茜さす水面に乙女は祈る

寄船みさき

プロローグ

西暦2576年

西暦2576年5月31日

ジャトランド・アステロイドベルト近宙域


 漆黒の宇宙そらに浮かぶ2隻の船影があった。この内、1隻の正体は完全に把握されていた。ここから見ると奥側に位置する深い青色の船体である彼女は銀河開発機構がチャーターした資源開発船「ギャラクティカ・コンベイヤー」に間違いない。一般的な貨物船をベースに無補給航続距離を増大させた彼女は資源開発用の機材類と辺境で暮らす開拓者達が求める嗜好品を満載しつつ、この宙域から幾千光年離れた未開星域に向かう途上であった。

 しかしながら、彼女の右舷にある薄汚れた深緑の存在は認められざるものだった。SAIS(宇宙自動船舶識別装置)によれば、それは中型貨客船「チョウセイ3705」を名乗っていたが、その身分に納得することはできなかった。貨客船にしては不相応にも思える大型推進機関、船上に乱立するアンテナ、そして何よりも雰囲気が貨客船のそれと大きく異なっていた。


「不審船に発光信号。」

 その号令は宙域の主導権を完全に掌握していた戦船の戦闘艦橋で発せられた。若い男子によく似た冷静な音声を発した『彼』は言葉を続けた。

「貴艦は仮装巡洋艦である。直ちに降伏の意志を示せ。」


 その言葉は状況の全てを説明していた。新興入植惑星の宗教原理主義にかぶれた非政府系武装組織国際テロ組織――もっとも、彼らは自身のことを福音派信託組織と称していたが……へ星間条約機構が資金凍結を行うと、その回答として神の名のもとに彼らの長は海賊船を星の海へ送り出したのだ。

 情勢は逼迫していた。組織的に行われた通商破壊により物流は遮断され、一部の星では物価が狂乱的に上昇していた。人類圏に散らばる諸国を取りまとめる星間条約機構直轄の常設警備隊は真っ先に動いていたが、警察組織でしかない彼らは返り討ちにあっていた。常設星間警備任務部隊の指揮下にあった帝国宙間保安庁の巡視船「あまみ」は対艦ミサイルによって船橋を吹き飛ばされる大損害を負い、同じくプラネット連合執行庁の巡視船「アライ3世」は何かのレーザー兵器によって機関室を全滅させられている。現場に駆けつけたアメリカ合衆国宇宙軍の駆逐艦「メイソン」の姿を見るなり海賊船はワープしていったが、民間船が航路を自由に使えないことに変わりはなかった。もはや解決策は軍事力に頼るしか方法は残されていない。テロリストとは共存できないのだから。


 星間条約機構安全保障理事会は直ちに加盟国に対して「あらゆる必要な手段の行使」を認める決議を行い、特設連合軍を組織して海賊及びテロ組織へ武力制裁を行う法的根拠を与えた。しかしながらその反応は思わしくなかった。派兵を各国に打診したものの、実際に軍を動かすことができた国家はそう多くなかったのだ。もちろん加盟各国は航路保全の重要性を理解していたが、被害があった星系と関係性が薄い諸国は慈善活動的な軍事行動に否定的だった。何より、大多数の国は臨時負担金を支払う余裕を持ち合わせていなかった。星間条約機構は人類が初めて遭遇した地球外生命体が育んできた前宇宙文明へ積極的に介入する姿勢であり、加盟国に少なからずの技術啓蒙費用の拠出を求めていた。それ故にこれ以上の資金提供は政治的にも財政的にも不可能だった。


 しかし、そんな情勢下にも関わらず積極的な軍事行動を是とする帝國があった。海洋民族として脈々と発展してきた彼らは航路の安全が脅かされているという現状に対し、また「あまみ」で殉職した同胞達の報復として即座に効果的――いや、過剰とも言える戦力の派遣を決定していたのだ。冷たきジャトランド・アステロイドベルトを遠くに眺める宙域に黒鉄色の艨艟が現れたのは以上のような理由からだった。艦首に菊花を頂いた鋼鉄の浮城は全てを威圧するように宇宙を進んでいた。彼女の名は「金剛」。「金剛型」戦艦のネームシップとして母なる太陽系星域に君臨する彼女は地球にある古めかしき帝国が誇る戦乙女の1人であった。既に艦齢は六十年を超えており、そろそろ後継艦の話が囁かれる年頃になっていた彼女だが海賊退治という任務に関しては全くの問題はなかった。彼女がいかに旧式であっても戦艦という眷属であることには違いないのだから。とはいえ、麾下の巡洋艦と共にジャトランド・アステロイドベルトを包囲するように布陣していた彼女達に課せられた責任は重大であった。話がわからぬテロリスト集団を母星ごと焼き尽くせという強硬世論を宥めるには分かりやすい戦果が必要だった。


