第11話・2月
大忙しのどんど焼きが終わり、初縁日も一通り過ぎ、暦は二月に入った。
どんど焼きの時にまとめてついた餅もあらかた底をつき、暮れに死にかけた社(やしろ)もすっかり回復した。回復したとたん忙しく外を跳び回り、幻(げん)は全く顔を合わせる機会がなくなってしまった。
(『どんど焼きが終わったら、話したい事がある』って言ってたのに……半月経っても話がないってことは、あんまり大した話じゃなかったのかな)
幻は幻で、一時帰国の準備が忙しい。
どんど焼きを最後に神社の仕事は特になく、あやかしごとを頼まれる事もなかったので、準備に専念する事にした。
「これを持ち帰る事についてはワシに任せろぃ。何とかしちゃる」
骨壷を指してニカッと笑った社の祖父に、幻はパッと顔を輝かせた。
「わお! 助かります! 飛行機に持ち込めるかとヒヤヒヤしてましたよー」
「ま、普通は無理じゃろうが……。手続は全部やっとくからの」
「Thanx!」
笑顔で礼を言った瞬間に、ザザッと視界にノイズが入る。
まただ。幻は額を押さえた。
洞窟の中の『向こうの世界』から帰ってきたあの日を境に、三途の川で見た光景が、白昼夢のようにフラッシュバックするようになった。自分の四肢がバラバラにされるあの光景だ。
「大丈夫か幻坊?」
「ううん、No Problemね!」
慌てて頭を振った幻を、社の祖父は訝しげにじっと見つめていた。
「今日は、社と真稚(まわか)は?」
「社はあやかしごとじゃ。真稚嬢ちゃんはいつものとこにおるんじゃないか?」
「ああ、『いつものとこ』ですね。行ってみます!」
くす、と笑って幻は頷く。
片目が戻ってから、真稚はしばらくぶりに定位置に戻った。神社の裏の、桜の木の上だ。外は大分寒いのに、モコモコと着込んでまで桜の枝に腰掛けている。
真稚は幻に気付いて片目を開けたが、すぐにまたまどろむように目を閉じてしまった。幻は木の根元からそれを見上げて苦笑した。
「真稚ー、寒くないの?」
上に向けて声を投げると、真稚がまた片目を開けた。
「何か用か」
「ううん、特には。そっちに行ってもいい?」
真稚は答えずに目を閉じる。沈黙を肯定ととらえた幻は、意外と身軽にするすると木を登り、真稚の座っている枝のひとつ下に腰を下ろした。
「わお、思ったより寒いね」
「そんな薄着だからだろう……」
真稚は呆れた声をあげて、巻いていたマフラーをほどき、下に垂らした。
幻が笑顔で礼を言い、マフラーを受けとろうとしたその時、またあの白昼夢がきた。マフラーに手を伸ばした格好でぎしっと動きを止めた幻を、真稚が訝しげに見やった。
「おい、どうした?」
「……………………ううん、No Problemね……」
長い間があいて答えが返ってきた時、真稚の赤い瞳は心配そうに眇められていた。
「問題ないって顔じゃない。お前、もう明日には発つんだろう? すっきりさせて行けよ」
幻は受け取ったマフラーで顔半分を覆う。白昼夢でもぎ取られる首をつなぎ止めるように、しっかりと巻いた。
「……すごくリアルなまぼろしを見るんだ。自分がバラバラにされる場面を」
ぽつりと紡がれた言葉は、真稚に顔をはねあげさせた。俯いている幻には、その様子は見えなかったが。
「手も足も首もひきちぎられて……、相手はあやかしだと思う、多分」
「……その辺のあやかしの記憶が流れ込んだとかじゃないか」
心なしか硬い声で言った真稚に、首を振って見せる。
「違う。バラされてるのは『僕』なんだ」
金の髪、褐色の肌、翠の瞳。鏡を見ればそこにある、見慣れた姿だ。
「何となく予知夢とも少し違う気がするんだ。未来に起こる事っていうよりむしろ、そう……」
幻は真稚を見上げた。翠の瞳の奥で、蒼い光がちらちら揺れていた。
「――過去に起こった事のような気がしてる」
炎の揺れる幻の瞳に射竦められて、真稚はごくりと生唾を飲み込んだ。
「いま」
幻の声に思わず肩を震わせる。
真稚の強張った表情を見て、幻は笑った。とても寂しそうな笑みだった。
「今、とうとう思い出したのかって『言った』……ううん。『思った』ね」
「…………」
「あのね真稚。強がりに聞こえるかもしれないけど、僕は僕が何者なのかはどうでもいいんだ」
「え?」
「ただ、社や真稚や……みんなが僕をどう思うのかが心配なんだ。仲良くなった相手に、怯えた目で見られるのが怖いんだ……」
真稚はぐっと息を飲み、叫んだ。
「ふざけるな!」
余り感情をあらわにすることのない真稚が、顔を紅潮させているのは、怒りのためだった。
「私や社がお前を拒絶するとでも思ってるのか! 人間離れした私達を受け入れてくれたお前を!」
激情の余り、枝の上に立ち上がった真稚を、幻は驚いた顔で見上げた。
