ゼロ
「無限というのは概念なのだよ」
船長は窓の外を指してそう言った。
そちらを見てもが宇宙の暗黒が広がるだけだ。
「星がないだろう? この宇宙にある物は全て有限だ。宇宙その物でさえ結局のところ有限なのだ。だからこうして宇宙の外壁という物にも辿り着ける。ここから先には何もないのだ」
「宇宙の外には別の宇宙があるって聞いたことがありますけど」
「それは仮定だ。実際にそれを確認することはできない」
「なるほど」
納得した振りをする。船長以外の口からも何度か聞いた話ではある。
航行ルート上でここが終点だというのは事実だ。壁の向こうに行ってとはとても頼めない。
「じゃあこれも仮定の話なんですけど。宇宙船がその外壁にぶつかるとどうなるんです?」
「古い記録ではあるが、ずっと昔に無人探査船を送り込む観測実験が行われたのだがね。壁にぶつかったその船は拡散してしまったそうだ」
「ばらばらに飛び散ったってことですか?」
「いや、壁面にそって薄く延ばされたように見えた、と記録されている。どんどん伸び広がるうちに原子の結合も切れて細かい粒子になって観測不能になったそうだ」
「壁に沿って広がったってことですか?」
「いつまでも壁にくっついていたとは思えないがね」
「宇宙の内側に戻った?」
「いわゆる物体の形ではなくなったと思う。エネルギーに還元されたはずだ。もちろん物体というのもエネルギー形態の一つではあるが」
「なくなっちゃったんですか」
「形を留めてはいない、ということだよ」
「なるほど」
それは、やはりなくなったのだと思う。探査船はゼロに還ったのだ。
「さて、これからどうするのかね。君の希望はどこまでも限りなく遠くへの旅だったね。物理的な距離の話ならここが一番遠いのだが。非日常という質を求めるのなら、無論我々が見ていない物は宇宙の内側にいくらでもある。全て見て回ろうとしても0.00001%も見ない内に我々が寿命を迎えるくらいにはある」
「ええ、それは」
実際のところ、そういう遠さを求めてはいない。
僕が行きたかった場所は。確かめたかったのは。
「やっぱり宇宙の外には出れないんですよね」
「うむ。そこは物理的には存在しないに等しい」
「そうですよね」
「そこにこだわる理由を聞いても?」
大した理由ではないし、あまり言いたくはない。それでもここまで連れてきてくれた船長には話す義理があるのだと思う。
「ええ、その、なんというか、物理的には存在しないものの存在って信じます?」
「奇妙な言い方だ。それは霊魂とかそういう類の物かね」
「ええまあ、それはなんでもいいんですが」
「うむ、そういう概念について思考することも信じることも無駄とは言わないが。そうだな、私は存在するとは思わないな」
僕だってあるとは思っていない。思っていないが。
「僕は、存在したらいいなって思ってるんです」
「希望だね?」
「希望です」
「宇宙の外の世界が存在しうると信じたい?」
「そうですね。信じることはできませんが、信じられたらいいな、とは」
「ふむ」
どんなものでもいつかは無くなる。宇宙にも寿命はあるのだという。
それは寂しいと思うのだ。
宇宙の外に広がりがあったとしても、宇宙の中でゼロに還った何かとは関りがないのだろうけど。
船長は目を閉じて何事か考えているようだった。
「では、私たちも飛ばしてみるかね。探査装置」
「え? いや、いいんですか戻ってこないんですよね?」
「わかっている。問題ないとも」
言う間に何かコンソールを操作している。
「では射出」
「えっ、もう?」
窓の外に丸い小さな無人船が飛んでいくのが見えた。
まっすぐに暗黒へと進み、そして。
「消えた?」
「消えたね」
「薄く伸びるはずでは」
「うむ。だが今のは」
先端部から闇に消え、最後尾まで順に飲み込まれるように。
壁を突き抜けたように見えた。
「壁の外は存在しないはずでは?」
「仮定の話だとも。そして仮定の世界ではどんな可能性もゼロではないのだ」
「なるほど」
もう一度、窓の外に目を向ける。見えるものは何もない。星も、デブリも、ゼロ。
1時間SS 元とろろ @mototororo
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