サボテンの花

増田朋美

サボテンの花

ある日、蘭の家に一人の女性がやってきた。どこかで見たことある女性だけど、蘭はその女性が誰なのか、思い出すことができなかった。とりあえず、家の中に招き入れて、お茶を出してあげた。彼女は、蘭からもらったお茶を急いで飲み干して、よいしょ、と重たそうな鞄を取り出した。

「で、僕になんの用があってこちらに来たんですか?」

と、蘭はその女性に一生懸命名前を思い出そうと頭をひねりながら、そう尋ねた。

「ええ、実はですね、今日は、伊能君に招待状を渡そうと思ってきましたの。」

と、彼女は、一枚の封書を鞄の中から取り出した。

「えーと、あなたは、、、。」

「もういやね、伊能君は。」

と、彼女はカラカラと笑った。

「あたしは、同級生の、関口よ。関口眞弓。忘れたの?」

「あ、ああそうですか、関口眞弓さんですか。でも、すごく印象が変わりましたねエ。確か、僕と同級生だったころは、関口さんは、がり勉で真面目過ぎるほど真面目な女性って感じだったけど、、、。」

蘭がそういうと、関口眞弓は、あはははと、蘭を見て笑った。

「もう嫌ねえ、この年になると、変わっちゃうのは当たり前よ。結婚して、子どもができて、ある程度は変わらないといけないんだし。学生の時からずっと変わってないなんて、子どもがいない証拠よ。」

「あ、ああ、そうですか。僕は、歩けなくなったことだけが、唯一変わったことかもしれません。」

確かに、関口眞弓さんは、昔の彼女とは偉く違っていて、明るい顔になっていたし、態度もものすごく前向きで明るい女性に変わっていた。昔の、がり勉女性とは、ぜんぜん雰囲気が変わっていた。

「で、その関口さんが、今日は何をしに僕のうちに来たんですか?」

と、蘭は彼女に聞いた。

「ええ、この封書は招待状。秋山先生のお別れ会のお知らせよ。」

「お別れ会?」

蘭がそう聞くと、

「ああ、伊能君は知らないのね。秋山先生がなくなられて、もう四十九日も過ぎたから、クラスのみんなでお別れ会をしてもいいかなって。秋山先生、亡くなった時、発疹熱が流行しているからって、新聞の故人名簿にも名前を出さなかったし、葬儀も、近親者だけで直葬でやったんですって。あたしたちが、秋山先生の訃報を聞いたのは、ずいぶん後の事になってしまったんだけど。」

と、関口さんは、そういうことを言った。

「え!秋山先生がなくなられた?」

蘭は素っ頓狂に言うと、

「そうよ。伊能君は知らないの?もう、葬儀も済まされて、四十九日も過ぎているわよ。そういう私も、訃報を聞いたのは、一週間前なんだけど。」

と、関口さんは、すぐに言った。蘭はそんな、、、という顔をした。

「一体どうして。」

「まあねエ、、、。あたしもそこらへんはよく知らないんだけどね。秋山先生、娘さんの事で、かなりもめていたみたいだけどね。まあ、自ら逝ったという感じかしら。」

「そんな!あの先生が、そういうことをするはずないじゃないか。」

蘭は驚いたが、関口さんは表情を変えなかった。

「そんなことするはずないって、したことはしたんだから、事実は変えられないわよ。秋山先生は、お年をとったことをかなり悲観されていたみたいだから。まあ、中には、年をとっても、元気なお年寄りもいるけどさ、秋山先生みたいに、シッカリとし過ぎた先生だと、かえって年を取ることは苦痛に見えちゃうのかもね。そういう訳で、秋山先生は逝ったのよ。」

「そうなんですか、、、。」

蘭は、涙を拭いた。

「伊能君の方がよほどがり勉ね。あたしは、子供育てて、秋山先生のいう事なんて、みんな、学校のための嘘だったんだなってやっとわかったのに。秋山先生は、そういう先生だったじゃないの。決して人気のある人じゃないわよ。」

確かに、蘭の母の伊能晴は、秋山先生をとても尊敬しているようであったが、ほかの生徒は、秋山先生を嫌っていることも、蘭は、今知った。

「もう、伊能君。秋山先生は、人気のある先生じゃなかったわ。あたしも、あたしの親だって、かなり反感を持っていたことは、確かなのよ。生徒をランク付けするのが好きだったり、生徒を、家の事情でランク分けしたり、色々やってたでしょ。あの先生。」