「あ、危ないよ真稚!」
「お前が下らない事を言うからだ!」
「I-I see! Let up! Calm down, please!」
思わず英語でまくし立てたのが逆に効いたのか、真稚は肩で息をしつつ、枝に腰掛けなおした。
幻が安堵してホッと息をついたその瞬間、
「あ」
幻の方が足を滑らせ、ぐらりと体勢を崩した。
「わああ!」
落下する時特有の無重力感に、幻は思わず目をぎゅっと閉じた。
しかし、着地の衝撃はいつまで経っても訪れない。幻は恐る恐る薄目をひらいた。
「…………」
すぐ目の前、数センチのところに地面があった。冬の風でカラカラに乾いた土は、うすくひび割れている。そのひびが見えるほど幻の顔は地面に近かったが、それ以上近付くことはない。
――幻は、逆さに宙に浮いていた。
「…………、! 幻、大丈夫か!?」
驚きに声を失っていた真稚が、我に帰って叫ぶ。
その声で魔法が消えたように、幻はべしゃりと顔から地面に落ちた。それでも、受けた衝撃はたった数センチの落下分だけだ。実際は、数メートル上から落ちたのに。
顔から着地した幻の身体は、丸太が倒れるようにぱたりと倒れ、そのまま動かない。真稚が急いで樹上から飛び降りてきて駆け寄り、幻の身体を仰向けにした。
「おい、幻?」
「……だ……まの」
幻の呟きは不明瞭で、真稚はその口元に耳を寄せる。
「なんだ、いまの」
幻の声は震えていた。
真稚が身を起こし顔を覗き込むと、翠の瞳は呆然と宙空を見つめている。真稚の柳眉が、痛ましげにきゅっと寄せられた。
「……幻。思い出せなくても、もう分かったんじゃないのか。自分の正体……」
仰向けのまま揺れる瞳で真稚を見上げ、幻はひとつ深呼吸をした。ゆっくりと身を起こす。
地面にぶつかった鼻を手の甲で軽く擦って、幻はふにゃっと笑った。その拍子に、目尻から涙が転がり落ちた。
「僕、人間じゃないんだね」
泣いてしまった事が恥ずかしくなって、幻は更に照れ笑いを浮かべた。
(『自分が何者かはどうでもいい』なんて言っておきながら、人間でないことにショックを受けるなんて……うわあカッコ悪い)
顔では笑いながらも、幻は自分がショックを受けている事を素直に認めた。
「幻、あのな……」
「そっか。僕あやかしなんだぁ……。だから類は僕を殺すとか殺さないとか言ってたんだなあ」
「おい、幻」
「社も真稚も、そりゃ言えないよね『お前はもう死んでいる』なんてさあ。あれ、そんな台詞あったよねマンガかアニメで」
「幻!」
ぺらぺらと喋り続けていた幻が、真稚の大声で口をつぐんだ。真稚は睨むような目で幻を見据えている。
「自分を見失うな。でないとあやかしに取り込まれるぞ」
幻は口をつぐんだまま真稚の視線を受け止める。その翠の瞳の中に灯が、そして背後に黒い霧が揺れた。
社の今日のあやかしごとは、住宅街のど真ん中、小さな女の子の犬神落としだ。難しい案件でもなく、早々に終えて神社へ戻るところだった。
明日は幻が一旦アメリカへ帰る日だ。夕食は少し豪勢にしようと思って材料を買い込んである。
「わっ」
角を曲がった所で、誰かにぶつかった。いや、正確には、ぶつかったと思った。正面から衝突したはずの相手は、社の身体をするりとすり抜け、背後でくつくつと笑っている。
身体をすり抜けられた時のなんとも言えない違和感に鳥肌が立った。社はごくりと生唾を飲み込み、小さく深呼吸してから振り返る。予想通りの『モノ』がそこにあった。
人の形はしていた。だが、顔形は見えない。黒い霧を全身から立ち上らせ、纏っている。
普段あやかしを視聴きしない者でも、この気配には気付くだろう。それほどの存在感を持った『黒』。
「……よく俺の前に姿を現せたものだ」
社にしては珍しい、嫌悪感全開の物言いだ。蔑みと怒りを含んだ褐色の瞳の奥で、赤い炎がちらちら揺れる。
あやかしがそれを見て、手を顔の前へ持ち上げするりと撫でる。手がどけられると、そこには目が現れた。黒い塊の中の、血のように赤い瞳――真稚の両目だった。
赤い目がニヤリと笑みに細められたのを見て、頭に血が昇った。黒い霧に左手を伸ばし、顔をわし掴む。
ドライアイスを触ったような、冷たさに火傷をしそうな感触も全く気にならず、社はそのまま目玉をえぐり出そうと右手を繰り出した……が。
「!?」
万力並の力で相手の顔を掴んでいた左手が、掴むものをなくして空を切った。当然繰り出した右手もスカッと外れる。
社は険しい表情で後ろを振り向いた。黒い霧はまた、社の背後をとってくつくつと笑っていた。
「忘れたのか、シロ。お前はまだ半分人間なんだ。俺に触れようなどおこがましいね」
