第9話・12月


 アスファルトとゴムの擦れる甲高い音。そしてそれに続いた、鈍い衝突音。人々の悲鳴、ざわめき。やがて救急車の音が近付いてくる。

 女はその音を、どこか遠くで聞いていた。冷たい地面に横たわりながら。



「じんぐっべー♪ じんぐっべー♪ じんぐーおーざうぇー♪」

「え、なにそれ何て? カタカナにすら聴こえないんだけど」

「う、うるせえ留学生! 発音なんか知るかよ!」

 わっ、と宮本(みやもと)が大袈裟に顔を覆って叫んだ。

 世間はすっかりクリスマス一色だ。市街地はクリスマスカラーとクリスマスソングにあふれ、街ゆく人々もどこか浮かれている。

「お、幻(げん)やないか。久しぶりやなあ」

「あ、観(かん)だ!」

 駅前でばったり出くわしたのは、葬儀屋の羽田(はねだ)観だ。

 目の覚めるような金髪にそぐわない喪服。宮本は金髪の幻と観に挟まれて、目をチカチカさせていた。

「ちょぉ人を探しとんのやけど、こういう姉ちゃん見いひんかった?」

 そう言って観が取り出した一葉の写真には、女性が写っていた。明るい色の、ウェーブがかったフワフワの髪。小柄でほっそりした体躯にフェミニンなワンピースがよく似合っている。

「Cuteな人ネ! Girlfriend?」

「ハハ、ちゃうちゃう。一昨日うちで見送ったった人や」

「え」

「亡くなったんすか? 若いのに」

 宮本が痛ましげに眉尻を下げた。

「交通事故らしいわ。下宿して都会の大学に通っとった子ぉなんやけど。若いもんなあ、そら未練も残るわ」

「え……それって」

「ああ。あやかしになってしもたんや」

 宮本がサーッと顔色をなくす。あやかしを『視聴き』するくせに、心霊系の話が苦手なのだ。

「こっここここの辺にいるんですかっ」

「どもりすぎやろ自分。……昨日、事故現場に行ってみたんやけどおらんかった。せやから故郷のこの町に戻っとると思うわ」

「そうですか……うう……」

 観は宮本の怯えっぷりに、幻に向かって首を傾げたが、幻は苦笑して肩を竦めるにとどめた。

「それで、その人が見つかったらどうするの?」

 幻の声は、探るような確かめるような色が滲んでいた。観は小さく苦笑して、決まっとるやないか、と言う。

「あるべき場所へ送ってやらな。無理に合わへん場所におるんはつらいし苦しいもんや。そんなん可哀相やろ」

「……そうですね」

 ホッとしたように表情を綻ばせると、幻は写真をまじまじと見つめる。

「僕達も探すの手伝います!」

「ホンマ? 助かるわ」

 宮本は一人遠い目をして、極々小さな声で呟く。

「達って俺も入ってんのか……」



「おったか?」

「いえ、家の周辺にはいなかったです……」

「母校ら辺にもいなかったっすよ」

 冬の日暮れは早い。

 まだ十八時前だがすっかり暗くなった街で、観はくしゃりと前髪を掴む。

「分かった。二人ともおおきにな。また明日探してみる」

「No sweat! 見つかるといいですね。悪いあやかしになったりしないうちに……」

「せやなあ……」

 宮本は少しビクビクしながら、未だにきょろきょろと辺りを窺っている。この様子だと、見つかるまでビクビクし続ける事になりそうだ。

「どどどこか他に、行きそうな場所の心当たりとかなななないんですかね」

「せやからどもり過ぎやって自分! ……せやなあ、心当たりか……ちょぉ遺族の方に確認とれたらとってみるわ」

 ほななー、と手を振りながら街中へ消えていった観を見送り、幻は宮本と別れて神社への道を歩いた。

 街中はビルの明かりや街灯で明るいが、郊外の高台にある鵺栖(ぬえす)神社周辺は、街灯も少なく大分薄暗い。眼下に街の明かりを見ながら、幻は登り坂をのぼっていく。

 いつからその音がしていたのかは分からない。気付いた時には、幻の後ろを、五メートルほど離れてついて来る足音があった。

 こつ、こつ。幻の革靴の足音とは別の、ヒール靴の音が薄暗い夜道に反響していた。

(これってやっぱりあやかしかなあ……っていうかいわゆるゴーストかなあ)

 ぼんやりとそんな事を思いながら、足をとめずに後ろに耳を澄ました。

ヒール靴の音からもそうではないかと思ったが、どうやらついて来ているのは女の幽霊らしい。啜り泣く声がしたからだ。

 振り向いて声をかけたい衝動にかられたが、ついこの間のあやかしの事を思うと、少し警戒してしまう。最低限、自分の身の安全だけは確保してからにしようと思った。

 幻は最後まで歩調をかえずに神社にたどり着き、鳥居をくぐってから振り返る。鳥居のこちら側へこれない幽霊は、鳥居の前で立ちすくんでいた。ウェーブがかったフワフワの髪、小柄でほっそりした体躯。間違いない。観が探していた人だ。

