第1章 仏印事変

霧の中の青き薔薇(1)

1936年8月23日 0400

鹿児島県 西桜島村


 九州の南端に位置し、古来より南西諸島や沖縄方面の玄関口として繁栄を遂げた

鹿児島は薩英戦争や西南戦争といった硝煙香る歴史の地であると共に、フネには静かな水面を、船乗りには心休まる温泉を分け与える安らぎの地でもあった。薩摩半島と大隅半島によって外海と区切られた錦江湾は、九州南部を職域とするフネにとってかけがえのない避泊地として重宝され、活火山 桜島が育んだナトリウム塩化物泉は訪れた人々の心と体を暖かくしていた。

 それ故に錦江湾には、商船は言うまでもなく、戦うために造られた戦乙女たちもしばしば憩いを求めて訪れていた。南シナ海が世界有数のホットスポットと化した今となっては、その姿はもはや日常的な情景ですらあった。彼女たちは待ち受けていた油船から重油をすすり、ときには長い航海で色あせてしまった外板の化粧直しをしながら、再び波高い外海へ旅立つその日までゆったりと僅かな休日を思い思いに過ごしている。


 時刻は早朝0400。錦江湾の畔は夏場とはいえまだ薄暗い。平日でも人気のない時間帯。日曜日である今日なら尚更だ。たまに聞こえる焼玉発動機の音――恐らく沖に向かう漁船のいななき以外は波の音しか聞こえない。大多数の人は涼やかな夜風の中で眠りについているのだろう。

 しかしながら、ここに一人例外がいた。彼は残念ながら日曜日を楽しめない心持ちであり、加えてよく眠ることもできていなかった。彼は金曜日までに成すべき仕事を終えていたが、彼の上官が気まぐれに出した宿題は彼を極めて悩ませていた。息抜きに市内の喧騒から離れた桜島に宿を取ったが、心は晴れやかになれなかった。真夜中に慣れぬ枕のためか目が覚め、再び眠ろうと布団の中で努力したものの、諦めるしかなかったのもこのためだろう。未明に宿を抜け出して海沿いの松林を抜ける小路を進み、静かに明かりが灯る無人の公衆浴場へ彼が向った背景はこうしたものだった。


 彼が訪れた公衆浴場――村営「マグマの湯」は通常番台がいるようだが、さすがにこの時間だと無人のようだ。施錠せずにいつでも利用できるようになっているのは朝早い漁師のためか、はたまた隼人のおおらかさか。

 番台に代わって入湯料を徴収する賽銭箱に似た小さな木箱に代金を支払うと彼は浴場に向った。建屋はさほど大きくはなく質素で飾り気もないが、一見すると不相応にも思える分厚いコンクリートの柱は西桜島村行政の決意を静かに物語っていた。大正大噴火から20年という節目に建てられたこの「マグマの湯」は新たに定期運行が始まった同じく村営の鹿児島市街地―桜島間の定期航路と共に復興の象徴であり、天災に決して屈しないという意思表示だった。彼らはこの公衆浴場に対火山弾シェルターとしての役割も担わせていたのだ。

 浴場は内湯と露天風呂に分かれていた。脱衣場を抜け、体を一通り洗い流した彼は迷わず外へ向かう。桜島温泉の源泉温度は51℃。冬季でも加水が必要な熱水であり、言うまでもなく冷泉ではない。夏場にその湯をゆったり楽しむなら夜風の力を借りることが賢明だった。

 海側に開けた露天風呂は言うまでもなく貸し切りだった。こんな時間にも関わらず贅沢にも掛け流しにされた湯船からは湯煙が立ち込め、さほど明るくない白熱球が乱反射して、霧の中に幻想的な世界を創り出していた。石造りの浴槽に腰を下ろした彼は母なる桜島の暖かさに心が解されたのか、ついに微睡まどろんだ。せんせんと流れ行く水音と大地の熱が彼を安らぎの世界へ誘う。