「そうだったのか、、、。僕には、親切でいい先生にしか見えなかった。」

蘭はがっくりと肩を落とした。

「其れは、伊能君の、お母さんが、天下の大金持ちと言われるほど大金もちだったから。そういう生徒には、秋山先生はいい教師を演じていたの。」

関口さんは、蘭にいった。

「伊能君にはそういう事やってたけど、あたしなんかには、飛んでもなく冷たかったわよ、あの先生は。あたしなんて、普通のサラリーマンの家庭だし。あたしは、ああいう大人にはなりなくないなって、いつも考えていたわ。そんなあたしも、結婚し、子どももできて、子どもを育てていくうちに、もう許してあげようかなって、考えたの。」

と、関口さんは、にこやかに笑った。

「ほかにも、そういう考えを持っている生徒がたくさんいたので、あたしたちは、秋山先生を許してあげることにしたの。だから、秋山先生、長い間ご苦労様でしたって、秋山先生を送り出してあげようと思って。」

「そうですか、、、。」

蘭はふうとため息をついた。

「じゃあ、秋山先生のお別れ会、公民館で開催するから、伊能君も来てよ。遺骨は、秋山先生の遺言で散骨されたわ。秋山先生の娘さんは、子どもがいないから、墓じまいをするって言っていたから。」

「そうなんだ、、、。」

蘭はさらに落ち込んでしまう。

「伊能君、今はお葬式の仕方も変わっているわよ。昔みたいに、お墓に縛られて生活するより、個人が思い思いの場所で、明るく元気に暮らすほうが、よほどいいわ。」

関口さんは、今時の葬儀事情を話した。確かに、そういうことをする人がいるという事は聞いたことがあるが、まさか秋山先生がそういうことをするなんて信じられなかった。

「じゃあ、伊能君。お別れ会の日程は、そのチラシに書いてあるから。必ず来て頂戴ね。それでは私、次のお宅に、チラシを配らなきゃならないから、これてひとまずお暇します。」

「あ、ああ、、、。」

蘭は、黙ったまま、お菓子を差し出す用意もせず、帰っていく関口眞弓を、じっと見ているしかなかった。

「じゃあ、当日よろしくねエ。必ず来て頂戴ね!」

と、彼女は急いでハイヒールを履き、手を振って蘭の家を出ていく。はあ、あんなに変わってしまモノか、人間というのは。と蘭が思わず思ってしまうほど、彼女は変わってしまっていた。


さて、そのお別れ会の当日。

蘭は、真っ黒な略喪服用の着物を着て、タクシーに乗り、公民館に向かった。公民館の集会室につくと、たくさんの女性たちが、皆喪服姿で、会食しているのが見えた。集会室の奥には、秋山先生の遺影が大きく飾られている。その前にはピアノが置いてあり、生徒であったピアニストが、別れの曲を演奏していた。

「伊能君、良く来てくれたわね。さあ、早く入って。」

関口眞弓さんに声をかけられて、蘭は中にはいった。ほかの女子生徒だった女性たちが、蘭の周りに近づいてきた。中には、学生時代の面影を持っている生徒もいたけれど、みんな化粧したり、服装を変えたりしているので、蘭は名前を思い出すことができなかった。

「伊能君ってほんとに昔と変わらないわね。秋山先生も、びっくりしていると思うわよ。」

と、一人の女性が、そういうことを言った。

「まあ、伊能君は秋山先生のお気に入りだったもんね。」

と、また別の女性がそういうことを言う。でも、彼女たちは決して蘭の事など、恨んでいるとか、そういう話はなさそうだった。

「いいじゃない、一人か二人、変わらない子がいたって。あたしたちが変わりすぎたのよ。男の人は、変わらなくてもいいんじゃないの。」

と、関口さんはその話をまとめる。

「そう言えば、」

と、別の女性が、ピアノを弾いていた女性を顎で示した。

「右城君はどうしているか知ってる?本当は、彼女じゃなくて、右城君に奉納演奏でもしてもらおうかと思ってたのよ。まあ、ほかにピアノが弾ける生徒は、何人がいるけど、だんとつでうまかったのは、右城君だったしね。」