 鳥居をはさんでいれば襲われることはない。幻は会話を試みようと唇を開きかける。その時だ。

「幻、このあやかしは誰だ? 知り合いか?」

 鳥居の向こう側、幽霊の隣に、真稚(まわか)がいた。

 そこにいたのが人間だったら、真稚は無視するか会わないようにしただろう。そして、その幽霊がただの幽霊だったなら、例え襲われても真稚は自力で跳ね退けただろう。だが幻が連れてきてしまったのは人間ではなく幽霊で、それも並の幽霊ではなかったのだ。

 あっと言う間すらない早業で、女の幽霊は真稚にとり憑いた。

「う……っ!?」

 真稚が頭を抱えてうずくまる。いつもと様子が違うので、幻は慌てて駆け寄った。

「真稚、だいじょう……!?」

 肩に触れかけて、幻はビクッとその手を引いた。

 細い肩にこぼれ落ちる純白の髪が、魔法のように栗色に染まり、くるくると波打つ。飾り気も素っ気もないシャツとスラックスが、フワフワしたワンピースに変わった。こちらを見上げた瞳は、落ち着いた褐色。

 幻は翠の目がこぼれそうになるほど見開いた。真稚は幻の目の前で、別人に変身したのだった。



「……ははあ。とりあえず事情は分かったよ」

 居間で幻から話を聞いた社(やしろ)は、こめかみを押さえる。その向かい側には真稚を『乗っ取った』幽霊が、ちょこんと正座していた。

 髪も服も瞳の色すらも変貌しているが、顔立ちだけは真稚のまま。

 元より整った顔立ちではあったが、お洒落をすれば女の子はこうまで変わるのかと幻は正直驚いた。普段の真稚は、社のお下がりらしき男物の服を適当に着ているだけだ。

「とりあえず、羽田の坊ちゃんに電話してきたぞぃ。すぐこっちに来るそうじゃ」

「ありがとうじいちゃん。……さて」

 社の纏う空気が、すう、と変わった。

「それで? 何が望みなのかな君は」

 横で聞いていた幻がぞくっとするほど冷たい声だった。

「君が憑いているその子を害するつもりなら、俺は黙って見ている訳にはいかないんだ」

 声を荒げている訳でも、怒りの表情を浮かべている訳でもないのに、社の感情が痛いほどぶつかってくる。

「社、そうおどすでないよ。可哀相に、震えとるじゃないか」

 割って入った社の祖父の、のほほんとした声に救われた気にすらなった。社の祖父は真稚に憑いた幽霊に向き直り、にかっと笑って見せる。

「娘さんや、名前を聞かせてくれるかの?」

「……………………真奈佳(まなか)、です」

 蚊の鳴くような小さな声だったが、聞き慣れた真稚の声だ。

 名前似てるなあと思いながら真稚……否、真奈佳を見ているとかちっと目が合う。ふんわりと微笑んだ真奈佳に、幻はどきっとした。

「真奈佳さんか。……ちと酷な事を言うが、お主は既に死んでおる。何故まだこの世に留まろうとするんじゃ?」

 何せ真稚に打ち勝ち、姿すら変えてみせる程だ。余程強い心残りがあるに違いない。真奈佳は表情を曇らせ、俯いた。心当たりがあるらしい。

「私……その……」

 言い淀む仕種が可愛らしく、幻は色々な意味でごくりと息を飲んだ。



「恋人とクリスマスデートしてみたかった……やて……?」

 観が険しい顔で言った。

「は……いや、ホンマにそれだけなん? マジで言うとるん?」

「本気みたいだよ。少なくとも僕にはそう聴こえたけど」

 夜道をスクーターで駆け付けた観は、玄関先でヘナヘナと崩れ落ちるように腰を下ろした。

「ワカちゃんは何も言うてへんの? アホ言いなやとか、ふざけとんのかとか」

「それが……完全に押さえ込まれてるみたいで、出てこないんだ」

「何やて?」

 観が驚きと呆れとに目を丸くする。

「ワカちゃんを押さえ込む程の未練が、クリスマスデート……? んなアホな」

「……とりあえず上がったら?」

 げっそりした表情で玄関先までやってきたのは社だ。促された観は靴を脱ぎ、お邪魔しますと挨拶して上がった。

「何や面倒な事持ち込んでしもて、ごめんなぁ……」

「君のせいじゃない。でも困ったよ……」

 社が、はぁ、と大きく溜息をついた。

「まあ一応身体は真稚な訳だし、クリスマスまで家で預かるのは構わないよ」

「おおきに。ほな俺はその恋人さんをクリスマスまでに見つけてくるわ! 名前とかはもう聞いたん?」

 観の言葉に、幻と社がずぅんと肩を落とした。

「それが……彼女は生前、お付き合いしていた人はいないらしいんだ」

「は?」

 鳩が豆鉄砲を喰らったような、とはこんな顔の事を言うんだろう。そんな見本のような表情だった。

「あれか、妄想か? 脳内彼氏なんか」

「恋人募集中だった所を、命を落としたって事でしょ」

 観は頭痛をおさえるように額を押さえ、何度も首を横に振った。

「恋人探しからやらなあかんのか。結婚相談所のオバハンか俺らは」

「本当に困ったよ……」

 幻はそれをはたから聞いていて、小首を傾げた。

「何が困ったの? 社がデートすればいいじゃない」

「……………………は?」

