と自分の授業への取り組みを振り返る。間違いない。どの授業も頭に入っていない。入っているのは、代わる代わる訪れる教師たちと、少しだけ話したクラスメイトたちの印象。

 それだけ覚えていれば案外問題はないだろうと開き直る。きっとこの桜のように一瞬で終わるのだろう。思い返せばきっと短い高校生活。損をしないように、自分の役割を全うして過ごさなければ。





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