「ああ、水穂は、、、。」

蘭は、彼女たちに、水穂さんの事を言うことは出来なかった。

「まあ、伊能君が知る事も無いか。彼の事は、お母様も嫌ってたし。」

関口さんが、そういうことを言った。

「きっと右城君の事だから、世界的なピアニストになって、今頃、海外で大活躍してるわよ!」

と、別の女性が言った。確かに、その女性が弾いている別れの曲は、本当にリズムが整ってなくて、本当に下手だった。

「みんな、そう思っていて下さって有難うございます。彼はきっと、演奏活動が忙しくて、お返事が出せない状態だったんじゃないですか。」

と、とりあえず蘭はそういうことを言っていた。

「まあ、そういう事ね。秋山先生も、右城君の事は、期待していたみたいだったから、来てもらいたかったんだけどね。」

関口さんがそういう事を言うと、ほかの女性たちはそうよねえと言って、テーブルの上にあるお菓子を食べ始めた。


と、その時である。

がちゃんと音がして、集会室の扉が開いた。黒い紋付の着物を身に着けた一人の女性が立っている。白い肌に、黒い髪が見事な、かなりの美女だ。

「ああそういえば、木島弥生さんだ。ちゃんと彼女にも、封書で、招待状を送っておいたから。」

と関口さんが言う。

「木島弥生?」

と蘭は、思わず口にする。木島弥生という生徒は確かにいた。でも、こんなに着物の似合う、女性になっていただろうか。着物なんてまるで無縁のような環境の女性だったのに。

「ずいぶん、楽しそうなパーティーですね。先生のお別れ会というより、仲良しの同窓会?」

木島弥生は、きつい声で言った。

「彼女にも招待状を差し出したんですか?」

と蘭が言うと、

「ええ、確かに木島さんのお宅には行っていたけれど、彼女のご家族に、何をしに来たのかと聞かれたので、先生のお別れ会をすると言ったところね、寝ているので、おこさないでくれというのよ。私は、まあ、看護師とか介護士とか、そういう夜勤の仕事でもしていたのかなと思って、ご家族にお渡しして帰ったわ。」

と、関口さんが言った。

そういう間に、弥生は、つかつかと集会室に入ってくる。そして、秋山先生の遺影に、インクの瓶を投げつけた。

「何をするの!」

関口さんがそういうと、

「こんな教師なんて、一生あたしたちは、あなたを恨むから!」

と、弥生は声を荒げて言った。蘭が、一体何だと思っていると、

「この教師のせいで、あたしは人生すべてつぶされたのよ!あたしの可能性だって、全部、この教師に持っていかれたのよ!本当に、あたしが、やりたかったことも、全部、この教師に持っていかれた!あたしは、一生許しはしないわ!あなたは、一生浮かばれることはない!」

と、弥生はがなり立てる。

「木島さん、そんな乱暴はいけませんわ。今日は秋山先生のお別れの席なんだから、一緒に秋山先生のお別れをしてあげて!」

と、関口さんがそういうが、弥生は、秋山先生の遺影をにらみつけた。まだ、秋山先生を恨んでいるのだろうか。秋山先生は、そういう教師だったのか。蘭は、ショックで仕方なかった。それでは、秋山先生は、本当に悪事を繰り返していた教師という事になるのだろうか。

いや、そんな事はない。と蘭は思った。誰でも、許しあう事はできるはずだ。きっとこの世には、本当に悪いやつなんか居ない。だって、悪い奴と言われた奴だって、初めのころは、善人だったはずだ。初めのうちは、悪い奴と言われることはなかったはずだ。何かのきっかけで悪い奴になってしまっただけだ。本当はそうなんだ、と蘭は思う。

だから、彼女だって、こんなにひねくれることはなかったはずだ。弥生さんだって、きっと、初めはいい人だった筈だ。きっとそうだと蘭は思う。だから、彼女だって、話せばわかるはずだ、と、蘭は車いすを押して、彼女のいる方へ近づいていく。関口さんが伊能君大丈夫と言っているのも聞こえないで。

「あの、木島さん、いや、弥生さん。」

と、蘭は、彼女に言った。

「秋山先生に、なにか恨みでもあったんですか?いずれにしても、こういう席で、こんな乱暴を働いてはいけませんよ!」

「何を言っているの!伊能君こそ、あいつの一番のお気に入りだったじゃないの!あたしが、すべてを知らなかったと思っていたら大間違いよ!伊能君は、あの秋山の一番のお気に入り。成績が良くて、大金持ちで、いう事なし!其れなのにあたしは、いくら勉強しても、こいつのせいで認めてもらえなかった。いくら努力しても、この人のせいで、何も出来なかった!あたしは、勉強ができなかったせいで、やりたいことがあってもみんなできなくて、人生ただの悪い奴としか生きていけなかったわ!」

耳をふさぎたくなるような怒鳴り声で、彼女は蘭に怒鳴りつけた。

「そうかも知れないけど、怒りを持ってはいけない!」

蘭がそういうと、彼女は狂乱したような顔つきで、がーっと叫び声をあげて、蘭に殴りかかろうととびかかったが、そこへ、柔道をしていたというがたいの大きな男性が、彼女を捕まえてくれたので、蘭はけがをせずに済んだ。