 さっきの観と同じ、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、社が声をあげた。

「だって外見は真稚だし……いつもよりGirlishでカワイイけど」

「いや……ちょっと待って。それでどうして俺になるの」

 幻は、少し前に『社とはどこまで進んでいるのか』と尋ねた時の真稚の言葉と表情がずっと気になっていた。

 あの時真稚は、諦め開き直ったような顔で『どうにもならない』と言ったのだ。

「おー、それええやん」

 幻の思惑を知ってか知らずか、観も話にのってきた。

「鵺の兄ちゃんもワカちゃんも、あやかしごとでしか出かけたりせえへんのやろ。たまには年頃の男女らしゅう、デートでもしたったらええわ」

「ちょっと待ってよ二人とも……他人事だと思って面白がってない?」

 社の笑顔が若干怒りを帯びている。

「そんなんやないて~♪ ホンマホンマ」

 ケラケラと笑う観は明らかに面白がっていると分かるが、幻の笑顔に隠れた真剣な表情を見て、社は目を細める。

(……何を考えてる、幻?)

「何って、社と真稚が仲良くしてたら僕は嬉しいんだよ。考えてるのはそれだけだよ」

『えっ?』

 観と社が揃ってポカンと口を開けた。

「突然何言うとんの? ……いやまあそれには同意するけど」

 観が気を取り直してうんうんと頷く横で、社は生唾を飲み込んだ。

 読まれたのか……思考を。

これで確定した。幻の『聴く』力は増してきている。

 思考が聴こえないように、緩んでいた気を引き締めた社は、溜息をついてから話を元に戻す。

「大体、彼女にだって選ぶ権利があるだろう。俺を選ぶはずはないよ」

「何でや?」

 観が首を傾げる。

「鵺の兄ちゃん、タッパも顔もそこそこやし、もっと自信持ってええと思うで」

「観、それ誉め言葉と違う気がするよ」

 更に頭痛が増したらしい社は渋面でこめかみを押さえていたが、不意に鋭い視線を背後に向ける。きし、と床板を鳴らして、真奈佳が姿を現した。

「お……おおお? 何やワカちゃん、えらい別嬪さんに……!」

 思わず声をあげたが、それにビクッと半歩後ずさったのを見て、観は悟った。ああ、これは確かに真稚ではないと。

「私……まわかじゃないです、真奈佳です」

 小さな声ながら、はっきりと自分を主張した真奈佳に、社は眉間にシワを寄せた。横目でそれを見た幻がハラハラする。

「話、聞いてました。あの、私……」

 真奈佳は恥じらうように一度目を伏せ、上目遣いに社を見る。

「デートの相手、社さんが……いいです」

 幻がひゅう、と口笛を吹く。しかし社の表情はますます冷たくなるばかりだった。

「おー……、ほ、ほら鵺の兄ちゃん! 女の子からああ言うてるんやで、答えたらなあかんやーん!」

 バシッと背中を叩かれても、社の表情は能面のように動かない。

「俺は……」

「ええじゃないか。一日くらい付き合ってやりよ、社」

「じいちゃん……」

 真奈佳の後ろから現れた社の祖父は、真奈佳の肩に手を置き、器用にウィンクする。

「わしがあと五十歳若ければ、わしが行くんじゃがのー。仕方ないからお前に譲っちゃる。役得じゃろうに」

「…………」

 社はそれ以上何も言わず、深い溜息をつく。そのまま無言で自室へ戻ってしまった。

「私……社さんに嫌われてるんでしょうか……」

 しゅん、と俯き肩を落とす真奈佳に、幻がそんなことないよ! と声をかけた。

「照れてるだけだよーきっと! こんなカワイイ女の子にデートに誘われて、気を悪くする男なんていないよー」

「やだ、幻さんってば……でもありがとうございます」

 はにかむ真奈佳に笑顔を返す幻の横で、観が戸惑ったように一人ボケツッコミしていた。

「欧米か! ……ってせやったわ欧米やったわ!」



 何か状況が変わったりしたらいつでも連絡してくれ、と言い残し、観はまたスクーターで帰っていった。幻はそれを見送ってから玄関の敷居をまたぐ。

 靴を脱いで顔を上げると、社が目の前に立っていてビクッと肩を振るわせた。

「わお! ビックリしたー。どうしたの?」

「それはこっちのセリフだよ、幻」

 社は困ったように眉を潜めて幻を見ている。いつもの苦笑はなりをひそめ、本当に困惑しているようだった。

「何をさせたいの、俺に」

「何って……真稚とデート……みたいになるかなって」

「でもあれは真稚じゃない」

 まあそうだけど、と唇を尖らせた幻の前で、社は何度目かの溜息をついた。

「真稚の気持ちよりも、あの幽霊の希望を優先したんだよ、君は」

「そんなつもりじゃないよ」

「でも結果的にはそうだ……」

 社の疲れた声と表情が、言葉よりも幻を責めた。

「真稚はきっと幻を責めない。だから代わりに俺が今、厳しい事を言うよ。少し考えてみて。自分の身体を乗っ取られて、自分の口が『私は真稚じゃない』と喋って、数年来の付き合いの俺がクリスマスデートとかで浮かれてるのを、魂を奥に奥に押し込められてただ見てるしかない状況を」