 彼が半醒半睡から立ち直ったのは幾分か経った後だった。海風が彼の頬を撫でると客観的に見て優秀な部類に入るその頭脳は急速に覚醒し始めた。それは意図せずとも

悩みの種を脳裏に浮かばせる。彼は諦めを込めながら呟いた。

「カムラン湾外 恨みぞ深き」

 事の発端はこれまで軍政畑を歩んできた彼が海上勤務を熱望したことだった。時は戦時。これまで予備艦指定されていた艦艇も次々に復帰し、大洋へ躍り出ていた。無論、それに従って海上勤務のポストも急増していた。このタイミングで潮気のあるキャリアを積まなければこのままおかの上で終わってしまうような気がする。幼き頃から軍歌をそらんじて、八重の潮路に勲を立てることを夢見て海軍の門を叩いた彼にとって、それは耐え難きことであった。

 そんな願いを口にすると彼の上官――南遣艦隊参謀 宇垣 纏 大佐はいつものことながら、人の気も知らずに傲岸な声音でこう言い返した。「カムラン湾に蟄居する赤色艦隊撃滅を研究せよ。翌週に聞く。」要は能力があるなら考えてやってもいい。そういう意味だと彼は理解していた。

 出世コースの砲術畑や勇猛高き水雷屋、そして目覚ましい発展を遂げる航空畑と違って、彼はこれまで軍令部や鎮守府付の事務方を拝命してきた。例外的に1年間だけ駆逐艦「時津風」艦長を務めたこともあったが、除籍間際の老年艦の艦長経験は箔にはならない。懐疑の目が向けられるのも仕方のないことだと彼は思っていた。


 彼は桜島の暖かさに身を任せまま、虚ろな目線を明けが近づく空に向けた。

 フランス海軍が東アジアに持つ最大の牙城 カムラン湾。その地に立て籠もるのは彼の国の極東艦隊と居候のソ連太平洋艦隊。主力を数えれば仏ソ合わせて戦艦6隻と空母1隻。加えて数がはっきりしないものの、夜間に哨戒線を突破してカムラン湾に出入りしている数隻の装甲巡の存在は確定的だ。極めて強力な艦隊であり、特に足が速い空母と大型水上戦闘艦が結託して機動部隊を編成すれば東シナ海の海上交通路が悲劇的な結末を迎えることは間違いない。もっとも、そんな彼女らが洋上戦力のあらゆる利点を捨て去って現存艦隊主義引きこもりに徹しているのは、我ら帝国海軍が彼女らと同等以上の戦力を常時南シナ海に貼り付けているという身も蓋もない理由があったが。

 1936年夏。帝国海軍は南シナ海における海上優勢を握ると同時に、港湾によって遮蔽された主力艦隊の撃滅という漸減邀撃による艦隊決戦ドクトリンとは全く異なる困難な課題を突き付けられていた。奇しくも32年前、彼らの父祖は旅順にて全く同じ難題に直面し、軍神を始めとする数多の勇士と新鋭戦艦2隻という果てなき犠牲を払い……海軍力のみによる在泊艦隊の撃滅に失敗していた。陸軍が英霊を量産して戦略的高地を我が手にしたからこその最終的な勝利だった。また18年前、彼らの先任者とその英国海軍戦友はUボートのねぐら――ゼーブルッヘで同じ問題に挑んだが、幾ら血を流しても戦略的な価値は何も生まれなかった。つまるところ、2度の戦争で数え切れない英霊と艨艟の犠牲を注ぎ込んでもなお、港湾襲撃の正解は出ていない。

 ――しかし私は答えを出すことを求められている。普段は体面を気にして弱音など吐かない彼であったが、途方に暮れた彼の溜息は湯霧の中に消えていった。


 彼が何かの気配を感じたのは、その直後だった。湯煙の向こう側で何かが蠢いた。それは彼の方へ一直線に近づいていく。もとより煙る世界の視界はこの上なく悪く、塩化物泉による腐食を警戒して脱衣場に眼鏡を置いてきた――近眼であり乱視だった彼に残された手は、頼りない目を凝らすことだけだった。

 浴場の霧は濃い。霧はあらゆる事実を包み込み、不確実性という無限に広がる暗い水平線を産み落とす。されど人は積み上げた叡智と天性の直感を研ぎ澄まして霧の中でもある程度の事実を掴みうるはずだった。