 宇宙そらに万国共通の通信手段であるモールス発光信号が瞬いた後も宙域は不穏な静けさに満ちていた。いや、正確に記すると人間の目には見えない電子空間では、仮装巡洋艦が囚われの商船を踏み台にして「金剛」へ電子妨害ECMを試みていたが、瞬間的に対処及び対抗電子妨害ECCMが敢行され沈黙を強いられていた。なお、巻き添えとして「ギャラクティカ・コンベイヤー」の各種制御システムは「金剛」の電子攻撃により徹底的に破壊されていたが、危険宙域強行輸送の莫大な追加報酬に目がくらみ星間条約機構の航行禁止命令に逆らって港を出た彼女に同情は許されなかった。商船・軍艦問わず多くのフネがそうであるようにコンピューターを通さずに機関をマニュアルで操作し逃走を図ることもできたが、指向された合計8門の大口径レーザー砲は薄汚れた彼女にその選択肢を失わせている。


 状況を手に取るように理解――実際に艦隊統合指揮システムとダイレクトに接続していた『彼』は臨検を行うべく乗艦していた特別警備隊SUBに出動待機を命じつつ「金剛」に仮装巡洋艦へのさらなる接近を命令した。

 訓練とは違う実戦の空気に自然と顔をこわばらせる乗員と対照的に全くもって平時と変わらない表情の『彼』は一見すると少女にも思える顔付きながらも、純白の軍服に輝く階級章が中将を示している。このアンバランスな事実は彼の正体を垣間見せていた。試製七四式艦隊指揮電算機1号機と呼ばれる海軍の試作装備品。それが『彼』の正体であった。帝国海軍は艦隊指揮権限を与えるためにも、他国艦隊の指揮下に入らないためにも将官という稀有な立場を惜しみもなくアンドロイドに与えていたのである。海軍内部の反発は然程なかった。実用的なアンドロイドが生まれる遥か昔から日本人は仮想現実を通じて機械人形に慣れ親しんでいた数少ない人種だった。『彼』の見た目は人間そのものであるから尚更である。もっとも『彼』が遺伝子組み換えの上で製造された人体をベースとしていることは星間条約機構がコーディネーターの製造を例外なく禁止しているため極秘扱いであったが。なお、少年とも少女とも言える中性的なその顔立ちと体つきは『彼』の開発に携わった研究チームに属する一人の趣味に由来しているとも噂されているが定かではない。


 今のところ『彼』は期待通りに任務を遂行していた。広大なジャトランド・アステロイドベルト外輪部に散らばる友軍艦艇を手に取るように指揮する彼は機械人形の実力を見せつけていた。星間条約機構の指示に従わない愚かな商船を囮にすることを思いついたのも『彼』である。帝国海軍は海賊討伐の成果を鑑みて、さらに機械人間の開発を進めるか否か決断するつもりであった。地球から最も遠い開拓途上宙域にて単独で行動する異星人らしき船舶が確認されたばかりである。少しばかり冒険的な予算請求でも勝ち取れると帝國海軍は踏んでいた。彼らは大蔵省から「浪漫研究」と嘲笑われたこともある艦首大出力エネルギー兵器とあわせてアンドロイドに大きな期待を抱いていたのである。


 その機械的に任務を遂行する『彼』が思い出したように彼方に浮かぶ仮装巡洋艦を見つめた。

 おかしなフネだ。そう『彼』は思う。該船は今から30年ほど前に建造された一般的な中型貨客船。この種のフネは地球や地球圏スペースコロニーといった開発先進地域のみならず、入植して間もない開拓前線でも目にすることができる非常にありふれた存在である。ロイド船級協会の情報によれば該船「チョウセイ3705」は深宇宙の開拓前線から太陽系各拠点に鉱物資源を運搬する目的で地球から遥か遠くの宙域を訪れたが、今から1年ほど前に消息不明になっている。星間条約機構の常設警備隊の捜索活動も実っていないままだ。

 該船で何らかのトラブルが発生してしまい、その結果として無法者の手に渡ったのは容易に想像できる。だが、それだけで普遍的な貨客船が仮装巡洋艦にできるわけがない。普通の貨客船だった頃の主機関は船体相応の一般的なもので、あんな立派なものではなかった。軍艦相応のエンジンは民間には流通していない。どこかの政体が横流した可能性もあるが、そんなことをすれば星間条約機構の諜報機関が尻尾を掴む。加えて、船体に内蔵された主機関を丸々換装できるような技術を持つ造船所はそう多くない。当然ながら、テロリストが自力でどうこうできる水準ではない。そもそも、あの武装はどこから手に入れたんだ?