「……!」

「俺だったらその状況は、怖いよ。俺が俺じゃなくなるなんて」

 幻は自分がした事の意味をようやく理解した。翠の目を見開いて、震える声で呟く。

「僕……軽率だった」

「そうかもね」

「どうしよう、社」

「まあもう乗りかかった船だしね。このまま行こう。真稚なら大丈夫、そう簡単に負けはしないよ。きっかけさえあれば、ちゃんと戻ってこれる」

 だからそのきっかけをうまく作るよ、と社は力強く頷いた。

「とりあえず、幻には頼みたい事があるんだ」

「何? 僕に出来ることなら何でもするよ……!」

「デートプラン立ててくれ」

「うん! ……うん?」

 いい返事をしてから、幻は首を傾げた。社がやさぐれたように笑って呟く。

「俺、普通のデートとかよく分からないから」



目覚まし時計の音が鳴っている。幻は暖かな布団が名残惜しくて、その音から逃げるように掛け布団に潜り込む。

「ダメだよ幻君。起きなさーい」

「!?」

 バチッと目を開けると、吐息がかかるほどの至近距離に、真稚の顔があった。……違う。真稚ではなく、真奈佳だ。

「学校遅れちゃうよ? 朝ご飯出来てるから、ほら早く!」

 ばさっと布団を剥ぎ取られ、幻はドギマギしながら逃げるように部屋を出た。

 食堂には既に社の祖父が座っていて、老眼鏡をかけて新聞を読んでいる。

「おお、お早うさん幻坊」

「Morning...」

 食卓の上には真奈佳が用意した朝食が乗っている。トーストにベーコンエッグ、サラダとポタージュスープ。コーヒーポットが湯気を立てていた。

 真奈佳は家事全般を「私がやりますから!」と社から全て奪い、そつなくこなしている。時間の空いた社は、家から逃げるようにあやかしごとに没頭していた。

 幻は席に着き、もそもそとトーストをかじった。真奈佳の料理は決してまずくはない。むしろ美味い方に分類されるのだろう。

(でも、社の作った味噌汁飲みたいなー……)

 アメリカにいた頃とそう変わらない朝食を幻は詰め込んで、学校へと向かった。



「クリスマスデートプラン……だと……?」

 弁当の時間、この世の終わりのような顔をして、宮本が呟いた。

「お前……いつの間に彼女作ってんだよちくしょおおおお」

「やっぱり外国人はモテるんだうわああああ」

「リア充爆発しろおおおおおお」

「え? ……違う違う、僕じゃないよ!」

 男子達の悲痛な叫びに、幻は慌てて胸の前で手を振った。

「社と真な……真稚にね、たまには二人で楽しんできてもらおうと思って」

 本当は真稚ではないのだが、話がややこしくなるので真稚の名を出した。胸がちくりと痛むが仕方ない。

「なるほど、そういう事か……」

 宮本が納得顔で頷く。

「そんなら俺達に聞くよりも適任がいるだろ」

「え?」

「千雪(ちゆき)ー。ていうかその辺の女子全員! 聞いてんだろ? 女子が喜ぶようなデートプラン、何かいい案ないか?」

 宮本の質問が終わるか終わらないかの内に、ずざざざざっと女子達が殺到した。

「やっぱ有名テーマパークでしょ!」

「映画も捨て難い!」

「でもプラネタリウムもロマンチック!」

「そしてイルミネーションは外せない!」

「プレゼントはもう決めてあるワケ!?」

 幻は目を白黒させて、もう一度一人ずつ喋ってもらうよう頼んだ。


 女子達のアドバイスと男子達の現実的な意見を盛り込んで、幻はなんとかデートプランを三つほど作り上げた。

出掛けるにしても、せいぜい隣街まで。社にそう言われていたので、どれも遠出はしないプランだ。

 この鵺栖町と、隣の芦刈(あしかり)市内のみでプランを立てるのは、正直骨が折れた。

「この辺何もないじゃない、田舎で」

「それに、普段と違う場所に行きたいもんでしょ」

「せっかくクリスマスっていう特別な日なんだから!」

 地元は特に女子達に不評だった。だが、そこに宮本がボソリと言った言葉が鶴の一声になった。

「好きな相手とだったら、どこ行っても楽しいもんじゃね?」

 一瞬クラス中がシンとなり、宮本は戸惑っておかずを箸から落としていた。

 帰り道、幻はガシガシと金髪をかきまぜながら、神社への坂を登る。

(好きな相手とならどこでも楽しい、かー……)

 逆に言えば、そうでない相手とだったらどこに行っても楽しくないかもしれない。

 真奈佳はいい。自分で社を選んだのだから。でも、社は? そして、真稚は。

(でももう、社もやるって決めたんだ。やるからには成功させなくちゃ!)