黒い霧が耳障りな声で話した。耳を塞ぎたくなるような不快な声。だが、社を愛称で呼ぶその口調は親しげにすら聞こえる。
社は顔をしかめ、舌打ちを漏らした。
社の中の「あやかしの部分」はあやかしである相手に触れられるが、逆に相手は社の中の「人間の部分」をすり抜ける。捕らえたと思うとするりと逃げられる。それは知っていたのに、冷静さを失って失念してしまっていた。
(だから幻の助けが必要なんだ……)
半分あやかしになっても、自分は無力のままだ。……だがそれを嘆いてばかりもいられない。
「今日は何だ。まつろわぬ神を使って手に入れたその目を、見せびらかしに来たのか」
社が少し落ち着きを取り戻し、努めて冷静な問いかけをした。
「まあそんなところだ。それとあの異国人の見送りに」
「…………」
喉の奥でくつくつと声をたてるその笑い方が、耳障りでならない。
「やっとこの町を出ていくらしいな。玩具を取られたのは残念だけど、まあ仕方ない。十分使わせてもらったしな」
社がピクリと眉を跳ね上げる。
「……やっぱり、遺体の破片であやかしをたきつけていたのもお前か」
「ああ。やっぱり力のある身体は違うな。お前のオトモダチが死ぬ時も楽しみだよ。今からどんな悪戯をするか考えとこう」
奥歯が軋むほど噛み締めて、社はどうにか平静を保つ。
ぐい、と顔を寄せて、霧の塊が社の目を覗き込んだ。ノイズのような声が、振動と共に耳の中に入り込む。
「あの男、もう二度とこの町に戻すなよ」
「…………」
「でないとあのオトモダチの、目玉以外も欲しくなるかもしれないな。例えば、首とか」
ぱちぱちとわざとらしく瞬きをして、霧の塊は赤い瞳に指を這わせた。
怒りで毛が逆立つ、ってこういう事を言うんだろうな。社は客観的に自分をそう評して、何とか落ち着こうとした。
「鵺の兄さん!」
背後からの声に、社はすぐには振り返れなかった。
「少し長話しすぎたかな。忠告、しっかり聞きいれろよ」
にやり笑いを残して、黒い霧は消えた。
どっと溢れた冷や汗を拭って、社はようやく声のした方を振り返った。
「通(とおる)君。ありがとう助かったよ」
社に声をかけたのは、幻のクラスメイトの宮本(みやもと)だった。突然お礼を言われて、怪訝な顔で首を傾げている。
「へ? ……何かよくわかんないっすけど、どういたしまして……じゃなくて!」
宮本は慌てた様子で頭を振る。
「知り合いの幽霊が、白の巫女さんから伝言受けて、俺に教えてくれたんです。鵺の兄さんの居場所はそれで知ったんですけど……あーいやそれはどうでもよくて、とにかく、神社に戻ってください、今すぐ!」
早口でまくし立てる様子に、何かが起きたことは分かった。
「分かった、すぐ戻る。伝えてくれてありがとう」
「……幻に何かあったんですかね」
「……どうだろう。そうじゃないといいんだけど」
あとで連絡するよ、と言って、社は宮本と別れた。
早足から小走りに、そして全力疾走になる。嫌な相手に会ったあとだからか、嫌な予感しかしない。社は更にスピードをあげた。
社が息を切らせて玄関に飛び込んできた時、真稚は廊下に膝を抱えて座り込んでいた。
「真稚……何があったの」
「社……」
ノロノロと顔をあげた真稚の顔色は真っ青で、何かが起こったことは間違いない。社は息を整える為と、心の準備の為に、大きく深呼吸をした。
真稚は丘の上の桜の樹での、幻とのやりとりを一部始終説明した。
「私が『自分を見失うな』と言った直後だった。あいつが顔をあげてすぐ……、幻が消えた」
「消えた?」
「本当に一瞬だった。瞬きしたら、もういなくなっていた感じだ」
真稚が震える手で片目を覆う。あの世からの借り物の目を。
「あいつが消えてから、この目が少しずつ見えなくなってるんだ。お前はあの時はっきり説明しなかったが、この目はもしかして……」
社は小さく頷いた。
「……幻の力の一部から、エイマさんが作ったものだ」
真稚は目を眇め、やっぱりか、と呟いた。
「つまり、この借り物の目が見えなくなった瞬間が、幻があの『黒』に完全に取り込まれた瞬間か。……社、急ごう。早く幻を見つけないと」
「…………」
社は返事をせずに、俯いたままだ。
怪訝そうに眉をひそめて、真稚は社の袖をとる。
「社、どうしたんだ」
「……もう無理なのかなあ」
社が小さな声で吐き出した言葉に、真稚は見えない目を見開いた。
「羽田(はねだ)君にも荘(そう)さんにも類(るい)君にも偉そうな事言って、何とか足掻いてきたけど、もう諦め時なのかな……」
「……諦めるって、その言葉の意味が分かって言ってるのか、社」
「…………」
「幻をあやかしとして、消さなきゃいけなくなるんだぞ」
社はくっと眉根を寄せ、顔を俯けた。
「あいつに会ったんだ」
「……あいつ?」