 しかし彼は霧の中で見てしまったのだ。存在するはずがない青き薔薇を。


 それは美しかった。透き通るような桜貝色のきめ細やかな肌に艷やかな黒髪が輝く。膨らみのない繊麗な体つきで、しなやかに伸びる脚と引き締まった上半身が流れるようなラインを描き、儚さすら感じさせた。優しく下を向いた目尻は尽きることがない優しさを現し、曇りなき瞳は微かに漂うフローラルな甘い香りと相まって、若さ故の清らかさと甘酸っぱさを醸し出していた。

 秘められるべき美しさ。そう、そこには決して知られてはならない禁忌があった。


 彼に戦慄が走る。その『美しきもの』は彼の経験上、十代の短髪な少女に見えた。――私はまさか女湯に入ってしまったのか。彼は記憶を探りながら自問自答する。否。女湯の入口は番台より奥側で、くぐった暖簾は紺色で「男」と大きな白文字で書かれていた。間違えるはずはない。では時間によって男湯と女湯が入れ替わるのか。可能性は……否定できなかった。そんな理不尽を認めたくはなかったが。何にせよ、女湯に入った野郎の結末などわかりきった話だ。私の人生はこんなしょうもないことで終わるのか。変質者の烙印を押されて、匪賊と罵られながら終わるのか。

 咄嗟に海側へ向き直り、内心の恐慌を押さえて何とかして平然を装う彼を傍目に、美しき『彼女』は軽くかがんで湯加減を確かめると、そのまま湯船に入った。先客の姿に何も動じるような素振りはない。平然と『彼女』は腰を下ろした。

 浴場に静けさが舞い戻った数分後。未だ混乱の渦中にあった彼は静けさを訝しんで恐る恐る視線を動した。彼は石造りの浴槽の片隅で大地の熱で解け始めていた『彼女』を見つけた。万人を等しく包み込む桜島の暖かさに心和ませたのだろう。愛らしい表情を浮かべながら目を瞑っていた。

 全く警戒されていないのか。彼は納得できる理由こそ見つけられなかったが、胸を撫で下ろした。本当にここが女湯だったならば、『彼女』があんなに微睡まどろむばずがない。きっと父兄と一緒に朝風呂を頂きに男湯へ来たのだろう。もっとも、歳不相応の振る舞いのようには思えるが。ここでは普通のことかもしれないが、如何せん刺激が強すぎる。彼は現実的かつ落ち度がない可能性を霧の中から必死に掬い上げた。

 さて、何事も起きないうちに去るか。日の出前の空が緩やかに群青からとき色に衣を変えていく中で彼は露天風呂を立つ決心した。しかし、ここで欲が出た。青き薔薇は二度と見れないだろう。ならばせめてその美しさを脳裏に焼き付けたい。もう一度、彼は視線を浴槽の片隅に向けた。いつの間にか身を起こしていた『彼女』は薄明を迎えた海をじっと見つめていた。建屋側とは正反対に海側の浴場の霧は薄く、徐々に闇から抜け出しつつあった対岸の鹿児島市街地と錦江湾に浮かぶ戦乙女の姿は湯船の中からも見て取れた。


 ――フネを見ているのか? 『彼女』の眼差しの先には昨日午後に寄港していた艦影があった。巡洋艦「松島」。母港佐世保から遠路2,000海里以上離れた南シナ海南端の哨戒線――遙かサイゴン沿岸からマレー沖に至る海域を約1ヶ月間単独で巡り続けたフネだ。長駆の途上、高雄や新南群島 長島で幾度と小休止してきたと聞いてはいたが、錆垢が目立つ船体はやはり疲労の色が目立つ。もっとも、あのくたびれたフネと乗員を養生させるために彼は鹿児島まで訪れた訳だったが。