 そして、早く真稚を取り戻す。社と真稚に、本当に好きな相手と過ごしてもらうためにも。



 そしてやって来たクリスマスイブ当日。

「晴れてよかったね~! 行ってらっしゃい!」

「楽しんで来るんじゃぞー」

 社と真奈佳は、玄関先で幻と社の祖父の見送りを受けていた。

 社はシンプルなコートにスラックスだが、真奈佳はいつにも増してめかしこんでいる。この日のために洋服を買いに行ったと聞いた。

「それじゃあ、留守番頼むよ」

「行ってきまーす!」

 家を出てすぐ、真奈佳が社の腕に自分の腕を絡めたのが見えた。振り払うんじゃないかとハラハラしたが、社はそのまま普通に歩いていった。

「行きましたね」

「そうじゃの」

「……行きましょうか」

「おう」

 顔を見合わせた二人は、三十秒で支度をし、戸締まりをして社達の跡を追った。

「幻、鵺のじいさん。こっちやでー」

 駅に向かう道の途中にあるコンビニで観と合流し、三人は駅へ向かった。

 既に社達の姿は見えないが、問題はない。デートプランを作ったのは幻だ。二人の行き先は把握している。

「しっかしお前さんも寂しい男じゃのう。イブに会う女子もおらんのか、モテそうなのに」

「……堪忍して下さいよ。俺かて朝から思ってますよそんなこと」

 はは、と乾いた笑い声が虚しく響いた。

 幻がクラスメイト達と練ったデートプランの中から、社が(適当に)選んだものは、なかなか盛りだくさんのプランだった。

 まず隣街の芦刈市へ電車で移動する。駅前のショッピングモールで、社からのプレゼントとしてアクセサリーを二人で選び、購入。ちょっとお洒落なイタリア料理店でランチ。その後映画館へ移動し、ラブストーリーを鑑賞。軽く街歩きしつつ、夜景とクリスマスイルミネーションが評判の丘の上の西洋庭園へ。電車で鵺栖町へ戻り、小さなレストランでディナー。そして帰宅、という完璧なコースだ。

「ホテルは予約する?」という幻の問いに、社は蒼い顔でぶんぶんと首を横に振った。

 現在、社達は芦刈駅前のショッピングモール内を歩いている。クリスマスで賑わう店内は、こっそり跡をつけるのにうってつけだ。

「お、店入ったで」

「うわ、あそこ結構高いブランド……」

 キラキラ眩しいディスプレイの前で、真奈佳はキラキラ目を輝かせている。

 こんなに人の多い場所を歩き、普通に店員と会話をし、高価なアクセサリーを試す、真稚の姿を借りた真奈佳。その中で、真稚は今、どんな気持ちでいるんだろう。幻の胸がまたちくりと痛んだ。


「何か僕……見てるの辛くなってきたよ……」

 ランチのイタリア料理店で、幻は早くもゲッソリとした顔で愚痴をこぼし、カフェラテをすすった。

 離れた席で、二人はパスタを食べている。一口ずつ交換して、お互いに食べさせ合っている所など、どこからどう見ても恋人同士にしか見えない。

「辛抱やで。何かあったらどないすんねん」

「社がいるのに?」

「鵺の兄ちゃんやから、攻撃できへん相手もおるやろ。ワカちゃんとか」

「え?」

 どういう意味か問いただそうとした時、社の祖父がティラミスの最後のひとかけを口に放り込んで言う。

「そうじゃな。ちと嫌な予感がするのう。あの娘さん、本当にデートだけが望みなんじゃろか」

「……違うんですか?」

「……わしには分からん。じゃがどうも時折、社や幻坊を睨んどるように見えてのぅ。それがずっと気にかかっとたんじゃ」

 グラスに残った氷をガリガリとかみ砕きながら、観は社と真奈佳の方を注視していたが、不意に目を眇めた。

「……ホンマや。鵺の兄ちゃんが目ェ離した一瞬、わっるい顔になりよった……」

「じゃろ? 普段はうまーく隠しとるんじゃがな、今日は特に目につくのう。……何か焦ってるんじゃろか」


 ランチのあとは、映画だ。

 ちょうどお誂え向きのラブストーリーが上映されていたので、幻がたてたプランではそれを鑑賞する予定だった。だが、上映中の映画のポスターがズラッと並べて貼ってある前で、真奈佳が指さしたのはスプラッタホラー映画だった。

「マジでか……よりによってそれ選ぶんか」

 呆れた顔でポカンと二人を見つめる観。

 普段嫌というほどあやかしごとであやかしと関わる社を、幽霊である真奈佳が、その映画に誘うのか。

「とんだブラックジョークじゃのう」

 ポツリと社の祖父が呟く。

 しかし社は特に反論もせず、真奈佳が選んだ映画のチケットを二枚買った。

 幻達も同じ映画のチケットを買う。

 金髪碧眼の外国人と、喪服の青年と、矍鑠たる老爺。固まっていると目立ちすぎるので、バラけて座る事にした。端の方を座席指定すれば、社達の席の近くになってしまうこともないだろう。