蘭は、ユックリ話すことにした。

こういう女性と話すのには、普通に話すのはちょっとテンポが速すぎるので。

「あの、お願いです。話してください。お願い、秋山先生と何があったのか。」

蘭は、そういって、彼女に話かけた。

「お願いです。僕はあなたに悪意があるわけではありません。ただ、あなたが、なぜ、秋山先生と何があったのか、知りたいだけなんです。」

蘭は、ユックリと彼女に話しかける。決して、怒ったように話をしてはいけない。自分の苦労話を話すわけにもいかない。蘭は、刺青を入れに来るお客さんの話を聞くように、ユックリと彼女に語り掛けた。

「お願いです。何があったのか。」

弥生の表情が、崩れた。警戒心を解いてくれたのだろうか。それとも、自分の今したことを、悔いているのだろうか、それとも別の事を考えているのか。

「あたしは、、、。」

彼女は、しずかに語り始めた。

「本当は、どうしてもやりたいことがあったんです。あたしは、本当なら、ピアノをやって、音楽学校に行くつもりだった。でも、秋山先生が、勉強が、できないという事で、さんざん私の事、、、。私は、もう自信をなくして、音楽をやることもできなくなって、今は、親と暮らさなきゃいけなくなって、何もできなくなってしまったんですよ。でも、きっと私が悪いことは知っています。其れは、私が悪いってことは知っています。私が、こんなことをしなければ、こんな人生にならなかったのかも知れないという事も知っています。でも、私は、最後に、秋山先生に、謝ってもらいたかった。それだけの事です。それだけを言いたくて、ここに来たんです、、、。」

彼女は、すすり泣くような感じで、そう告白した。最後に何を言ったのか、泣き声に交じって、何を言いたいのか聞き取ることができなかった。

「弥生さん。」

と、蘭は、ユックリと話した。

「僕も、秋山先生については、そうしていることを何も知らなかった。でも、僕も、決してあなたが考えているような幸せな人生を送ってきたわけではありません。僕は、確かに、秋山先生のお気に入りで、幸せだったのかもしれない。でも、僕も、罪悪感を背負ってずっと生きているんですよ。」

「罪悪感、、、?」

と、彼女は、蘭にまるでそういうことはないだろうという顔で、彼をにらみつけた。

「ええ。そうなんですよ。僕も、生きていることに、幸福感はありません。罪悪感の塊なんです。ほら、あなたも知っているじゃないですか。あの、右城水穂ね。今日ここに、やってきてないけど、このクラスに居た、あの美少年です。」

蘭が、彼の名前を口にすると、何人かの男性たちが、ああ、そういえばそういうやつがいた、と口にした。そう言えば、ほとんどの女子生徒が彼に夢中だった。男子生徒さえ、彼には挑まなかった。

「彼は、数年前まですごいピアニストとして活動していましたが、現在音楽業界から、忽然と姿を消している。彼は今、床に伏していて、あと、どれくらい持つかわからないのです。僕は、なんとかして、彼を完治させてやりたいと思うのですが、どうしてもできない。理由は本当に単純なことだ。彼が、僕の事を拒否しているからだ。」

女性たちにどよめきが起こった。蘭はさらに話をつづけた。

「それでは、どうしてそういうことになったか、皆さん知りたがるでしょうが、それは僕のせいなんだ。僕が、正確には僕の母が、彼の家を破産させてしまったからだ。おかげてあいつの両親はあいつを捨てて、逃げてしまうしかできなかった。あいつは、生き残って、同和地区の人に育ててもらって、音楽学校に行って、ピアニストになったけど、体を壊してしまって、数年ももたなかった。秋山先生は、僕の母の事は秘密にしてた。僕は、その時は何も言えなかったけど、今でもそのことを仕手しまった、罪悪感をもって生きている。こんな大きなことじゃなくても、人間多かれ少なかれ、こういう罪悪感を持って生きていると思うんだ。こんな大金持ちがそういうことを言うんだから、ほかの人だって、一度や二度はあるんだよ。だから、それに負けないでくれないだろうか!」

思わず、口をふさいでしまう蘭であるが、木島弥生の目は、だんだん優しくなっていた。彼女は、蘭の話を、しずかな態度で聞いていた。

「もう、秋山先生を許してやってくれ。きっと秋山先生は、後悔していると思う。」

と、蘭は言った。

「そんな事、、、。」

という彼女に蘭は、

「ああ、苦しいと思うかもしれないけど、許すとはそういう事なんだ。頼むから、そうしてやってくれ。お願いだ。」

と言って、頭を下げた。

「そうね。」

と、弥生は、しずかに言った。

「秋山先生、お別れに来ましたよ。サボテンの花が咲いたようにね。」





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サボテンの花 増田朋美 @masubuchi4996

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