「幻がこの町に留まる限り、あいつは何度でもあやかしごとを起こす」
社の言う『あいつ』が誰を指すのかに気付いて、真稚は眉を微かに吊り上げた。
「その脅しに屈して、幻を失うのか」
「!」
「お前はいつまで執着するんだ。気付け、あいつはもう戻っては来ないんだ!」
肩を揺さ振られて、社は横っ面を叩かれたように固まっている。
「あいつはあやかしになってしまった。あいつはもう、この神社の神じゃないんだよ!」
身体の破片を使ってあやかしごとを起こし、真稚の目を取り上げ、幻を狙う黒い霧の塊。
あやかしになってしまう前――あれはかつて、神だった。社と真稚が生まれる前からこの町を見守り、社と真稚が生まれた時から側にいた。
鵺栖(ぬえす)神社に鎮座する、土地神だったのだ。
「私だってあいつを救いたかった……取り戻したかった。でももうダメなんだ!」
真稚のかすれた叫び声が社の鼓膜をたたく。
赤い瞳が涙を零していた。社はそっと手を伸ばしてそれを拭うが、すくうそばから溢れる雫は社の指を温かく濡らした。
ぼろぼろと涙を零しながら、真稚は叫び続ける。
「むしろ消してやるべきなのは、もう休ませてやるべきなのは、あいつの方だろ……!」
「……うん」
「この町の守り神だったあいつが、この町を襲うなんて、悪夢以外のなにものでもない!」
「うん」
「もっと早くに終わらせなきゃいけなかったんだ。あいつが戻るかも知れないなんていう私達の甘い考えが、あいつにこんな事をさせた!」
「うん……!」
社は真稚を抱きしめた。社も泣いていた。
「どうして俺は、いつもこんなに無力なんだろう……! 何も出来ない! 何も救えないよ……!」
「だから、幻は救うんだ。幻だけは救うんだって決めたじゃないか。社、まだ諦めちゃいけないんだ。最期の最期まで、私達は幻を救う為に在ろう」
真稚も社を抱きしめ返し、その耳元で力強く囁いた。
「例え私達が両方消えても、幻だけは守ろう。幻が残るならこの町は大丈夫だ」
「……うん。そうだね、真稚」
(ここ……どこだ?)
上も下も、目を開けているのか閉じているのかすら分からない暗闇の中、幻は意識を取り戻した。
(さっきまで丘の桜の木の所で、真稚と話してたのに?)
自分があやかしなのだと自覚したから、あそこにはいられなくなってしまったのだろうか。
一瞬そうも考えたが、すぐに違うなと首を振った。自分があやかしだからと言って、すぐに居心地のいい場所を手放してしまえるほど、幻は諦めがよくはない。
むしろ、あの時の乱れた心の隙をつかれた可能性の方が高いように思う。『自分を見失えばあやかしに取り込まれる』と、真稚も言っていたではないか。
(つまりここは、あやかしの中なの?)
自分は取り込まれてしまったのだろうか。もう、元には戻れないのだろうか。
暗闇の中で肩を落とした幻は、一度顔を俯ける。そして顔をあげた瞬間、目を見開き、ヒッと小さく悲鳴をあげた。目の前に、赤い目玉がフワフワと浮いていたのだ。
咄嗟にズササッと後ずさったが、思い直してそろりそろりと近付く。よく見れば、赤い目玉は浮いているのではなく、黒い霧の塊に嵌まっているのだった。暗闇の中で、それだけ浮いて見えただけだ。
「君が、僕を取り込んだあやかしなの?」
幻が問うと、あやかしは返答の代わりに赤い目を笑みの形に細めてみせた。
「そうか。……悪いんだけど、見逃してくれない? 僕は戻らなきゃ……また心配をかけてしまう」
社や真稚に。
二人を思い浮かべて、幻はあることに思い当たった。目の前に浮かぶ目玉をまじまじと見つめる。
まさか。まさかこの目は。
「ねえ、その目……誰の目なの」
声が震えた。恐怖ではなく、もっと別の感情で。
黒い霧の塊が、にや、と目を細める。目の下、口のあるべき辺りにぽっかりと穴があいた。そこから響いたノイズの酷い声は、それでもはっきりとある名を呼んだ。
『ま わ か』
今は視力をなくしている赤い瞳が脳裏に浮かんで、幻は怒りに目を見開いた。
「それ、返して。今すぐに」
ずい、と手の平を突き出す幻に、霧は笑い声のようなノイズをたてた。しかし耳障りなそれは次第に澄んでいき、すぐに鈴を転がすような少年の笑い声に変わった。
「返して、だって?」
一瞬前まで黒い霧と赤い目玉だけが浮かんでいた場所に、少年の姿のあやかしがいた。くつくつと喉の奥で笑い声を立てる彼は、幻より幼い姿ではあったが、高みから見下ろされるような威圧感があった。
「この目はまつろわぬ神を介した正当な取引で手に入れたものだ。返せというならこちらが渡したモノを返してもらおうか」
幻は怪訝そうに眉を潜める。
あやかしとそう簡単に契約や約束をするな、と言っていた真稚が、あやかしと取引をした?