 幻は、社と真奈佳を後ろから見られる位置に席をとった。

 映画が始まってすぐ、導入部分のホラーで真奈佳は小さく悲鳴をあげて社にすがりついた。

 ああ、ホラー映画を選んだのはこれが目的だったのか、と。今はもう、冷めた目でしか真奈佳の行動を見られない。

 その後もずっと、真奈佳は社にしがみつくようにひっついていた。何度か社が映画館を出るかと聞いているのが身振りで分かったが、その度に真奈佳は首を横に振った。

 そして最後まで映画を見終わり、社が席を立つと、その袖を捕らえて真奈佳が呟いた。

「あ、足がすくんじゃいました……」

 引き攣った苦笑を浮かべる真奈佳に、社が手を貸す。

 王子に手を引かれる姫のように、ゆっくりと一段一段階段を降りていく真奈佳を見届けてから、幻は観と社の祖父と再合流し、映画館を出た。

「暗闇に乗じて何か行動起こすかと思ったんじゃが、何もなかったのう」

「えらいくっついとったから、ハラハラしたわ」

「だよね。足がすくんだっていうのもホントなのかな。社大丈夫かなあ」

「え? あ、ちゃうで。映画の話やで」

「おう。なかなか面白かったのう」

「えー……」

 幻がガクリと肩を落とした。



「もうこんなに暗いんですねー!」

「冬至過ぎたばかりだからね」

 真奈佳の弾む声に応える社の声は、淡々としたものだった。

 社は、幻が作ってくれたデートプランに従って、街路樹にイルミネーションを施した道を通って丘の上の西洋庭園へ向かう。

 今、社を動かしているのは、ただ義務感だけだ。クリスマスだからと浮かれるような性格でもないし、隣にいるのは大切な人でもない。それでも、外見だけは一番大切と言ってもいいくらいの相手だから、余計にタチが悪い。

「きれいですね~! 丘の上、ここからも光って見えますよ!」

「そうだね」

 真奈佳の指差す先をちらりと見て、反射のように笑って肯定した。組まれた腕が、ぎゅっと握られた。真奈佳の足が止まり、引っ張られるように社も立ち止まる。

隣を見ると、潤んだような褐色の瞳で真奈佳がじっとこちらを見上げていた。その瞳が、そっと瞼に隠される。

 何を待っているか、分からない歳でもない。が、それに応える気は微塵もなかった。

「少し急ごうか。目の前で庭園が閉まっちゃったら残念だしね?」

 にこ、と苦笑して首を傾げる。真奈佳は一瞬だけ険しい顔をしたが、すぐにしゅんと眉を下げ、はぁい、と唇を尖らせて頷いた。



「わーキレーイ!」

「ホンマキレイやな……。男三人で見てるんが勿体ないくらいやわ……」

 観が寒さに首を竦めながら、乾いた笑いをもらした。

「社達はどこじゃ? ……歳取るとあかんのう、夜目がきかん」

「あっちの展望台にいますよー」

 幻が指さしたのは、街を眼下に一望できる展望台。西洋庭園の中でも人気のスポットだ。

何もない日でも恋人達で賑わう場所は、クリスマスともなればきっととても混んでいるだろう。

 向かいながらそう思っていたのだが。

「あ、あれ?」

 すれ違ったのは、ぞろぞろと展望台から戻って来る何人もの男女達。立入禁止の札でもあるのかと思ったが、どうも様子がおかしい。

「何やこの人ら、目がうつろやない?」

 観が言った通り、展望台から戻って来る男女はみな例外なく、死んだ魚のような目をしている。何かに操られているような足取りで、展望台から遠ざかる。そして、戻って来る人々の中に社と真奈佳はいなかった。