 「松島」の生まれは遡ること約20年前の1914年12月。凍える塹壕で多くの英国人兵士がクリスマスを待ちわびていた頃、時の第1海軍卿フィッシャー提督が海軍大臣チャーチルとの政治的闘争に破れたことから運命の狂いは始まった。大型高速艦艇に情熱的愛情を持つ第1海軍卿はグランドフリート司令長官ジェリコー提督、巡戦部隊司令官ビューティー提督と共に巡洋戦艦の新造という政治的圧力を政府にかけたが、チャーチル海軍大臣は軽艦艇の建造計画を阻害するだろう現実味のない建造計画を、そも戦争終結までに間に合わないと真っ向から反対したのだ。最終的に海軍大臣が東洋の同盟国から巡洋戦艦4隻の派遣を取り付けたという外交的成果を前に海軍卿も口をつぐむしかなかった。

 とはいえフィッシャー提督の熱情が収まることは到底なかった。欧州に現れた極東の新興海軍とフィッシャー提督の相性は奇しくも良好だったのだ。弩級艦という概念が存在すらしなかった前世紀に、新鋭戦艦を差し置いて火力は劣るが足は早い2等戦艦「レナウン」を地中海艦隊旗艦に選んだフィッシャー提督と六六艦隊時代から戦闘を主眼とした装甲巡洋艦を戦艦同様に重視していた日本海軍が手を取り合うのはある種の必然だった。


 1915年1月、スカパ・フロー沖にて艦隊運動訓練に励んでいた戦艦「河内」の脇腹に同じく訓練中だった戦艦「ベレロフォン」が突き刺り、日本海軍にとって数少ない主力の弩級戦艦が海の藻屑と消える海難事故が発生。「ベレロフォン」側に落ち度があり、何よりも彼女には『衝突癖』があった――巡戦「インフレキシブル」、貨客船「セント・クレア」と累計3度目だったことも手伝って、フィッシャー提督は戦わずに主力を失って動揺する日本海軍に対して英国での代艦建造を提案し、両者の接近は始まった。海軍卿の動きは早かった。日本海軍が代艦建造に前向きであると察すると彼は海軍造船局長DNCダインコート氏に15インチ砲を搭載した新型巡洋戦艦の設計案を取りまとめるように指示し、「戦争終結までグランドフリートの指揮下に入る」という条件付だったが、建造中止となって造船所のヤードで行き場を失っていた「R級」6番艦・7番艦のあらゆる資材――Mark.Ⅰ 15インチ連装砲ごと言い値で日本海軍へ売り渡し、ある種の既成事実を早速こしらえたのだ。案の定、チャーチル海軍大臣は強く反発したが「1年間で進水させる」と断言した海軍卿の言葉に匙を投げた。

 大正5年及び6年度の海軍予算を先取りして何とかして建造費用を捻り出した日本海軍は、純増1隻を含む2隻建造となった河内代艦級を最終的に「クイーン・エリザベス級」をタイプシップとした純然たる高速戦艦として建造していくことになるが、フィッシャー提督の熱は留まることを知らず、さらなる高みを目指したのだった。


 1915年2月。ロサイスに在泊していた日本海軍 遣欧艦隊旗艦「金剛」に突如現れたのはフィッシャー提督その人であり、彼は全長240 m近くにも及ぶ――当時最新鋭の「金剛」が全長214 mだった――信じられないほど超大型の、そしてMark.B 15インチ砲という世を忍ぶ名が付けられた18インチ砲の図面を携えていた。後に秘密巡洋艦ハッシュハッシュクルーザーと呼ばれる計画排水量25,500 t のそれはフィッシャー提督が生み出した最後の会心作であり、信仰そのものだった。

 コンセプトは「世界最強の軽巡洋艦」。身も蓋もなかったが、18インチ砲という常識を忘れ去った極端な大火力とあらゆる艦艇の追従を許さない最大32 ktの速力は世界水準を軽く超越していたことは確かであり、それでいて設計期間を短縮するため機関周りを英国巡洋艦では初のギアードタービン採用艦たる軽巡「チャンピオン」のユニットをそのまま2隻分搭載するという戦時ならでは現実味ある計画に日本海軍の食指は動いた。

