第13話「赤い悪魔(前編)」
エキジビション・マッチとやらを意識して、少し彼女は気が弛んでしまったのかもしれない。旨い物を食べ過ぎてしまったのだ。
「あいてて……」
腹を下しながらもリコラはそのまま、少しおぼつかない足取りで闘技場、野外闘技場の受け付けにと向かう。
カォ……
空は晴れ、気分がやや悪いリコラを嘲笑うかのように、近くでカラスが低く鳴いた。
「あっ……」
そのリコラの視線の先、砂ぼこりが舞う道の先には一人の少年、煤けた色の普段着を纏うノエル少年はリコラに気がついた後、その顔を微かに綻んで見せる。
「や、やあ……」
「何よ、泥棒?」
「あ、あのこれ……」
ノエル少年は微かにその声を震わせながら、うつ向きつつにリコラにと小さな巾着を差し出す。それを見てリコラはその瞳を丸くした。
「それ、あたしの財布!!」
そのリコラの声にもノエルはうつ向いたままの頭を上げない。そのまま彼は消え入りそうな声で。
「この前、戦いに勝ったからな……」
そう言ったきり、脚を翻して砂塵の中にと去っていく。
「ちょ、ちょっとあんた!!」
「……何だよ?」
「あの……」
そのリコラの呼び掛けにノエルはその脚を止め、そのまま振り返らずに声だけをリコラにと放つ。
「名前は?」
「……」
「まあ、あたしは知ってるけどね、フン!!」
「……ノエル!!」
「……へえ?」
何かを絞り出すかのような、ノエル少年のその声にリコラは首を傾げつつ、立ち去っていく彼の煤けた背中を見つめていた。
――――――
「あの……」
「ん?」
リコラのエキジビション・マッチは午後からだ、その間に闘技場の観客席で休憩をしていた彼女の元へ。
「あれ、あなた……」
いつか見た、恐らくは第四世代であると思われる少女がその可愛い顔を、ベンチで寝っころがっているリコラに覗かせる。
「久しぶりね、ええと名前は」
「ファティマ」
「あたしはリコラ」
彼女と顔を合わせるように起き上がるリコラ、そのリコラの瞳をじっと覗き込んでいた少女は、しばしの間身に纏っている衣服を、よく仕立てられた黒と白のゴシック・ドレスを揺らしていた。
「で、何?」
「お姉ちゃんが戦う相手」
「ああ、アストラリーカ……」
アストラリーカ、人類の中でも最大限にマシンリムのそれと適応した者。そしてこのアルカディアの大地を統べる「評議会」の地位を約束された者たちである。
「気を付けて」
「え、何を?」
「ただのハンターじゃない……」
「は?」
そう言ったきり、ファティマと名乗った少女は、そのツインテールの髪をたびかせて、スッとその踵に取り付けられた車輪を使い、その場から立ち去っていく。
「あの、ちょっと……」
何かキツネにつままれたようなリコラ少女、彼女は首を捻ったままで、空に舞うコンドルが上げている唸り声を聴いていた。
――――――
「今回のバッフォ闘技場VIP、リコラ選手です!!」
ワァア……!!
「リコラ、か」
ノエル少年は焼き鳥をついばみながら、観客達の歓声に包まれるリコラ、その彼女の姿へじっとどこか羨ましそうな視線を注いでいた。
「フン、いい気なもんだぜ」
「そうかい、少年?」
「ガラフさん」
「オッサンとは呼ばないんだな」
「そりゃあ、まあ……」
別にノエルは彼に引け目があるわけではないのだが、それでも何かこのガラフ、ノエルの背後から語りかけてくる彼には威圧感を感じてしまう。戦士としての貫禄だろうか。
「エキジビション・マッチですか、ガラフさん」
「リコラの対戦相手はよく解らんがね」
「俺の聴いた噂では前回の大会、それが行われたドームの闘技場で好成績を出した奴らしいですよ」
「なるほどな」
そのノエルの言葉に、ガラフはビールを飲みながら頷いてみせた。その彼の視線の先には、特別席にと座る「アストラリーカ」達の姿がある。
「ガラフ、またあなたなの?」
「……レイチェルか」
レイチェル、長い黒髪を輝く太陽に映し出しているその彼女がガラフに一瞥を与えた後。
「リコラ、良い顔をしているじゃない」
自身の背後、長いコートに身を包んだ男に向かって、皮肉げな笑みを浮かべて見せた。その男の顔を見たとき、ノエル少年の顔が。
「お、お前は……」
薄くひきつった、その驚愕したノエル少年の次に発せられようとした言葉は。
ドゥウン……!!
試合開始を伝える、銅鑼の音によって掻き消される。
――――――
「始めたまえ!!」
その遠くからの老人の声を耳に入れたリコラ、闘技場のリングに立つ彼女が見た限りでは、この目の前にいる人物。
「剣使いね……」
大剣を携えている、赤一色のボディスーツにその身を包ませている女、その身体のラインから女であると思われる人物の顔には仮面、何か不可思議な魔物の形を象ったその仮面の奥から妖しい光がリコラを射すくめる。
「……」
とりあえずリコラは己のマシンリム、《
「勝てば、大儲けなんだけど……」
その言葉の通り、もちろんリコラはこの正体不明の相手に勝ちたい。この闘技場で連戦連勝してきた余勢も満ちているのだ。
バァ、サァ……
「マシンリムの状態はよし、アイツに盗まれた機能も回復している」
少し威圧も兼ねて「翼」をはためかせたリコラ、しかしこの相手。
「レッド・フォックス……」
レッド・フォックス、審判のマリンがそうアナウンスしたアストラリーカは、そのリコラの威嚇にも全く反応しない。
「……ならば!!」
僅かに息を吐き、その手に持つシャムシールを低く構えるリコラ、そして彼女はそのまま。
「《
加速系のマシンリム、それを発動させつつに相手にと飛び掛かった。
――――――
「ありゃ、急ぎすぎだ」
「……」
「賛同しろよ、小僧」
「ノエルだ」
「へいへい……」
今は敵、対戦相手ではない。とはいえ図々しく自らの横にと座るこのヴァイパー、彼に屈辱的な負けかたをしたノエル少年にとっては、到底好きになる男ではない。
「……」
「どうしたや、ガラフ?」
「似ている……」
「あん?」
そのヴァイパーの声を聞いているのかいないのか、ガラフのその瞳はじっとリコラの斬撃を防いでいる、防戦一方のレッド・フォックスにと注がれていた。
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