 三人は不意に、庭園全体の空気がかちんと凍ったように感じた。

「ねえ、今の」

「ああ……マズイな」

「急ぐぞ!」

 夜闇に足をとられそうになりながら駆け付けると、社は真稚……否、真奈佳に、展望台の手摺りに押し付けられていた。



「ねえ……ねえ、社さん」

 展望台で、重々しい声で名を呼ぶ真奈佳を、社は無感情な目で見返した。

「私……ずっとこうしていたい」

 抱きつかれ背中に手を回されても、社は何とも思わなかった。

 ただ、本音が口をついて出る。

「それは駄目だよ。君は今日でこの世から去るんだ」

 ぴく、と手が震えた。

「何でそんな……酷い」

「君は確かに可哀相だよ。だけど俺が君のその願いを聞いたら、真稚は二度と戻らないでしょ。悪いけど、俺は彼女を手放せない」

 体を離した真奈佳が、涙に濡れた目で社を見上げる。

「私より、その子が好きだからですか?」

 社は少しだけ首を傾げて考え込む。その口元に浮かんだのはいつもの微苦笑だ。

「……真稚の事はとても大切だけど、君の言う『好き』とはおそらく違うだろうね」

「じゃあ何なんですか!?」

 真奈佳の詰問口調に、社は穏やかに、だがきっぱりと答えた。

「俺は真稚の生命全部に、責任があるんだ」

「……意味わかんない」

 どん底まで沈んだ機嫌を隠しもせず、真奈佳が低い声で言った。瞳には、明らかな憎しみが篭っている。

 展望台にいた人々が、操られたようにその場を去っていく。膨れ上がるどす黒い感情の波を感じ、社はスッと目を眇めた。

 真奈佳は恐るべき怪力で社を展望台の端まで突き飛ばした。手摺りに背中をぶつけて咳き込んだ拍子に、胸倉を掴まれる。

「私と一緒に行きましょうよ……ね? 社さん!」

 社の上半身は、すでに手摺りの向こうだ。下から吹き上げる風が、社の髪をなぶる。

 胸倉を掴まれたまま横目で下を確認して、社は小さく溜息をついた。

「ここから俺を落としても、やっぱり俺は君と彼岸へ逝くことはできないよ」

「ふふ、大丈夫ですよ」

 ぐい、と顔を寄せた真奈佳の瞳には、狂気が色濃く浮かぶ。

 片手を社の片手と指を絡め、ぎゅうっと握った。ぼきん、と鈍い音がして、一瞬だけ社が眉をしかめた。

「私、この手を離しませんから」

 折れた指に更に力をこめられても、社は動じなかった。だが、真奈佳の肩越しに幻達の姿を見た瞬間、目を見開いた。

「駄目だ、来るな!」

 鋭い声を飛ばしたが、真奈佳は既に三人を見つけている。

「邪魔しないで!」

 真奈佳が金切り声で叫ぶや否や、二人ががくんと気絶しその場に倒れた。悲鳴をあげる間もない、圧倒的な力だった。

「Wh-what!? 大丈夫ですかー!?」

 ただ一人、幻だけが無事に立っていて、倒れた二人に駆け寄る。真奈佳が憎々しげに大きな舌打ちをした。

「やっぱり、あなたにだけは効かないのね」

 その言葉に幻は怪訝そうに眉をしかめたが、問いただすことはできなかった。先に社が口を開いたからだ。

「……俺が一緒にここから飛び降りれば、君は満足なんだね?」

 その言葉に幻は青ざめたが、真奈佳は逆に頬をばら色に染めて、嬉しそうに目を輝かせた。

「やっと分かってくれたのね! そうよ、あなたは私と逝くのが一番いいの。だってこの子は、」

 自分の胸に手をあてて、真奈佳は嘲るように言う。

「この子は人間全部を嫌ってる。この子より私の方が絶対、あなたの事好きよ」

 社は何も言わなかった。ただ、いつもの困ったような笑顔を浮かべるだけだ。

「さ、行きましょう……」

 真奈佳と社の身体が、展望台の手摺りの向こうにぐらりと傾いだ。

「Hey,stop!」

 幻は必死に叫んだが、間に合わない。二人の姿は、完全に闇の中へ消えた。

 デートプランを立てるときに、幻はこの場所に下見に来た。だから知っている。展望台の下は崖だ。雑木林になっているとはいえ、それはクッションにはなりえない。

 手摺りに駆け寄り、身を乗り出して下を見下ろす。庭園のイルミネーションも、街の灯も、足元の崖を照らしてはくれなかった。

「幻、幻」

 微かな声が聴こえて、幻は俯けていた顔をガバッと上げた。

「社? 無事なの!?」

「無事……ではないかな。あ、でも真奈佳さんは満足して行ったみたいだ。真稚も無傷だよ」

 幻はホッとすると同時に、冷や汗が出る。社自身はどうしたというのだろう。声は普段通りに聴こえるが……。

「確かそこに登る途中の脇道から、ここまでこれたと思うんだ。ちょっと一人で戻れそうにはないから、悪いんだけど来て手を貸してくれる?」

「分かった。待ってて、すぐ行く!」

「真奈佳さんが行ったから、じいちゃんと羽田君も目を覚ますと思う。三人で来て。……なるべく人目につかないように」

「……OK」

 社の言う通り、社の祖父と観は、すぐに意識を取り戻した。社の祖父が言うには、二人は力の波のようなものにアテられて倒れたらしい。

「僕一人大丈夫だったのは何故なんです?」

 早足で崖下に向かいながら尋ねる幻に、社の祖父は一瞬言葉に詰まる。

「まあ……要するに波長が合わなかったんじゃな」

「運がよかったんやなー」

 軽く笑いながらそう言った二人の言葉を、幻は疑いもせず信じた。

 崖下へつくと、社達はすぐに見つかった。真稚の白い髪と肌が、闇夜で光るように浮き上がっていたからだ。

 下草をざくざくと踏み鳴らしながら幻は二人に駆け寄った。

「よかった、真稚! 社はどう……」

 ぴた、と足が止まった。

 社は地面に仰向けに寝転がったまま、動かない。真稚のアイボリーのコートが、裾から緋色に染まっている。暗くて見えないが、きっと社が横たわっている周囲は、血の海だ。

 ごくり、と息を飲んだ音が、自分が発したものなのか、あるいは観や社の祖父のものなのか、わからなかった。

「あ、来た来た。ここだよー」