 『彼』があれこれ考えあぐねる間も沈黙に満ちた宇宙そらであった。不気味な静けさが宙域を覆う。

 口火を切ったのは仮装巡洋艦であった。彼女の持ちうる全力で発信された超長距離通信は「金剛」のアンテナを通して『彼』にも即座に伝わった。それを理解すると同時に『彼』は焦燥の表情を露わにした。


 ――発、特設巡洋艦「レディ・オブ・シオンヌ」。宛、母なる中央評議会。神よ、我らは永遠に貴方の子になるでしょう――


 人間とは愚かな生き物だ。誇り、崇拝、信条……そのために己の全てを犠牲にできるのだから。

「全艦離脱!! 機関緊急出力っ。ワープしろ、急げ!!」

 体内に埋め込まれた電算機から「金剛」へ直接指令を送ると共に『彼』は裂帛の叫びを上げた。刹那の後、宇宙が白い光に包まれた。有史以来あらゆる兵器のデータがインプットされた『彼』にとって相手の正体を察することは簡単なことであった。仮装巡洋艦は超新星爆弾を用いて自爆したのだ。衝撃は仮装巡洋艦の背後に広がっていたアステロイドベルトを巻き込みながら爆発的に広がっていく。


「ワープ3秒前」


 ワープ開始直前を知らせる機械音声が鳴り響いた。『彼』の電算機は何とか超新星爆弾から「金剛」を離脱させられる可能性が高いことをはじき出していた。「金剛」から幾宇宙海里離れていた巡洋艦も『彼』からの指示を受け各々にワープ体勢に移行しようとしている。惑星破壊兵器という明らかに超大国クラスしか実用化していない代物の起爆を見た『彼』の頭脳はテロ組織が恒星間航行能力を持つ未知の宇宙文明と接触している可能性も示唆もしていたが、『彼』は関心は今のところ自艦及び味方艦の離脱のみに向けられていた。 

 ――麾下艦艇彼女たちは逃げ切れる。

 『彼』はから安堵していた。『彼』にとってフネは人間が生み出した単なる工業製品ではない。艦隊統合指揮システムや各種センサーを通じて人が持つ意思に似た何かがフネに宿っていることを『彼』は感じ取っていた。決して彼は表に出さなかったが、それ故に「ギャラクティカ・コンベイヤー」を生贄として捧げることに最も良心の呵責を感じていたのも『彼』であった。そして一瞬だが。人の欲望がために閃光に消える不幸な商船の魂がいつの日か彼女を愛した船乗りと共に救われるように。


「ワープ2秒前」


 機械音声がそう言った時、『彼』は「金剛」のセンサーを通して「ギャラクティカ・コンベイヤー」の推進機関、そして積み荷である資源回収用機材のエンジンが相次いで誘爆していたことを察した。『彼』はこの時、我が身に振りかかるであろう危難を初めて理解した。『彼』の体内には多くの船舶に使用される推進機関の超小型版が電算機駆動のために内蔵されていた。それが最大出力を発揮する「金剛」の推進機関、そして不規則的に爆発していた「ギャラクティカ・コンベイヤー」の推進機関と数多の資源回収用機材のエンジンと共鳴し始めていたのだ。『彼』は自身がどうなるのか知っていた。いくらアンドロイドとは言え、生体であることには変わりはない。人間が亜空間に放り出された末路など火を見るよりも明らかだった。


「ワープ1秒前」


 機械音声がそう告げた。『彼』は「金剛」の艦内システムデータに自身に何が起こったのか記載したテキストファイルを残し、来るべき時に備えて瞼を閉じた。

 ――願わくば、次に目を覚ます時もフネと共にありたい。

 アンドロイドのくせに天に願うとは……。そう自身の思考を皮肉に思いながらも『彼』は機械音声が発する「ワープ開始」という文言を耳にした。

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