 言うまでもなく高速を愛してやまない日本海軍といえども、それがゲテモノであると理解はしていた。しかしながら極めてアグレッシブなコンセプトは魅力的だった。主砲が2門という時勢に逆らう少なさは超大口径という魔力によって補われた。軽巡の交戦距離において18インチ砲弾は低伸した弾道を描く。それは少ない弾数でも有効な射撃が可能ということ他ならない。また何よりも18インチ砲弾は怪物そのものだった。フィッシャー提督が示した18インチ砲弾の計画重量は約1.5トン。1915年当時の洋上にあった戦艦を含むあらゆる艦艇の主要防御区画バイタルパートを噛み砕く代物だった。確かに火力と速力の代償として、防御は常識的な巡洋艦そのものだったが、どうせ18インチ砲弾に耐えられるフネなど(当時)存在しえないのだ。装甲が役に立たないチキンレースなら、勝利の女神は火力を愛した側に微笑む。ゲームチェンジャーとなりうる大火力とそれを自由自在に機動させる最大32 ktの超高速。対馬沖にて第2艦隊という高速遊撃兵力を用いてバルチック艦隊を殲滅した日本海軍はこのフネが持つ可能性を正しく認識した数少ない存在だったのだ。

 青島沖にて被雷・爆沈していた防護巡洋艦「高千穂」の代艦というもっともらしい建前で新型巡洋艦を模索し始めた日本海軍がアームストロング・ホイットワース社に接触したのは1915年3月末であり、ダインコート氏の設計を元に、日本海軍は前部に主砲塔2基を集中させ、後部に水上機搭載用の航空甲板を配するという奇抜なデザインを選定。気がつけば機雷500個の敷設能力も要求に付け加わっていた秘密巡洋艦のキールがアームストロング・ホイットワース社ウォールセンド造船所に置かれたのは1915年6月8日のことだった。なおこの時、既にフィッシャー提督の姿は英国海軍にない。数多くの功績を残した稀代の革新者であった彼はガリポリの敗戦を契機に第1海軍卿を辞任し、永久に海軍から身を引いたのだった。


 そして1916年8月15日。2ヶ月前のジュットランド沖でヒッパー提督率いるドイツ巡戦部隊の殲滅と引き換えに4隻の巡洋戦艦――「鞍馬」「伊吹」「筑波」「生駒」と彼女らに乗り込んだ将兵4,000名近くを失った震慄が収まらない中――もっとも、英国海軍が巡洋戦艦7隻とビューティー提督を失ったことに比べれば軽微だったが――秘密巡洋艦ハッシュハッシュクルーザーは「松島」なる明媚な名を戴き、その身をタイン川に浮かべた。1等巡洋艦とされた彼女が命名規則を無視して1904年に爆沈して果てた防護巡洋艦の名を継いだのは、生みの親ですら彼女をどのように分類すべきか苦悩した証だった。

 艤装中に後部の航空甲板へ陸上機の離着艦を試みるため各種改造が施されながら、「松島」は1917年6月26日に竣工。就役後直ちに英国海軍 第1巡洋艦戦隊に配属され哨戒任務に従事した彼女は、その長い船体で荒れる北海の波濤を切り裂き、航洋性の高さを遺憾なく発揮したという。また黎明期特有の粗末な機材ながらも艦上における陸上航空機の運用にも挑んだ彼女がもたらしたデータは日本海軍の空母建造で大いに活かされた。かくして北海の荒海を駆け抜け、休日にはスカパ・フローへ冷やかしに来た米国戦艦部隊を白い目で見ていた彼女はドイツ大洋艦隊の引きこもり癖もあって無事に1919年11月11日の休戦協定を迎えたのだった。

 生まれ故郷のウォールセンドで念入りに重整備を済ませた「松島」は翌1920年、執拗な米海軍の追跡に悩まされながらも東回り航路で日本本土へ回航され、艦齢3年にして初めて祖国の海を知った。以降、日本海軍の巡洋艦戦力の中核的な存在として広く国民にも親しまれる存在となるが、その栄光は決して長く続くことはなかった。