 真稚が社の手を両手で握っている。その反対側の手を、社はゆるゆると挙げて見せた。その指先から、ぽたりと血の雫が落ちる。

「……ちょっと大袈裟な事になっちゃったよ。なるべく人目につかないようにここ片付けて、急いで帰ろう」

 声も言葉も軽いが、同じ調子で返せる者はいなかった。

 四肢には裂傷と擦傷、頭はどこかにぶつけたのか、顔半分が血にまみれている。そして腹部を、腕ほどの太さの折れた木の枝が貫通していた。

 もし社が人間だったなら、間違いなく即死だろう。だが社は生きている。普段と同じ調子で話をしている。

 ばけもの、という言葉が幻の脳裏を一瞬過ぎった。そしてその事に、幻自身が大きな衝撃を受けていた。

「何で生きとるん……?」

 戸惑ったような怯えているような震えた声が、幻のすぐ後ろから聞こえた。観が夜目にも青ざめた顔で、唇を震わせている。

「何やのその傷、その血! 普通死んでまうやろ……何でそないしゃべくってられるん? まるで……」

 観はごくりと生唾を飲み込み、唸るような低い声で言った。

「まるで、あやかしやんけ」

 幻はハッとして社に視線を戻す。社はバツが悪そうに小さく息をついた。

「……そうだ、羽田君は知らないんだったね」

「何を?」

「俺、半分あやかしなんだ」

 ひゅっと息を飲む音が、暗闇にやけに響いた。

 社の隣にしゃがみ込んでいる真稚が、ゆるゆると観に赤い目を向ける。社の正体を知って、観が社をどう思うかを見極める目だ。

 観は声も出せないほど驚愕していた。目も口も見開いて、金縛りにあったかのように動かない。血まみれの社が普段通りの微苦笑を浮かべると、観はハッと肩を震わせ、一歩後ずさった。そして、くるりと踵をかえし、駆け去ってしまった。

「観!?」

「追わなくていいよ、幻」

 社の声は普段と同じ調子だが、呼吸は普段より浅く早い。顔色もよくはない。

「あれが普通の反応だ。……それより、手を貸してくれる? さすがに血をなくしすぎたよ」

 手を貸して、と言われたものの、どうしたらいいのか分からず幻はうろたえる。

「こんな状態じゃ電車も乗れないんじゃない……?」

「間違いなくとめられるじゃろうな」

 ここは鵺栖の外じゃからの、と社の祖父が呟く。その間もずっと、真稚は社の手を握っていた。

(社がこんな怪我して、観はどこかへ行っちゃうし……ショックだろうな)

 しかし、幻がこっそり顔を覗き込むと、意外と普段通りの表情だった。この場で一番冷静なのは、真稚かもしれない。

「タクシー」

「え?」

「鵺栖のタクシーを呼べばいい。隣街なんだから、運賃は高めにとられるかも知れないが、高遠の名を出せば来てくれるはずだ」

 社の祖父が感心してポンと手を叩く。

「おー、その手があったか!」

 すぐに携帯電話を取り出し、電話をかけはじめる。

 その間にも真稚は、自分が着ていたコートを脱いで木の枝が刺さったままの社の腹部を覆う。その上から木の枝を掴み、引き抜いた。

 コートのおかげで血は飛び散らなかったが、そのコートは恐らく二度と着られないだろう。そのままコートで腹部を縛り、頭もピンク色のふわふわマフラーで止血した。

「あとは車が入って来れる場所まで運ぶだけだ」

「それやったら任しとき。俺が運ぶわ」

「え?」

 社が驚きに目を丸くして、思わずガバッと上半身を起こす。駆け去ったはずの観が、水の入ったバケツを手にそこに立っていた。

「羽田君、どうして……」

「血ィ洗い流すんに必要やろ。水汲んできたった」

「あ、ありがとう……いやそうじゃなくて!」

 戸惑う社に肩を貸し、観が無理矢理社を立たせた。バケツを受けとった真稚が、バシャッと水を撒き地面に流れた大量の血を洗い流す。

「俺を甘く見んなや、高遠。そらちょぉビックリはしたけどな、それで怯えて逃げ出すような真似はせえへんて」

 社の方は見ずに、まっすぐ前を見たままボソボソと紡がれた言葉に、社は嬉しそうに苦笑した。

 社の祖父が呼んだタクシーに、社・真稚・観が乗りこみ、社の祖父と幻は電車で帰ることになった。真稚はタクシーに乗り込む前に、社の祖父を呼び止める。

「行くんだろ? これ、持って行ってくれ」

 そう言って、苦戦しながら外したネックレスを社の祖父に渡す。さっき、駅前のショッピングモールで社が真奈佳に買ったクリスマスプレゼントだった。

 幻は首を傾げたが、社の祖父は心得顔で頷く。

「引き受けた。社は頼んだぞぃ」



 幻と社の祖父は、夜中の墓地にいた。三和の寺の墓地だ。

 夏の肝試しを思い出して、幻の表情は若干曇る。それを綺麗にスルーして、社の祖父はメモを見ながら墓碑を見て回る。

「おお、ここじゃ」

 そう言って立ち止まった墓の墓誌には、真新しい彫痕で真奈佳の名が刻まれていた。

「真奈佳の墓……?」

 幻の呟くような声に黙って頷き、社の祖父は真稚から預かったネックレスを墓前に供えた。

 目を伏せ、手を合わせる。幻も見様見真似で同じ事をした。どうか安らかに。そう心の中で念じながら。

 ……念じた、のだが。

「さて、開けるぞい」

「え?」

 社の祖父は何の躊躇いもなく墓石に手をかける。

「何しとる幻坊、そっち持たんか。早よせい!」

(ええー!?)

 戸惑いつつも気迫に負けて、竿石と中台・上台をどかした。カロートを覗きこんだ社の祖父が、やはりな、と呟き頷く。手を突っ込み引き上げたものを見て、幻は翠の目を見開いた。

 出てきたのは、耳だった。左右の耳だ。

 一瞬真奈佳の耳かと思って青ざめたが、日本は火葬の国だったと思い出す。ならば、この耳は。

「お前さんのお探しのもんじゃよ」

 そう言って、社の祖父はポケットから取り出したハンカチにそれを包み、幻に手渡した。

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