(一体何と交換したんだ……こんなに大事なものを)
あやかしは幻の胸中を読んだかのように、幻と同じく手の平を突き出して言った。
「綺麗な翠の目玉を二つと、頭蓋骨。それを返してくれるなら、こちらもこの両の目を返そう」
頭蓋骨は、こないだあの世で受けとったモノの事だとすぐに見当がついた。だが、翠の目は知らない。
――翠の目なんて、幻自身の目玉しか思い付かない。
その時、またあの映像がフラッシュバックした。四肢をちぎられ、首をもがれ、翠の両目をえぐり出された映像。
幻は脳裏に浮かんだある考えに、目を剥いた。
まさか。そんなことがあるはずがない。
しかし何度否定しようとしても、一度浮かんだその考えは、正答としか思えなかった。
幻が集めていた身体の破片。祖母のものだと信じて疑わなかったそれらは、……ばらばらにされた自分の身体だったのではないか?
「荘さん!」
ばん、と門扉を蹴破る勢いで飛び込んできた社を見て、吉鈴(きつりん)がオロオロした目で荘を見た。
丈高い薬草類が蔓延る庭で、お茶を飲んでいた荘は、社が来ることを知っていたような落ち着きぶりだった。
「にーはお、鵺の大哥。とりあえず一杯茶でも飲めよ」
「折角だけどそんなヒマないんだ!」
「いつもクールな大哥らしからぬ焦りようじゃねーの。……分かってる、阿幻のこったろ」
荘は口をつけた茶器の縁から、琥珀色の目で社を見上げた。
「阿幻はこの町からは出てない。だけどこの世界にはいねえな。鬼の世界に引きずり込まれたか、あるいは自ら足を踏み入れたのか」
「……どうしたら取り戻せる?」
「……あいつを取り戻せば、大哥と小姐は死ぬぞ」
社はそれを聞いても、顔色ひとつ変えなかった。
「覚悟の上ってか。気にいらねー……」
忌ま忌ましげに舌打ちをした荘は、吉鈴に鵺栖町の地図を持ってこさせた。
目を閉じて、地図に手をかざす。す、とその人差し指が置かれた場所は、鵺栖町の裏鬼門・鵺栖中学校だった。
「ありがとう、荘さん」
「礼なら阿幻と小姐連れて三人で、茶菓子持って茶でも飲みに来いよ」
「…………」
社は答えずに、苦笑混じりの笑みを浮かべただけだった。
タクシーに乗った社と真稚は、行き先を告げたあとはずっと黙っていた。運転士も話しかけて来ることはなく、一つの信号にも引っかからずに車は鵺栖中学校に着いた。
「釣りはいいです」
紙幣を多めに渡し、社と真稚は車を降りる。運転士は一瞬目を丸くしたが、さっと運転席の窓を開け、お客さん! と叫んだ。
社が振り返ると、運転士がこちらに何か投げて寄越した所だった。ぱし、と片手で掴み手を開くと、手の中にあったのは五円玉だ。
「君達の覚悟はよく解りませんが、お守り代わりに持って行って下さい」
「…………」
「いいご縁がありますように、ですよ」
社は頷き、踵を返した。
中学校はすでに放課後で、部活動の生徒がいる程度だった。社は真っ直ぐ校長室へ向かった。
『この場所はこれからあやかしごとで危険区域になる』。
それだけで説明が済むのは、ここ鵺栖町くらいのものだろう。校長は直ちに校内放送を入れ、残っている生徒・教師を校内から帰させた。
「社、どこに行けばいいんだ?」
「……ちょっと待って」
社は立ち止まり目を閉じて、感覚を広げる。幻の気配を、そして『黒』の気配を探して。
「……こっちだ」
スウ、と目を開けた社はゆっくりと腕をあげ、歩きだした。
「おい、高遠(たかとう)! ……さん」
とってつけたような敬称を呼ぶ声に、社と真稚は振り返る。野球のユニフォーム姿の三和弘道(みわひろみち)がそこに立っていた。
「校内放送聴いただろう。早く校内から出て……」
「何が起こるんだよ……これからここで」
「…………」
「あの留学生はどうしたんだ」
目を逸らし答えない二人を見て全てを悟り、ほら見ろと呟く。
「そうやってまた、この町を危険にさらすのかよお前らは」
弾劾の声に社は眉間に力を入れ、ぎゅっと目を閉じた。何も言い返せない。言い返す資格もない。――だけど。
スッと開かれた社の瞳には、赤い炎がちらちらと揺れている。その気迫に、三和は一瞬怯んだ。
「心配しないで。今度こそちゃんと守ってみせるから」
鵺栖を護る神を鵺栖を襲うあやかしへ貶めた、あの時と同じ轍は踏まない。