 1920年代後半から列強海軍に拡散した12インチ級主砲装備の装甲巡洋艦の存在は彼女のコンセプトを亡きものにした。大戦時の巡洋戦艦級の主砲を搭載した装甲巡は距離10,000 m超の射撃も悠々とこなした。それはあくまで軽巡洋艦の間合いで戦うつもりだった超軽巡洋艦でしかない「松島」にとって自らをアウトレンジでき、かつ自らとそう変わらない30 kt弱の足を持つ高速艦艇が多数出現したということ他ならない。彼女の夏は10年少々で過ぎ去ってしまったのだ。

 日本海軍全ての次世代装甲巡の姉「古鷹」を始めとした後継者へ遊撃の任を託した1936年当時の彼女の職務は、依然として高い航洋性を生かした長距離哨戒や生まれながらの豊かな機雷搭載能力を活かした敷設任務といったある意味で軽巡洋艦らしい裏方の仕事だった。もはや彼女は単なる「大きな5,500トン級旧式軽巡」であり、かつて帝国最速で鳴らした32 ktの俊足は機関の老朽化により30 kt弱まで落ちていた。その姿に昔日の栄光はなかった。


 きらめく眼差しの先が古めかしいくたびれた巡洋艦と気付いた彼は訝しく思った。とてもではないが、年頃の少女が熱い視線を送るような相手ではあるまい。男子の間では憧れの存在として軍艦の名が挙がるのは今も昔も変わりないが、最近は女子もそうなのだろうか。もしや想い寄せるような相手が乗り組んでいるのでは。……いや、あの歳ではありえまい。


 彼は何気なく視線を『彼女』に向けた。刹那、彼は己の不注意を思い知った。恐れていたことが起きた。目があってしまったのだ。思い過ごしでも、目の錯覚でもなかった。『彼女』は可愛らしい微笑みを浮かべながら「おはようございます」と軽く頭を下げた。苦笑いでごまかしながら挨拶を返す彼の脳裏には、平らな双丘の蕾が美しい珊瑚色だったという喜びが一瞬通り過ぎたが、この危機的状況ではどうでもいいことだった。未成年、事案、通報、連行、失職……。様々な単語が高速で駆け回るが、彼がそれを凝視したという事実が変わることはない。

「お早いですね。今日はお仕事ですか。」

 『彼女』は変わらず微笑みながら彼に語りかけた。彼は意を決してコミュニケーションを取ることを決めた。

「いや。夜中に目が覚めてしまって、手持ち無沙汰になりまして。君は?」

「僕は早起きして朝風呂に。ここのお風呂好きなんです。」

 ――驚いた。まさかボクっ娘なのか。屈折のない笑顔を浮かべた『彼女』に合わせて笑みを浮かべた彼は軽い衝撃を受けつつ慮った。明治初めの女学生は「僕」と名乗ることもあったと聞くが、もはや昭和に入って早11年だ。女子の言葉遣いとしては普通ではない。もしかしたら家庭の事情で男子として育てられたのかもしれない。

「なるほど、確かにここは眺めもいい。今日は日の出も綺麗に拝めるでしょうね。」

 彼は一旦言葉を区切ると、少し芝居がかった声音で続けた。

「それにゆっくり軍艦も眺められる。」

「ええ。だから好きなんです。」

 『彼女』はどこか照れくさそうに視線を海に向けながらそう返した。もし本当に何かの事情で男子として育てられたのなら、フネに憧れを抱くことに何ら不自然ではない。男湯に堂々と入り込むのも納得できた。ならば、その美しさをもう少し緻密に眺めても咎められないはしない……のだろうか。不埒な考えを脇に追いやりながら、彼は言葉を重ねた。

「フネが好きなのかい?」

「……大好きなんです。あのたちのことが。」

 一瞬だが戸惑いの表情を浮かべた後に『彼女』は、はにかんだ笑顔でそう答えた。

――あの娘たち? まるで意中の相手を紹介するような『彼女』の口振りに思わず呆気に取られた彼は『彼女』の微笑みに幾分かの悪戯な色を見た。薔薇の花びらにも似たフローラルな甘い香りがまた彼の鼻腔をくすぐり、彼の心は焦がされる。


 彼はまだ知らない。浴場の霧の中に佇む存在しえない青き薔薇の正体を。


 

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