「俺達二人の命に代えても、守ってみせるから」
三和が固まっている間に、二人は行ってしまった。
「……全然解ってないじゃねーか、ちくしょう」
詰めていた息を深く吐いて、三和は呟く。
「この町を守りたいと思ってるのは、おまえらだけじゃないだろ……!」
その呟きと前後のやり取りを、背後で聞いていた者がいる事に三和はまだ気付いていなかった。
社と真稚がたどり着いたのは、屋上だ。扉には鍵が掛かっていたが、社はそれを無言で鍵ごと蹴破った。
風が強い。長い銀色の髪が風になぶられるのも気にかけず、真稚はぐるりと屋上を見渡した。赤い瞳を一点にとめる。
「あそこか」
屋上を囲むフェンスの向こう。自然豊かな鵺栖の町の、青空と木々とが広がる絶景だ。
その中で、ある場所だけ切り取られたように何も見えない場所があった。
ぽっかりと、黒い闇が浮かんでいる。そこから漏れ出て来る澱んだ空気は、幻が以前迷い込んだあやかしの世界にも、洞窟を通って至る三途の川のほとりにも似ている。
だが、真稚はそのどちらも知らない。
フェンスをよじ登り、二十センチ程の縁に二人で立つ。四階建ての建物の屋上から見下ろす地面は遠いが、真稚は下など見ていなかった。片方しか見えない赤い目で睨むように見据えているのは、目の前の闇。
(幻。今お前を取り戻しに行くから)
「それじゃ、行こうか。真稚」
社が手を差し出した。真稚はこくりと頷き、その手をとる。ぎゅっと固く手を繋いで、二人は同時に、屋上の床を蹴った。
――町の広域放送が鳴っていた気がしたが、内容までは聞き取れなかった。
鵺栖町役場の最上階、町長室の隣に位置する応接間。防音は勿論、結界も万全の部屋に、男達が渋面を付き合わせていた。
その中で、一人泰然と椅子に深く腰掛けているのは、社の祖父だ。
「何度も申し上げるが、事態は一刻を争う。今ここで、ご決断いただきたい」
さらりと紡がれた感情の込もらないその声に、町長が胃を押さえて、他の面々を横目でチラッと窺った。
このテーブルについているのは、町長、町議会議長、そして町の有力者が数名。実質、この町を動かし支えている者達だ。
「もう一度だけ、解りやすく申し上げよう。もし協力頂けない場合、この町は春を待たずに滅びますぞ」
「……高遠さん。それは脅迫というものではありませんかな」
口の端を歪めてそう言ったのは、真稚の父だ。
「この町が、世界中の『そういった存在』の掃きだめのような場所であると、そんな言い伝えは知っていますよ。それこそ、この町に生まれ育った者ならば、耳にタコが出来るほど聞かされてきた」
深みのある声が、説得力を持って滔々と響く。社の祖父はそれを無表情で聞いている。
「だが、今は二十一世紀です。あやかしだの何だのと、そんな時代は終わったのですよ、高遠さん」
社の祖父は、何も言わなかった。
「あなたの物言いはまるで怪しげな新興宗教か、子供向けの特撮番組だ。この町を襲う化け物がいる、その化け物からこの町を救うために、この町の人口の半数もの協力がいると?」
「阿部(あべ)さん、まあ落ち着いて……」
見かねた地元農協の重鎮が、真稚の父を宥めに入る。
「これが落ち着いていられますか。一人の老人の妄想で、町を引っかき回されては敵わない」
「そいつぁ言い過ぎでさぁ、呉服屋の若旦那」
ピシャリと投げられた江戸訛りの言葉に、真稚の父はようやく口をつぐんだ。
江戸訛りの消防組合OB会会長も、若干垂れ目気味の農協の重鎮も、元教育委員長も、大企業を束ねる一大グループの会長も、社の祖父と同年代。みなこの町で生まれ歳を重ねた。
五十代とやや若い町長と、さらに若い真稚の父を除けば、この場にいる者はみな幼なじみだ。そしてみな、『あやかしを視聴きする者』だった。
彼らから見れば真稚の父の言い分も、町長の戸惑いや躊躇いも、まるで見当違いだと笑い出したくなるようなものだった。だが、逆に言えばこれが今の世代の総意、常識なのだろう。
時代の変化は、ごく自然な事。だが伝統の中には、忘れてはいけないものが確かにある。
「うむ……わかりました。行政の力が借りられないならば、我らが力を出しあいましょう」
静かな声でそう言ったのは、大企業を束ねる壱屋敷(いちやしき)グループの会長だ。あからさまにほっとした顔の町長に、好々爺然とした笑顔を向ける。
「町長、そして阿部君。私は正直に申し上げて、君達に失望しています。じじいの戯言と哂いますが、このじじいはただのじじいではなく、鵺栖神社の宮司のじじいなのですよ」
じじい連呼すな、と社の祖父がボソリと呟くが、壱屋敷はすっぱり聞き流す。
「この町で、あの神社がどれ程重要か。親御さんからお聞きにならなかったらしい。……ですがそれは言っても詮ないこと。八潮(やしお)君、行きましょう。じじいの権力を見せてやりますよ」
ニッ、と笑った顔は皺だらけだが、その不敵な笑みは青年の頃と変わらない。久々に名を呼ばれた社の祖父も、思わず口の端を持ち上げた。
「おう壱屋敷よぅ、お前さんだけカッコつけすぎってもんじゃぁねえかい!? 俺にも一枚噛ませろぃ!」
「日野(ひの)のじいさんが行くなら、わしも行かんと、止めるもんがいなくなるのお」
威勢のいい江戸訛りの元消防組合長が、穏やかな中に芯のある声の元教育長が、次々と名乗りをあげ、椅子を立つ。
結局最後まで椅子に座ったままだったのは、苦虫をかみつぶしたような顔の真稚の父と、青い顔をした町長だけだった。
「よし、行こうか高遠。とりあえずお前んとこの神社で準備しよう」
「誰かタクシー呼べぃ」
ぞろぞろと老人達が応接室を出ていく。最後に壱屋敷が少し振り返り、人の良さそうな笑顔を浮かべたまま、目だけを冷たく光らせた。
「この町の為に助けを乞う声をあげた者に、手を差し延べなかったあなたがたの対応……。私はきっとずっと忘れないでしょうな」
にや、と歯を見せて笑った顔が、町長を震えさせた。
「これから先、あなたがたが救いを求めた時、その声が、誰かに届けばいいですがね?」
「……!」
「では、失礼」
ぱたん、と扉を閉めると、仲間達が悪戯っぽい笑顔でニヤニヤと顔を見合わす。
「あんま若いもんをイジメてやるなよ」
そういった社の祖父が、一番にやけた顔をしていた。
タクシーに分乗し、老人達は鵺栖神社へ集まった。茶も待たずに、町議会議長が開口一番社の祖父に尋ねる。
「それで? この町を救うにはどうしたらいいんだ?」
雑談をしている暇はない。社の祖父はこくりと頷き、今の状況と、この町を救う方法を話し出した。
鵺栖神社にまつられる神は、正確に言えば神ではない。だから、鵺栖神社は神社庁の管轄ではなく、実を言えば宗教法人ですらない。
いつの頃からかこの地は、人ならざるもの――あやかしを引き寄せる場所になった。世界中からこの場所にあやかしを集めることで、人知を超えた事件や出来事は消えていく。それに比例して、この地でそういった事件が起こらない日はなくなった。
この地が「鵺のすみか『鵺栖』」と呼ばれ出した頃には、もうこの神社はあった。鵺栖に集まるあやかしを、さらに一カ所に集める為に、この神社は存在した。つまり、囮だ。
ここにまつる神は、あやかしを引き寄せる為のエサであり、寄ってくるあやかしを倒してあの世へ送り返す、退魔の神でなくてはならなかった。
人を害する黒いあやかしと常に対峙する鵺栖の神は、自身も黒いあやかしへとなってしまう事が度々あった。そのため、鵺栖の神は六十年毎に交替する。
あやかしになってしまう前に鵺栖の守り神の任を解くと、旧い神はたいてい、別の場所で神となった。囮や同族殺しではない、本物の神に。
そして鵺栖神社は新しいいけにえを探す。そうやって、この町は人知れず世界の霊的秩序を守っていた。
「先代の鵺栖神社の神は、交代まで保たんかった」
社の祖父の発言は、老人達に目をみはらせた。
「初耳だぞ」
「言っとらんからの」
「てめぇはいっつもそうやって、大事な事抱え込みやがる……!」
「しかし……確かに納得しました。ここ十年程、町にあやかしが増えているように思っていたので」
みな『視聴きする者』だと、話が早い。
「元・鵺栖の守り神は、黒いあやかしになってしもうた。あやかしやまつろわぬ神まで引き込んで、この町の人々を襲っとる」
「それはまさに……悲劇じゃのう」
誰かがしんみりと呟いた言葉に、社の祖父は少し救われた心地だった。
元守り神が今この町を襲っているのは事実。だが、それ以前にこの町を守っていた事も事実だ。その事を綺麗に忘れてしまいたくはなかったし、町の人々にもしてほしくなかったから。
「交替要員は見つかっておるんか?」
社の祖父は少し黙ってから、ああ、と頷く。
「坂(さか)家のお嬢さん、覚えとるか」
「待子(まちこ)さんか?」
「彼女の孫が、お前んとこに来とるんじゃろ?」
「ああ。その子じゃ」
『は?』
揃って丸い目を向ける旧友達に、社の祖父は繰り返す。
「鵺栖の新しい守り神は、待子さんの孫の幻・イグアスじゃ」
社と真稚を見送った後、地面を睨みつけていた三和は、やはり自分も二人を追おうと足を踏み出しかけた。しかしその時、背後から突然肩を掴まれて息がとまるほど驚いた。
「坊、ここで何しとん。はよ逃げえや」
振り向くと真っ黒な喪服に金髪の男が、バイクのメットを小脇に抱えて立っていた。
「あれ、葬儀屋の……」
「何や、弘道君か」
寺の息子である三和は、法事や葬祭関連で観(かん)と面識がある。
観の後ろで飄々と空を見上げている、幻と瓜二つ色違いの男にも見覚えがあった。夏頃、あやかしごとで寺に来た事があったはずだ。
「殯の大哥、あれだ」
荘がまっすぐ指差したのは、校舎屋上の一角。空を切り裂いたように浮かぶ黒い穴。
「何だあれ……」
そこから漏れでる黒い霧を見ただけで、三和は青ざめた。
「あんなでっけえ亀裂、滅多にねえよな」
口の端で笑った荘だが、その頬を冷や汗が流れる。
「そこいらのあやかしには出来へん芸当やで。さすが、鵺栖の元守り神ってとこやろか」
「え?」
三和は観の言葉に耳を疑う。
この事態を引き起こしているのが、鵺栖神社にまつられていた神だというのか。七年前、黒いあやかしへと変わり果て、寺を焼いたあのあやかしだと。
駆け出しそうになった三和を止めたのは、今度は荘の方だった。
「どこ行くつもりだ、阿弘」
振り向いた三和の目は、憎しみと怒りが見え隠れしている。
「そいつを消滅させに行く」
「やめろ、意味がねえ」
「俺の妹はあいつに殺されたんだぞ!」
怒鳴り声は広いグラウンドに反響せず、すぐ風に散った。胸倉を掴まれて怒鳴りつけられてもなお、荘は冷静な顔を崩さない。
「お前も『視聴きする者』なら分かるだろうがよ。今のお前のその感情、あいつにとっては極上の餌でしかねえぞ」
怒り。嘆き。恨み。妬み。怯え。蔑み。呪い。
人のあらゆる『負の感情』が、黒いあやかしを成長させる。確かに今の三和では妹の仇をとるどころか、逆に相手に力を与えて終わりだ。
三和は唇を噛み締め俯いた。その肩に、ポンと手が置かれる。
「そんな弘道君に提案や。あっちに直で乗り込んで暴れるんは鵺の兄ちゃん達に任せて、こっち側で出来る簡単なお手伝い、する気ない?」
ニッといたずらっぽく笑う観。
ちょうどその時、観の背後、校門の所に次々とワゴン車が滑り込んできた。そのワゴン車はどれも、車体側面に壱屋敷グループの傘下企業の名が入っていた。
状況が掴めず三和が目を丸くしていると、町の防災放送用のスピーカーがガガッと音を立てる。続けて放送された内容は、そのゆっくりとした口調と裏腹に全く呑気ではなかった。
「防災鵺栖よりお知らせします。ただいま鵺栖中学校に、大規模な霊障が発生しています。町民の皆さまで、あやかしごとの経験のある方は、ご協力願います。繰り返します……」
三和はポカンと口を開け、スピーカーを見つめていた。
「こんなのアリか……」
「ま、お偉いサン的にはナシやろな。鵺の爺ちゃんとお友達の独断らしいで」
「ちげーよ『英断』だ。やっぱすげえな、この町は」
社用車で運び込まれた簡易テントが、消防団の人達の手で次々と設営されていく。食品会社の車からは業務用の調味料袋、農協からは野菜や酪農品・加工食品が軽トラックで運び込まれる。
この間に、子供のいる各家庭には教育委員会を通じて連絡網が回っていた。町議会議長が商工会の飲食店連盟に働きかけ、飲食店は軒並み店舗を臨時休業にして、商売道具を担いで中学校へ向かった。
「何が始まるんだ……」
呆然と見ている三和の呟きに答えたのは、悠然と現れた老人だ。宮司の正装をした社の祖父が、不敵な笑みを浮かべて言った。
「祭じゃよ」
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